第164歩: あたしが生まれた街の名前
緩やかに下る暗い道を進んでいく。アルルの投げかける魔法の光が、足下に長く楕円を描く。
継ぎ目のないざらついた壁に、周りをぐるっと囲まれた筒状の道だ。空気が湿っていてどこか重たい。
「こんな所に遺構があったのか……」
壁を触り、アルルが呟く。
ウ・ルーを出て街道を東へ向かい、
ツタや苔や木の根に覆われ、積もった土や枯れ枝に埋もれた入り口は、ヨゾラも何度か見落とした。
「坑道か何かか?」
というのが、アルルの最初の感想だ。
アルルの靴音が壁に跳ね返って、かつつん、かつつんと音がまわる。黙っていると落ち着かない。なにかしゃべろうと思って、ヨゾラは口を開いた。
「──ケトきょーもしっぽ髪も、帰っちゃうんだってね」
口をついて出たのがこれだった。
「どうした突然」
「別に……いいのかなって思って」
「いいも何も、そういう予定だ。俺たちだって明日にはウ・ルーを出るんだぜ」
アルルの声は少し固く響いてヨゾラの背中に降りかかる。
「そういうことじゃないよ。キミたち、なんかヘンなんだもん」
「──そんなことないだろ」
「あるよ。ヘンだよ。急に普通になったよ。あたしの知らないところでケンカでもしたの?」
「ケンカもしてない。俺たちは、学院の先輩と後輩で──友達だ。普通なのが普通だろ」
「ふーん?」
アルルが喉を鳴らした。
そこからだいぶ長いこと、足音だけの時間があった。
「シェマは──久しぶりに会って、昔を思い出してただけだよ。学院に行ってた頃にさ、いろいろあったんだ」
「たぶん恋人だった」
足音が止まった。
「──シェマか」
止まった足音をほっといて、ずんずん先に進んでいく。
「そうだよ。びっくりだよね、おんなじ事言ってた。しっぽ髪いわーく、キ、ミ、が、昔を思い出してるんだって。あたしは、アルルがいいんなら、いいよ。うん。ぜんぜんいい。でもしっぽは言ってたよ。キミにまた会えて良かったって。やっぱり話してて楽しいって。そうだねー、あたしも見てて楽しそうだなーって思ってたよ」
いじわるな気持ちがどんどん口をついてくる。
なんで今しっぽ髪の話なんかしちゃったんだろう。
ケンカみたいになっちゃったじゃないか。ばーか、ばーか、ばーか。
足音と、光が追いついてくる。
かつかつかつ、こつん、こつん、かつかつ、こつん。
不規則な足音、やけにゆれる光。
「──ちゃんと話しなよ」
振り返らずにそう言った。いくつかの足音がしてから小さく
「そうだな」
と声がした。
やがて道は、臭い水溜まりに行き当たった。
「ここ、か?」
背中に降りかかるアルルの声に、ヨゾラは小さく首を振る。
「ここをね、ずっと向こうまで行けたはずなんだ」
暗い中をずっと歩き続けてぶつかったのが、この水溜まりだった。
筒状の下り坂を、池が楕円に塞いでネズミだの魚だの虫だの死骸が浮いている。
口の周りを袖で多い、もごもごとアルルが呟いた。
「お前、ここから来たって言ったな?」
「うん。でもあたしが通ったときにはこんなんじゃなかった。こんな池はなかったし、ちょっとだけ明かりもついてたよ。ここを、もっとずっと行った奥のね、もっと広い場所で目を覚ましたんだ」
「明かり、ね。確かにそういう魔法陣が天井にあるよ。でも、
魔力の光で天井を照らし、そんなことをアルルがつぶやく。すいっと光が降りて、死骸だらけの水溜りを照らした。
「虫や鼠は?」
「いた、と思う」
ふむ、とアルルが考え込むような声を出す。
「戻ろう、ヨゾラ。これ以上進めそうにないし、魔力も薄くて空気も悪い。こんなところに長くいたら病気になっちまうよ。外に出て話そう」
ふわりと魔法の明かりを揺らして振り返り、アルルが付け加えた。
「登りだな……」
外はまだ明るかった。
穴ぐらの空気を肺から押し出すようにアルルは息を吐き、吸って、吐いた。そのまま適当な石に腰かける。
ヨゾラは別にどこでもいい。顔の見やすいところに座る。
「あの水溜り、海の水だった」
最初に口を開いたのはアルルだった。
「なんでわかるの?」
「魚の死骸が浮いてただろ? あれ、シッリだよ」
「あ、前に食べた」
「おう、油もとれる。肥料にもなる。海の銀貨って呼ばれてる。つまり、あの水は海からきたって事だ。でも、水がたまったのはごく最近じゃないかな」
