第137歩: 三日前のばーか

 五月マイゥの五日、火曜フォゴの朝。


「眠れた?」

 一番小柄な娘が口にした。

「どうにかね」

 次に小柄な青年が答える。

「オレもぼちぼちだわ。シェマさん大丈夫だったん?」

 一番縦に長い男が問い返す。

「なんとかね」

「酒の力であるよ」

 大猫の言葉に男性ふたりが「なるほど」という顔をする。

「別にいいじゃない」

 娘が口をとがらせた。

 三人の魔法使いは、連れとともにうちみなとを目指す。

 


 やりとり。使い方はたぶん合ってる。

 ヨゾラが見上げる茶色い魔法使いの腰の向こう、薄墨に藍をたらした空が見える。

 雨は、降るかな。降らないでほしいな。



 三日前、土曜日ティエハの午後、お昼のひと狩りを終えて帰ってきたら「泣くでない」とケトきょーの声がした。泣き声は聞こえなかったけれど、ケトきょーが言うんなら、きっとしっぽ髪だろう。

 あの人は静かに泣く。石の飛んできた日もそうだった。

 アルルはあの時からずっと鍋に入れっぱなしだったガラス片を、ようやくガラス屋さんに持ってって帰ってきた所で、部屋にいた。なんでもあのバラバラでとんがったガラスのかけらがまた窓とか瓶になるんだと言う。

 そういえば、そうだったっけ。熱くして溶かすんだ。


 しっぽ髪が泣いてた理由は、後で本人から聞いた。

 夕方、アルルの部屋にやってきたしっぽ髪の目が、いつものでもでもなく、なんだかしっとり湿っていたのを覚えている。

「ええと、この間は、ごめんなさい。きみの言った事ももっともだったわ」

「なんの話……ああ、立てこもりの日か」

 シェマがしっぽ髪を縦に揺らして頷いた。

「あれは……俺も、周りが見えてなかった。怒鳴ったりして悪かったよ。お茶でもいれようか?」

 今度はしっぽ髪が横に揺れる。そしてシェマが、妙に言いづらそうに、こう言った。

「一杯、ごちそうして?」



 あたしがいない間に、そんな約束してたんだって。言えよばーか。アルルばーか。



 途中でしっぽ髪が郵便屋さんに手紙を預けたけれど「海がアレでしょう? 陸路で中部宛だと、届くのがいつになるやら何とも言えませんわねぇ」と言われていた。

 しっぽ髪は少し下唇を噛んでから「構いません。お願いしますね」ときっぱり言った。


 海のアレをなんとかするために誰が行くのか、それが決まったのがこの日の午前中だ。

 アルル、しっぽシェマ、縦長ハマハッキ、ロッキさん。

 が水曜日から一人一人と話して、それで決まった。

「そりゃあ、怖いけど──」

 って飲み屋さんでアルルが言ってた。 

 なんで船に乗ることにしたか、シェマに訊かれて。



「でも俺、そこにいたいんだ」

 アルルの足が両方、ぺたりと床に落ち着いた。

「どういうこと?」

 しっぽ髪が訊いて、ことり、オゥル酒の寸胴杯ジョッキにテーブルが鳴る。

魔法フィジコが届く所まで近寄れば──」


 はるかぶらとリンゴ芋のスープが来て、中断。

 漁が出来ないから、青魚シッリも他の海の物も品切れなんだと髭もじゃのおじさんが言っていた。

「そうそうに海にケリをつけねばならんな」

 がケトきょーの感想だ。あたし、野菜も嫌いじゃないけどな。


「近寄れば?」

 とシェマに促されて、アルルがまた話を始める。

「近寄れば……珍種の俺にもできることがあるはずなんだ。『不思議なものたち』がれないのは知ってるだろ? そのせいでみんなみたいに病気を払ったりできないし、奴らのだって見つけられない。薬だって作れない物の方が多い。囁き猫を一網打尽にはできないし、人の怪我を糸で手当てしたりもできない。フィジコは便利だけど、俺がそこにいる間しか役にたたないんだ。だからさ」


