第149歩: わらわめ

 波が船を打ち、甲板を駆ける水夫の足音は天井にじかに響き、船室が大きく揺れるたびにハマハッキの口から乾いた笑いが漏れる。


「へへへ、これ、沈んだりしないんですかね」

 ぐるぐる巻きのハマハッキに、吊り床ハンモックのロッキが答えた。

「波に備えて、船底に重石を積んであるそうです。引き換えに揺れは大きくなりますが、この程度で沈みはしないとの事でしたよ」

「へ、揺れるのにですか? はー、まぁ……船長さんを信じますかねぇ……へへ」

 

 先週に、その重石の運び込みをアルルは手伝った。崩れた倉庫のれんをどけ、さらに重石を掘り出す作業の合間に、何に使うのかも聞いた。

 最後には、瓦礫の一部も重石として運び込んだ覚えがある。

 

「えっとー! あたし、しゃべっていい!?」


 肩の上で、ヨゾラが大きく声を出した。弾かれたように魔法使いたちが頷く。

 揺れる船室で手紙を読むのは辛い。ペブルからの手紙を覚えていると言うので、そのままヨゾラに話してもらうことにしたのだった。


 黒猫が前足で鼻面をごしごしこすり、ふん! と鼻息を一つ吹く。


「わるいアルぼう。ドゥトーのやつにもきいてておそくなった!」


 シェマの口が「あるぼう?」と動くのが見えて、しまった、とアルルは思った。

 この黒猫が話を事は予想しておくべきだった。


 ヨゾラの声が父の口調で書かれた文を読み上げるのも落ち着かないし、そのわりになかなか上手に読むのが、恥ずかしいような誇らしいような気分で、尻がむずむずする。

 なんだ、これは。


 ヨゾラが暗唱を終えた頃に再び「アル坊」とシェマの口が動いた。今度は、瞳にいじわるな光を忍ばせて。

 ほっとけ。


「素晴らしい記憶力ですね」

「あんな短い間に覚えてしまうとはな」


 感嘆の声を漏らした二名のうち片方は、かもめと一緒に吊り床ハンモックの上。もう片方は柱につかまるに首根っこを押さえられている。

 肩のヨゾラが、唐突に後ろ脚で耳を掻くなり牙を剥いて「にっ」とした。

 照れ隠しか、今の? アルルはそう勘ぐる。


 ロッキが一息ついて、ゆっくりと声にした。


「いろいろと、興味深い内容でした。思い返せば船長も、白うなぎアンケリアス──彼は『赤目玉』と呼んでいましたが、あれを海竜だと思っていた節がありました」

 その言葉にふと浮かんだアルルの疑問は、続く話ですぐに解消される。

「訂正はしておきました。しかし、彼の勘違いにもそのあたりが関係していたのかもしれませんね……」

 それでか。だから躊躇無く大砲を撃てたのか。


 アルルの納得をよそに、半ば眠りに落ちそうになりながら、ロッキが肺の空気を根こそぎ吐き出す。


「して、ロッキ殿はあの白蛇もどきを存じておるのか?」

「ちょっとケト」

 王族ネコガトヒアウの言葉遣いをシェマが諌める。気にした様子もなく、かもめの魔法使いが重たく口を開く。

「私も話に聞いた程度ですよ。五十年前の『星落ち』以降、南の海に出没しはじめた獰猛なだそうですが──南半島の口伝については、不勉強でした」


「うなぎってなに?」

 ヨゾラからの疑問。

「細長い魚だよ。松葉糖ふりかけて乳脂で焼くと美味い」

「よく食べようと思うわね、あんな気持ち悪いの」

 ミミズでも見るような目で、シェマに一瞥された。

「調理済みなら大丈夫なんじゃなかったのか?」

「それは」

「ちょいと? その話あとにしませんかい?」

 クービアックにやんわり咎められ、きまり悪く二人は口を閉じた。主人の代わりに場を引き継いで、かもめが鋭くくちばしを鳴らした。

白うなぎアンケリアスも気になりますがね、あっしらの魔法がぶったぎられたのは、誰か心当たりありますかい? あっしにはてんで見当もつかねえんでさ」


「どういうことです?」


 ハマハッキが船室の驚きを代弁した。

 切られる、というのはあり得ることだ。たとえば不慣れな魔法の最中に、ふいに話しかけられたなら。

 そんな場合には当然、本人が気づく。


「ロッキ様があっしから引き出した現象に、何かが干渉してきたんでさ。例えるってんなら、巣づくりで編んだ草や小枝が、なぜか突然砂に変わってたってなもんです。わかりますかね?」

 例えはともかく、フィジコを失敗して魔力だけが空回るような感覚なら、アルルにもよくわかる。

 あの時、かもめの止まり木が突然解かれた時、自分は何をしていたか──。


「件の童女わらわめであろうな」

 いくぶんか確信めいた口調でケトが言う。

「やっぱり『不思議なもの』だったのかしらね」

 どこか願望をこめた口調でシェマが言う。

「──海に落としたときは、どうしようと思ったけれど」

「落とした?」

 アルルの問いかけに、先輩が弁解するように眉を下げた。

「きみを責めるつもりなんてないのよ」

「いや、そうじゃなくてさ」

 アルルの認識とは、少し話が食い違う。

「落としてないぞ。あの子は、なんていうか、んだ」

 



 帆柱の上にいた女の子、髪も肌も真っ白い女の子が帆柱から跳んだあと、アルルが捕まえた所をヨゾラは見ていない。

 アルルはたしかに受け止めたと言った。受け止めた体が乾いた落ち葉みたいにと砕けて、女の子はいなくなったと。

 だけどしっぽ髪は、女の子が海に落ちたのを見たと言った。遠くて細かくはわからなかったけれど、すれすれで受け止め損ねたように見えたと。

 確かに、あの時「落とした!?」と叫んでいたのをヨゾラも覚えている。


「どっちにしても、人の子じゃなかったんだよ。……マンジァ様のおやしろで会ったときには、泣くほど嬉しかったんだけどな」


 残念さを滲ませるアルルの言葉に、しっぽ髪の眉毛が寄っていった。

「前にも会ったの?」

「シェマもいただろ。高波の日にさ、やたらと元気いっぱいだった、真っ白な女の子だよ」

 シェマが首を傾げ、しっぽ髪が揺れる。

「なにを言ってるのよ?」

「いや、いただろ? シェマだって話をしてる」

 聞いてるしっぽ髪の顔はどんどん困惑を深めていって、それに合わせるみたいに、アルルの顔も疑問符を並べていく。

 確かめるようにゆっくりと、シェマが言った。


「アルルくん、あの時の子は──別の子だったでしょう?」

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