第142歩: 帆柱、カケス、櫂、士官

 シェマが相棒の王族ネコガトヒアウと出会ったのは十八歳。学院卒業の日で、周りと比べれば遅い方だ。気まぐれでぐうたらで、いつの間にかいなくなる上に口を開けば生意気な使い魔だが、いい加減な事は言わない。

 そのケトが緊迫した様子で先導する。


 揺れる船の狭い甲板下の通路を、体のあちこちをぶつけながら通り抜け、両手両足を駆使して狭い階段を登る。大猫が甲板への上げ蓋ハッチを頭で押し開けとすり抜けるのに続くと、大縦帆だいたてはんの下に水夫たちが集まっているのがシェマにも見えた。

 彼らが見上げる先、帆柱の最上部にはためく天辺てんぺんかくのさらに上、帆柱の先端にしがみつく小さな人影がある。

「あれね」

「さよう。くだんわらわである」

 件の、というのが何を指すのかピンと来ない。遠目でみる人影は、どうやら子どもか、という程度にしか見えない。

 だが、ただの子どもが、誰にも気づかれずにあそこまで登れるとは思えなかった。四角帆上部の見張り台からさらに十パソほど突き出た先端部は、揺れ幅のもっとも大きな場所だ。大人だって、ものの数分で振り落とされるだろう。

「あるじよ、あれが何者かわかるか?」

「いいえ。残念だけど」

 背筋が緊張する。あれがであるとして、シェマにも予備知識がない。何を引き起こすのか読めない。

 ケトが緊迫していたのもこの理由だろう。見知らぬ人間を生死を気にかけるほど使い魔は博愛ではない。


「シェマさぁん、お尻どけて欲しいですぅ」


 甘ったるい口調の文句が来て、急いで階段から抜け出た。立ち上がろうにもよろけるので、手早く魔法を発動する。

王族ネコガトヒアウは──」

 どっしり構えた。

 ハニが勢いよく飛び出たのに続いて、ハマハッキも階段をよろよろ登ってくる。

「ロッキさんらは、まだ『止まり木』を出さないんかねぇ」

 明るい場所で見ると、その顔は青ざめていた。船酔いだろうか。

 気の毒には思うが「かもめの止まり木」の使用は船長判断でとなっていた。船一隻に対しての「止まり木」がどれぐらいで限界を迎えるか、他ならぬこの船が帰ってきた日にわかっているのだ。

 よろけたハマハッキがぶつかってきそうで、シェマは先手を打つ。

「私の手を取って。魔法を分けるから」

 手を取り、安定を感じたのか「こりゃいいわ」と小さくハマハッキが声を漏らす。

 次いで小さい方の黒猫が上がってきて、この姿に目を止めた。

「なにやってるの?」

「転ばない魔法よ」

「いや何やってんだ」

 その向こうに覗いた後輩の真っ黒な瞳は、曇り空へまっすぐ向いていた。



 

 くぉおおおん! 船の鐘がひとつ鳴って半刻を知らせる。

 じぇええええ! 鳥の甲高い鳴き声が聞こえる。


「当番中の者は手をとめるんじゃあない!!」

 士官が水夫へ怒鳴る声のなか、アルルは素早く周りを見回した。船の上は「翼」を開くには障害物が多すぎる。固定された小舟や数門の大砲が目に付くが、頑丈で無駄に転がっているものはない。

 杖を持ってくればよかった。軽く舌打ちする。


 いや、小舟があるなら、当然あれもあるはずだ。


「アルルくん?」

「マズいだろ行かなきゃ」

 短く返し、上を指し、数歩離れた小舟へぶつかるように身を運んだ。中を覗く。あった。中へ転がり込んで掴む。

「待って。正体不明のかもしれないのよ?」

「子どもかもしれないだろ?」

 取り外した櫂を手に、小舟から言い返した。

 先輩の言いたい事もわかる。しかし魔法使いと使い魔が、揃いも揃って何を見てるんだ、という苛立ちもあった。あれこれ考えている間に何かが起こるのは、水壁だけでもうたくさんだった。


 じぇ! じぇえええええ!


 上空から再びの甲高い声に、アルルは再び舌打ちする。四ツ把カケスめ、時と場合が悪すぎる。

 先ほど水夫を怒鳴っていた士官がこちらへ向かってくる。

 ヨゾラが小舟の縁に飛び乗ろうとして、失敗して転がり込んでくる。

「いってぇ……」

「ヨゾラ、今回は下で──」

「魔法使いさんがた、ありゃ何だ!? 何とかできないか!?」

 じぇっ! じぇじぇ、じぇっ!

 ヨゾラを説得しようとする所に、先程水夫を怒鳴っていた士官が、そしてカケスが。

 安定しない足場。けたたましく鳴き、顔の前で羽をバタつかせるカケス。櫂で塞がっている両手。詰め寄る士官。

「あそこにゃ支索も繋がってないんだ! 登るにも揺れがキツすぎて手が出ん!」

 一度に色々な方向から詰め寄られ、それぞれの対応が頭の中で引っ張り合いを起こして、アルルの手が止まる。


 すっ、と青い袖が目の前を横切った。


「カケスさん、カケスさん、どうぞこちらへ」

 羽音と鳴き声が止んで、視界が開ける。

「はい、手紙と銅貨とって」

 小舟のへりで身を支えて、先輩が腕にとまらせたカケスを差し出していた。

 その向こうでハマハッキが「はいはい、大丈夫です。今から何とかしますんで」と士官の相手をする。


「私にはけっこう重たいの。はやく」

 言葉の通り、わずかに顔を歪めた先輩のまっすぐに伸びた腕は、鳥を乗せて小刻みに震えていた。櫂を立て、アルルは素早く手紙とカケス銅貨を受け取ると、鞄の中のパンを雑にちぎってシェマに渡した。

「助かった。悪いけど、エサを頼むよ。──ヨゾラ」

 声をかけながら、ちらりと帆柱の上をうかがう。今行くからな。

 小さな黒猫が、顎をツンと上げて先を促してくる。頼みたい仕事ができた。

「俺の代わりに手紙を読んでおいてくれ。親父からだ。海竜について調べてくれたはずだ」

「いいよ」

 ヨゾラの返事が力強い。

 カケス銅貨をポケットへ、筒状の手紙をヨゾラの足元へ。そして、立てた櫂の水掻みずかきへ片足をかけた。気づけば船の揺れはごく僅かだ。ロッキとクービアックが「かもめの止まり木」を発動させたのだと思われた。


 魔力を取り込む。

「気をつけるんだぜ?」

 ヨゾラに釘をさされて、ひとつ足元へ頷いて応える。

「行ってくる」


 櫂を握る手に力を込め、アルルは魔法フィジコを発動させた。

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