第137歩: 三日前のばーか
「眠れた?」
一番小柄な娘が口にした。
「どうにかね」
次に小柄な青年が答える。
「オレもぼちぼちだわ。シェマさん大丈夫だったん?」
一番縦に長い男が問い返す。
「なんとかね」
「酒の力であるよ」
大猫の言葉に男性ふたりが「なるほど」という顔をする。
「別にいいじゃない」
娘が口をとがらせた。
三人の魔法使いは、連れとともに
たあいもないやりとり。使い方はたぶん合ってる。
ヨゾラが見上げる茶色い魔法使いの腰の向こう、薄墨に藍をたらした空が見える。
雨は、降るかな。降らないでほしいな。
三日前、
あの人は静かに泣く。石の飛んできた日もそうだった。
アルルはあの時からずっと鍋に入れっぱなしだったガラス片を、ようやくガラス屋さんに持ってって帰ってきた所で、部屋にいた。なんでもあのバラバラで
そういえば、そうだったっけ。熱くして溶かすんだ。
しっぽ髪が泣いてた理由は、後で本人から聞いた。
夕方、アルルの部屋にやってきたしっぽ髪の目が、いつものきらきらでもぎらぎらでもなく、なんだかしっとり湿っていたのを覚えている。
「ええと、この間は、ごめんなさい。きみの言った事ももっともだったわ」
「なんの話……ああ、立てこもりの日か」
シェマがしっぽ髪を縦に揺らして頷いた。
「あれは……俺も、周りが見えてなかった。怒鳴ったりして悪かったよ。お茶でもいれようか?」
今度はしっぽ髪が横に揺れる。そしてシェマが、妙に言いづらそうに、こう言った。
「一杯、ごちそうして?」
あたしがいない間に、そんな約束してたんだって。言えよばーか。アルルばーか。
途中でしっぽ髪が郵便屋さんに手紙を預けたけれど「海がアレでしょう? 陸路で中部宛だと、届くのがいつになるやら何とも言えませんわねぇ」と言われていた。
しっぽ髪は少し下唇を噛んでから「構いません。お願いしますね」ときっぱり言った。
海のアレをなんとかするために誰が行くのか、それが決まったのがこの日の午前中だ。
アルル、しっぽシェマ、縦長ハマハッキ、ロッキさん。
しぶちょうが水曜日から一人一人と話して、それで決まった。
「そりゃあ、怖いけど──」
って飲み屋さんでアルルが言ってた。
なんで船に乗ることにしたか、シェマに訊かれて。
「でも俺、そこにいたいんだ」
アルルの足が両方、ぺたりと床に落ち着いた。
「どういうこと?」
しっぽ髪が訊いて、ことり、オゥル酒の
「
漁が出来ないから、
「そうそうに海にケリをつけねばならんな」
がケトきょーの感想だ。あたし、野菜も嫌いじゃないけどな。
「近寄れば?」
とシェマに促されて、アルルがまた話を始める。
「近寄れば……珍種の俺にもできることがあるはずなんだ。『不思議なものたち』が
アルルが一息でここまで言って、お茶をすする音がした。
「だったら、そこに行くんだ。何かが起こってる所に。『俺も行ってれば』なんて後悔はしたくない」
ことり、テーブルがまた鳴って、シェマが、とても柔らかくて優しい声をだした。
「今の、素敵よ」
ああ。と、この時思った。
ああ、しっぽ髪はきっと、あたしと同じ気持ちなんだ。
だって、あたしもそう思うんだ。
「──茶化すなよ」
「茶化してないわよ。酔ってもいないからね?」
だけどアルルは、この人を見るようにはあたしを見ない。
それはなんだか──。
──せつない?
「アルルはかっこいいぞ! あたしは知ってるぞ!」
急に浮かんできた言葉を振り切って、声を張り上げた。お店がざわっとした。
「そうね。私もそう思うわ」
しっぽ髪がテーブルの下をのぞき込んでくる。笑ったりはしていなかった。
「俺、どうすりゃいいんだ?」
テーブルの上から声。
「照れてなさい」
しっぽ髪が先を越す。テーブルの下から見上げる瞳がきらりとしたのを見た。
知りたいと思った。自分とシェマとで、何が違うのか。そして、それを尋ねる相手はアルルじゃないと思った。
「ねぇ、しっぽ髪」
薄茶の瞳がこちらを向く。
「あたし、キミとふたりで話がしてみたい」
おや、とケトきょーが声をもらした。アルルもテーブルの下を覗き込んできた。しっぽ髪はすぐに答えた。
「いいわよ。いつにする?」
「あした」
「わかったわ。朝食が済んだらいらっしゃい」
そう言ってテーブルの上に体を戻そうとしたシェマを
「待って、もういっこ」
と呼び止めた。
「今日、なんで泣いてたの?」
とたんにしっぽ髪が、ばつが悪そうに目をぎゅっと閉じた。
さとごころ。というこころは初めてだ。そして、本当によくわからない。
手紙を書いたら、さとごころが付いてそれで少し泣いてしまったと、だいぶ歯切れ悪く言われた。恥ずかしいのだろうか。泣くのが。泣いたことないからこれもわからないけど。
「もうすぐ派遣期間も終わりなのに、大変な仕事がきちゃったわよね」
泣いた話の最後がその一言で、アルルが驚いてた。
「なによ? ずっといると思ってたの?」
「そうじゃないけどさ」
ヒトどうしのやり取りを、またテーブル越しに聞く。ケトきょーは興味がないのか毛玉になって目を閉じていた。
「二年も北半島にいたのよ? お
「……そうだな。帰らないとな」
ふいに二人の声の調子が落ちたのが不思議に思えて、考えて、帰り道でわかった。
しぶちょうが言ってた「危険な仕事ですのでよく考えてから答えて下さい」っていうのは、そういう事か。
「急に呼び出してごめんね。でもありがとう、ご馳走さま」
宿舎の二階まで上がったところで、しっぽ髪が振り返る。
アルルが鼻をしごいて言う。
「給料もらったし、もっと飲んでも良かったんだぜ?」
「私を酔わせてどうするつもり?」
しっぽ髪の瞳は楽しそうに光って、アルルが答えに詰ったから代わりに言ってやった。
「けらせる」
「待って」
勝ったぞ、と思った。
この夜、寝る前にアルルに背中を撫でさせた。お腹も。お願いするのは、少し、ゆうきが要った。
「お前、こんなこと頼んできたの初めてじゃないか? どうしたんだよ」
言いつつもアルルはわしわししてくれる。どうしてか、なんて、そうしてほしいから以外にあるもんか。
「うるさい。たまには猫のフリしたっていいだろ? 可愛がれよばーか」
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