 アルルが一息でここまで言って、お茶をすする音がした。


「だったら、。何かが起こってる所に。『俺も行ってれば』なんて後悔はしたくない」


 ことり、テーブルがまた鳴って、シェマが、とても柔らかくて優しい声をだした。


「今の、素敵よ」


 ああ。と、この時思った。

 ああ、しっぽ髪はきっと、あたしと同じ気持ちなんだ。

 だって、あたしもそう思うんだ。


「──茶化すなよ」

「茶化してないわよ。酔ってもいないからね?」


 だけどアルルは、この人を見るようにはあたしを見ない。

 それはなんだか──。

 ──せつない?


「アルルはかっこいいぞ! あたしは知ってるぞ!」

 急に浮かんできた言葉を振り切って、声を張り上げた。お店がざわっとした。

「そうね。私もそう思うわ」

 しっぽ髪がテーブルの下をのぞき込んでくる。笑ったりはしていなかった。

「俺、どうすりゃいいんだ?」

 テーブルの上から声。

「照れてなさい」

 しっぽ髪が先を越す。テーブルの下から見上げる瞳がきらりとしたのを見た。


 知りたいと思った。自分とシェマとで、何が違うのか。そして、それを尋ねる相手はアルルじゃないと思った。


「ねぇ、しっぽ髪」

 薄茶の瞳がこちらを向く。

「あたし、キミとふたりで話がしてみたい」

 おや、とケトきょーが声をもらした。アルルもテーブルの下を覗き込んできた。しっぽ髪はすぐに答えた。

「いいわよ。いつにする?」

「あした」

「わかったわ。朝食が済んだらいらっしゃい」

 そう言ってテーブルの上に体を戻そうとしたシェマを

「待って、もういっこ」

 と呼び止めた。

「今日、なんで泣いてたの?」

 とたんにしっぽ髪が、ばつが悪そうに目をぎゅっと閉じた。



 さとごころ。というは初めてだ。そして、本当によくわからない。

 手紙を書いたら、さとごころが付いてそれで少し泣いてしまったと、だいぶ歯切れ悪く言われた。恥ずかしいのだろうか。泣くのが。泣いたことないからこれもわからないけど。

 

「もうすぐ派遣期間も終わりなのに、大変な仕事がきちゃったわよね」


 泣いた話の最後がその一言で、アルルが驚いてた。

「なによ? ずっといると思ってたの?」

「そうじゃないけどさ」

 ヒトどうしのやり取りを、またテーブル越しに聞く。ケトきょーは興味がないのか毛玉になって目を閉じていた。

「二年も北半島にいたのよ? おうちに帰るわ……帰らなくちゃ」

「……そうだな。帰らないとな」

 ふいに二人の声の調子が落ちたのが不思議に思えて、考えて、帰り道でわかった。

 しぶちょうが言ってた「危険な仕事ですのでよく考えてから答えて下さい」っていうのは、そういう事か。


 

「急に呼び出してごめんね。でもありがとう、ご馳走さま」

 宿舎の二階まで上がったところで、しっぽ髪が振り返る。魔法フィジコの光に薄紅色のほっぺたが浮き上がっていた。

 アルルが鼻をしごいて言う。

「給料もらったし、もっと飲んでも良かったんだぜ?」

「私を酔わせてどうするつもり?」

 しっぽ髪の瞳は楽しそうに光って、アルルが答えに詰ったから代わりに言ってやった。

「けらせる」

「待って」

 勝ったぞ、と思った。

 


 この夜、寝る前にアルルに背中を撫でさせた。お腹も。お願いするのは、少し、ゆうきが要った。

「お前、こんなこと頼んできたの初めてじゃないか? どうしたんだよ」

 言いつつもアルルはしてくれる。どうしてか、なんて、そうしてほしいから以外にあるもんか。

「うるさい。たまには猫のフリしたっていいだろ? 可愛がれよばーか」

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