南側、海の方角にアルルが目をやった。
「──ネズミ?」
魔法使いのぺたんこ鼻が嬉しそうに広がる。
「そうだ。よくわかったな」
「へへへー」
目に付いたから言ってみただけだけど。
「真冬ならともかく、鼠の死骸なんてほっといたら一週間でぐずぐずだ。でも、蛆も蝿も湧いてなかったろ? あれは数日以内の死にたてだよ。あの奥に住んでたのが、流れ込んできた海水に押し流されて」
アルルが急に黙った。眉根を寄せて深呼吸をした。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと思い出しちまって……大丈夫だ。とにかく、ごく最近まであの道は奥まで通じてたと思うよ。どこかに穴でもあいたからか、
潮の匂いを含んで森に、初夏の風が吹く。
「じゃ、お前の番。あの奥で、俺に何を見せたかったんだ?」
「うん。あのね──」
ヨゾラは話す。この人なら、アルルなら、と思う。
道の先が、海竜を凍らせた小島の中に繋がっていること。
あの小島の中は空っぽで、底に魔法陣が描かれていたこと。
そしてその魔法陣が、自分の生まれたところに繋がっていたこと。
だから、あれだけ大きな魔法が発動したこと。
なによりも
「思い出したんだ。あたしが生まれた街の名前」
アルルは思わず座っていた石から降りて、顔をヨゾラの高さになるべく合わせた。
いままでのような、断片的な話ではない。具体的な名前が出る。初めての魔法のときよりも、ヨゾラの言葉に集中した。
「ここよりずっと暑くて、アルルみたいな肌の人がたくさんいて、便利な魔法がいっぱいあるところだったよ」
心の準備を整えるように前置きして、小さな黒猫は言った。
「街の名前は、シュダマヒカ」
しばらく、言葉が出なかった。
アルルの心の中で、「それはあり得ない」と「それしかあり得ない」が激しく入れ替わる。
シュダマヒカ。高度な魔法技術で栄えたとされる、
だが、ヨゾラがシュダマヒカの生まれと仮定すれば、いくつもの言動が符合する。
「もしもーし、アルル、黙っちゃわないでよ。怖いよ」
緑の瞳がのぞき込んでくる。そう、例えばもしもし。
手を伸ばして、手のひらに収まってしまうほど小さな頭を包んだ。
「ヨゾラ。シュダマヒカは、お前の生まれた
ヨゾラの両目いっぱいに期待が浮かんで、アルルは苦しくなる。
「だけど、もう、無いんだ」
上下左右、黒猫の瞳があちこちに泳いだ。
「シュダマヒカは、五百年も昔に、突然消えたんだ」
「──ほんと、なの?」
アルルは頷いて続ける。
「西部も中部も、ずっと昔は帝国シュダマヒカっていうでっかい国の一部だったんだ。それがなくなって、いくつもの国に分かれて、今の形になったんだよ」
「あたしは、でも、そこで生まれたよ? ほんの少しだけど、覚えてる事もあるよ。爪でひっかくと開く扉とか、白い服の優しいおじさんとか、覚えてるんだよ?」
「それは……俺にもわからないよ。例えば、たとえば」
アルルは考える。
「例えば、誰かがお前をここに連れてきて、どんな魔法か知らないけど、お前を五百年眠らせたとか。だからお前は、実は五百歳なのかもしれないぜ。あと、そうだ。俺が知らないだけで、同じ名前で別の国や街があるのかもしれない」
「つまり……ふしぎなわけか」
「だから調べる。近いうちにまたここにも来よう」
「うん。あたしの仲間とかも、見つかるかな?」
「探そう。シュダマヒカは無くなったけど、中部や西部からヒトがいなくなったわけじゃない。それと一緒だ。きっとお前の仲間も生き残ってるよ」
アルルは立ち上がって、膝の土を払った。
「帰ろう」
ガス灯に照らされた
今日はよく歩いた。
明日からの旅支度はほとんど終わっているので、もう大してやる事はない。
宿舎の灯りが近づいてくる。にぎやかな声が聞こえてくる。宿舎の窓に何人もの人影が見える。
なんだ?
宴会を、やってる?
廊下で?
その廊下の窓が大きく開いて、上機嫌な酔っ払いが身を乗り出した。
「アルルくん、おそーい!」
聞いてないぞ、と声が漏れた。
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