第161歩: 優先調査権
アルルのしゃべる量と食べる量が、なんとなく減ったようにヨゾラは思うのだ。
元気は、ある。しゃべるのと食べるのが減ったかわりに、動くのが増えたような気がする。
つまり、いつも何かをしている。
仕事の数も多くて、ウ・ルーのあちこちをせかせかと回っては、やけにきびきびと働いている。帰るのも遅い。
そのくせ、しばらくさぼったからと早起きして魔法の練習をしているし、ヨゾラもなんとなく付き合ってしまうから毎日眠い。
海竜を捕まえた
うなぎの首は、木曜まで
脂をたくさん含んでいてよく燃えたらしく、仕事で行った七区の外れからでも黒く煙が見えた。
うなぎが何をしたって言うんだろう。そう訊いたら
「きっと、怒る相手が必要なんだよ」
そんな事をアルルは言った。
「俺も、人のことは言えない」
街を歩けばそこかしこから「うなぎ」「うなぎ」と聞こえたし、この街の偉い人たちも見に行ったらしい。
高波も、その後の海の荒れも、あのうなぎが湾に迷い込んできて海竜が怒ったからだ、と新聞に載った。
アルルがその新聞を買って、一緒に読んだ。
──協会に勤務する魔法使いは、相棒の猫を肩に乗せ、こう語った。
「怪物を恐れるのは、魔法使いの仕事ではありません。私は流れ者ですが、街を襲った悲劇に黙っていることはできませんでした」
こんなこと言ったかぁ? というのが本人の感想だ。
協会にも人が押し掛けて「これは本当か」「海が凍ったってなんだ」「絶対安全なんだろうな」「いくら払って書いてもらったんだ」とうるさくて大変だったので「依頼のない方お断り」とはっきり入り口に掲げてある。
ヨゾラ自身にもひと悶着、いやふた悶着あった。
ひとつめ。
ファー夫人にばれた。
アルルは一度、エレスク・ルーで嘘をついていたから、夫人はとても不愉快そうにした。きっと怒ったんだとヨゾラは思う。けれど、ヨゾラが自分の言葉でしゃべったら、思った以上に効果があった。
だれが毛皮にされたいもんか。あたしがキミから隠れるために、アルルが嘘をついたんだ。あたしを守ったんだ。アルルは悪くないぞ。怒るんならあたしに怒ればいいだろ。
そういうふうに言ってやった。
それでも、やっぱりアルルは嘘を言ったことは謝って、こんどは丁寧にお願いしていた。
どれだけ大切で、一緒にいたい存在なのかということも、また、どれだけ魔法の発展にとって貴重で、重要な存在であるかということも、たくさんの言葉をならべて伝えて、思い返すとヨゾラはにやけてしまう。
夫人は、不満そうではあったけれど、結局は引き下がった。
許してもらえてよかった、とアルルは言っていた。
往還船は七号の他に、三号と九号が残ったものの、あとは行方がわからないらしい。
お金のためにお屋敷を売り払うことになっていたと後から聞いた。だからもう、毛皮どころではなかったのかもしれない。
前の日にアルルが優先調査権を主張したことも、関係あったのかもしれない。
優先調査権。これがふたつ目だ。
ロッキもアルルも協会の中だけに話をとどめたかったようだけど、往還船の乗組員から噂になった。いまでもなっている。
とんでもない魔法を使った猫がいると。
アルルが忙しいのは、これのせいもある。
アルルは言った。
「ヤミヌシの時は、魔力を生み出したってのがとんでもなさすぎて、どういうことなのかさっぱりわからなかった。だけどお前が海を凍らせたのを見て、見当がついたよ」
月曜日、ロッキと支部長を交えて四人で話した後の事だ。
海を凍らせた魔法について、協会としても見過ごすわけにはいかない。あの規模、あれだけの魔法を引き出せるものを野放しにはできない。静かにそう述べたロッキに、アルルはすぐ答えた。
「ヨゾラは誰にも渡しません」
このとき、はっきり、好き、ってなった。まだ痛いし、切ないけど、とても大事で、手放しちゃいけない気持ちだと思った。
アルルはこうも言った。
「ヨゾラを発見した魔法使いとして、優先調査権を主張します」
新種の「不思議なもの」が見つかった場合、発見した魔法使いはそのものを優先的に、つまり、他の人に邪魔させずに調べるけんりをしゅちょう──この言葉の意味は、分かりそうでわからない──できるらしい。
そういえばしっぽ髪もそんな事を言っていた。「あなたたちが先に出会ったのだものね」とかなんとか。
ヨゾラがちょっと気に入らないのは、この「優先調査権を主張する」っていうのが、しっぽ髪の入れ知恵だったことだ。
入れ知恵。新しい言葉を覚えたぞ。日曜の朝に聞いたらしいけれど、今回は内緒にしなかったから「ばーか」とは言わないでやる。
それで、権利を主張した以上、なにかあったら全部アルルの責任なんだとヨゾラは教えてもらった。
つまりあたしが何か悪いことをしたら、アルルが悪いってことになる。でもしなきゃいいんだろ? 悪いこと。
そういうわけで、アルルは調査権申請の報告書をまとめなきゃいけない。
今日がアルルのお仕事最後の日で、最後のお給料ももらったけれど、今日はたぶん部屋から出ない。
時々ぶつぶつと考え事をしつつ、書き物を続けるアルルをヨゾラは眺めている。待ち人はまだこない。
──たぶんだけどな、とアルルは言った。
「お前の魔法は、俺のと逆なんだよ。さかさまのフィジコなんだ」
さかさまフィジコ。
「俺が魔力を、熱とか力場とかに変えるのと反対で、お前のは熱とか、物が動く力を魔力に変換するんだ。魔力を生み出すけど魔力を消費もするみたいだから、完全な逆とはいえないけど、どうもそういう事に思えるよ。それでさ」
真剣な顔をして、茶色い魔法使いが鼻をしごいた。
「俺、お前の事もっと知ろうと思うんだ。調査ってだけじゃなくて、ちゃんと知ってないと、何かあったときに、お前を守れないんじゃないかって気がする。お前自身が、お前のことをわかってないってのは知ってるけど、もし何か思い出したら、すぐ教えてくれ。よくわかんない事でもいいからさ」
うん。と答えた。このときの気持ちの名前は、知らない。好き? うれしい? あんしん? 近いけど、ちょっと種類が違う。
アルルが忙しく働いている間に、ひとつ思い出したことがあって、明日の
だけれど今日のところは、別の人とお出かけだ。
約束通り、ブラシを買ってもらうのだ。
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