第147歩: ドィ、セィ、プーシュ

「かめーっ!」

 ヨゾラが叫び声をあげるのを後ろに、アルルは船縁に駆け付け魔力視を開いた。

 せいぜい二十パソほどの距離。山状の渦となって白い怪物に絡みつく水塊の中、ヒレを持つ涙滴型の魔力の影がえた。

 同じ形に見覚えがある。以前、ヨゾラがひたすら数を数え続けた日にた。

 間違いない。


「海竜です! 海竜が来ている!」


 細かい様子はわからないが、ぐん、ぐん、と涙滴型が動くのに合わせて、白いうなぎは長い身をよじって抵抗している。

 突如始まった巨大なもの同士の争いに、海のうねりが激しくなっている。波の砕ける音が雷鳴のように船を震わせる。

「どうする、魔法使い殿!」

 雷鳴を割ってすぐ後ろから発された船長の問いに、胃袋がきゅっと縮みあがるような感触を覚えた。


 どうする──?


 海竜の捕獲を始めてしまっていいのか? そのためには白いのを何とかしなければならない。どうやって? 大砲の直撃を受けてなおあれだけ激しく暴れる生き物に、どう立ち向かう? 無事で済むのか? 俺が決めてしまっていいのか?


 思いがけない状況で、目は無意識に先輩の姿を探してしまう。

 シェマは先ほどと同じ場所に立ち、なかば青ざめた顔で怪物どうしの争いを凝視していたが、アルルと目が合うなり我に返ったように叫んだ。

「今ここでは無理よ! 準備もなにもできてないわ!」

 そして、直後に飛び込んできた蜘蛛ハニの言葉が決定的だった。

「伝言でんごーん! ロッキさんがぁ『かもめの止まり木がもうもちません。急いで離れてください』だそぉですぅ!」



 すかさず船長の指示が飛ぶ。



「装填やめ! 取り舵! 縦帆たてはんまわせみなとげんに結び! そろそろ海風だぞ回遊魚ムウトカラツども! ここから半線路長メイオ・トリリヨをとって結び換えだ!」

みなとげん結び! 打風航うちかぜこう用意!」

 回遊魚ムウトカラツ、すなわち往還船の船乗りたちが呼応して、帆桁を固定する綱が一斉に解かれ始めた。


「ドィ! セィ!」

「プーシュ!」

「ドィ! セィ!」

「プーシュ!」


 独特の掛け声で綱が引かれ、腕木が回って帆の角度が変わる。舳先が左へと回っていく。

「舵戻せぃ!」と船長が船尾へ怒鳴る。

「船を押します!」

 そう船長に宣言してアルルは駆け出したが、後ろから襟首を掴まれた。

「待て。船の航行はこっちの領分だ、勝手は困る。オレの許可を取ってからにしてもらおう」

 七十越えの老人と思えない力だった。振り向かされ、忌々しげに見下ろされる。ヨゾラが抗議の声をあげて、むしろアルルは頭に血が昇らずに済んだ。

 振り返って手と目で黒猫を制し、言葉を継いだ。


「船を、魔法で押します。この船がウ・ルーに帰ってきた時も同じ事をやりました。船足のにはなるはずだ」

 船長の目がわずかに和らいだ。

「──ありゃ、あんたの仕事だったか」

 多少考える素振りがある。が、結果的には断られた。

「あん時は助かった。が、今は人も帆も風も揃っている。船はオレたちに任せて、あんたらは不測の事態に備えて待機してくれぃ。それからあっちの娘ともども、その濡れた服を替えておくことを勧める。うちの士官に言って、水夫服を融通してもらえ」

 

 それで話はおしまいだ、と言わんばかりに船長は船尾へ向かい、アルルは再び海へ目を戻した。

 不測の事態。

 言ってしまえば、帆柱の童女を追ってからここまで、全部その「不測の事態」だ。


 づなが右舷に結ばれる。徐々に怪物たちが右後方へと遠ざかって行く。アルルをしつこく付け狙ってきた生き物の意識は今、水の拘束から逃れる事に注がれて見えた。

 ここにきてようやく、アルルはその様子を観察できる。

 高く振り上がる型の頭は、天辺てんぺんかくに達するほどだ。貝や藤壺類で鎧った頭の側面に目玉が赤く光り、それに続いて、目玉のような黒い穴が七つ並んでいた。

 あれはおそらくえらだ。大きさは全く違うが、似たような生き物がララカウァラの小川にもいる。


 あいつ、ズリヤツメの仲間か?


 白いうなぎは水の塊に激しく頭を打ち付け、また頭をねじ込んでこそぎ落そうとしている。水が相手であるのに、へら型の頭は水塊をすり抜けていかない。

 に干渉できているのだ、とアルルは理解した。見えるものにも、見えないものにも、両方に干渉できる種類の生き物だ。海竜を生け捕りに出来たとして、あれはっといていいのか──?

 何か一発打ち込んでやろうか。ふとそう思って、思い直した。怪物たちの姿はもう「糸」の届かないところまで離れてしまっている。なにより迂闊に注意をひいたら、今度こそ命取りだ。


「首、だいじょうぶ?」


 ズボンの裾を引かれて、足下のヨゾラに気がついた。

「ああ、まあ大丈夫だよ」

 喉のあたりをさすって答え、再び海に目を戻す。格闘する二匹のたちの姿は、船尾の向こうに遠ざかりつつある。


 どうやら、助かった。


 ひとつ息を吐き出して、思った以上に肩に力が入っていたのにアルルは気づいた。そして、寒い。

「ね、しっぽ髪が呼んでるけど?」


 ヨゾラの言葉に再び振り向くと、同じくずぶ濡れで、両腕で体を抱えたシェマが手招きしていた。

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