第153歩: 二つ目

 湾の荒波からひとつ、波がはぐれて海道を駆けのぼる。

 押しのけられた水が左右の岩岸いわぎしに、白く砕けて跳ね上がる。

 島の入り江を形作る岬の向こうに、三日間待ち続けたが鎌首をもたげてから数分。


 見張り台の鐘の音と、やおら慌ただしくなった船の喧騒を背負って、アルルの意識は遥か前方の小舟へ集中していく。


 来い。

 来い来い。

 食らいつけ。


 魔力を放出し続ける三本の「糸」のうち、右手の一本に魔法を通す。

 一拍の

 縄で一房に束ねられた革袋が、ふわりと上がった。

「舟、引いてくれ!」

「プーシュ! プーシュ! プーシュ!」

 アルルの合図に水夫が綱を引き、ぴんと張った綱が海中から飛び出して雫を落とす。小舟がみるみる戻ってくる。

 右肩からヨゾラの鼻息が聞こえる。

 

 アンケリアスがずりヤツメの仲間なら、あの口、同心円に並んだヤスリのような歯は獲物に取り付き、ための歯だ。

 だからこそ、複数の革袋を束ねてある。

 ひとまとめにした火薬袋を下から見た時、ヨゾラは「何かの花に似てる」と言った。


 形は似てても、凶悪な花だ。

 鉛玉をしっかり飛び散らせるために魔法ハジケリで火薬に細工をし、生き物の喉元で炸裂させるための花だ。

 ──あいつらには、見せたくない。

 南半島の少年ウーウィー少女ピファに後ろめたさを感じながら、アルルは火薬の花を上昇させる。

 に泡が立つ。白く水をこじ開けて、へら型の頭が出る。


 ──仕事だ。集中。


 目を細め、唇を湿らせた。


 獲物は遠く、目視には限界がある。距離のせいで、「糸」に魔法を通してから発動まで間も開く。細かく狙い打つような真似はできない。

 それなら。

 上へ上へと逃げる火薬袋を追いかけて、白く長大な身が海から芽吹く。背を反らすようにしてアンケリアスが伸びていく。


 ──いま。


 アルルは魔法フィジコを切った。

 白樺のように真っ直ぐその身を立てた白うなぎが、革袋の花に追いつく。



 ずりヤツメが獲物に食いつくとき、その口は相手をくるむようにすぼまる。そうやって歯を立て、体液を吸うのがヤツメ類の捕食だ。

 「翼」を折られ、喰われかけ、と散々な目にあった航海初日だったが、収穫もあった。

 獲物に食いつこうとが口を開くとき、同時に喉穴も大きく開く。


 アンケリアスが口をすぼめ、火薬袋の花に食いついた。

 アルルは二本目の「糸」に魔法を通した。


 うまくいけよ。


 白うなぎの身体が垂直に伸びた今、狙いを定める必要はない。

 ただまっすぐ力場を、真下へ。


 周りの革袋を押しのけて、喉穴へ滑り込んだはずの中央の弾薬袋。それが本命だ。火薬につながる最後の「糸」へ、すかさず魔法を走らせる。

 イメージは熱。赤熱した鉄。


 いけ!

 

 晴天の海上に生えた白樺が震え、どぅん、と正午の大砲のような音が遅れて届いた。



 船の誰もが固唾を飲んで、白うなぎを凝視する。

「やったか!?」

 船長の声が静寂を割る。

 アルルは答えない。アンケリアスが口から黒煙を吐いてのには目もくれず、意識を開いて魔力を取り込む。


 鋭く、鋭く、力を束ねて、いっぺんに、一点に。

 右の脇腹が疼いた。


 放つのは、以前にヤミヌシを殺した魔法。

 銃弾を模した力場に、びくん、とうなぎの首が跳ねた。表皮が波打ち、衝撃がその身を伝わってさざ波を立てる。

 その様子を手がかりに、アルルは力場の向きを修正する。赤い目玉の間、脳があるだろう場所を探って。


 二発目。

 修正。


 お前が、お前さえ


 三発目。

 修正。


 お前さえ来なければ


 四発目。

 確定。


 お前さえ来なければ!


 五発目。

 六発目。

 七発目。

 八発目。

 九

「アルルさん」

 目の前を縦長の顔が塞いだ。


「そろそろ──いいんじゃあ、ないですかね?」


 眼前にしゃがみこんだハマハッキの肩越し、その口調と同様に、ゆっくり倒れゆく海の白樺が見えた。



 うなぎの首が不自然に折れ曲がり、だらりと下に向いた頭が真っ逆さまに海中へ落ちる。

 呆然と、アルルはその様子を見た。首元にヨゾラが頭を擦り付けて来たのを感じてなお、沈むアンケリアスから目を離せなかった。


「ひどい顔してるぜえ。あれをほとんどあんた一人でやっつけたってのにさ。すんごいじゃないフィジコ」


 ハマハッキが立ち上がりつつ、左肩を軽く叩いてくる。思ったよりも厚みのある手だった。

 あいまいに頷いて返す。顎に溜まった汗を拭う。


 言葉としては誉められたはずだ。しかし重苦しい。


 暴力だ。いまのは。

 アルルは思う。

 途中から、ただ怒りにまかせて、暴力を振るった。

 それに仄暗い快感が伴ったのも自覚していた。

 ハマハッキが止めてくれなければ、いつまでも撃ち続けただろう。

 そう思う。


 撃ち殺した白うなぎの、長大な胴が沈んでいく。頭に追随してずるずると、胴の続きが海面に出ては、沈んでいく。

 背と腹にひれが長く続いているのに、いまさら気がついた。

 魔法使いも含めて、手の空いている者はいつの間にかアルルの周りに集まって、沈むうなぎを見つめていた。

 

「いつまで沈むの──?」

 シェマがふと呟く。

 呼応するようにクービアックが、つづいて船長が叫んだ。

「──何かおかしくないですかい!?」

「錨を上げろ!」

 

 がちちち、がちち。

 船首側で巻き上げ機の片回りラチェット機構が慌ただしく音を立て始める。


 海面に出ては沈む胴。

 アンケリアスが魔力に釣られる「不思議なもの」であったとしても、その有り様は実体を持つ生き物だ。そしてあれは、沈み方ではない。


 潜り方だ。


 最後に出てくるのはびれ

 全員が抱いた予想を裏切り、水飛沫を巻き上げ立ち上がったそれは、イソギンチャクの如く肉厚で流麗な房を白くたてがみとした、二つ目の頭だった。

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