第134歩: 味方だよ

 ”親父、ホップ、元気か?

突然なんだけど海竜の生け捕りについて、何か知ってることはないかな。知らせがあったかも知れないけど、海竜が逃げ出してウ・ルーが大変に事になってる。フラビーは無事だから、おばさんには心配はいらないって伝えてほしい。ララカウァラを出たのが先週だっていうのがなんだか信じられないけど、またカケスをるよ。みんなにもよろしく。

 アルル"


 夕暮れ迫る薄暗い中庭で、紺色のカケスは陰影に沈んでみえた。

 書き上がった手紙を丸めて、四ツ把よつわカケスのとした把に握らせる。

 

「あっちの人たち、元気かな?」


 声に足元を見れば、夕闇に溶けそうな猫が丸い瞳で見上げている。

「それも返事がくればわかるさ」

 つい半刻ほど前を思い返して、青年は溜め息が出た。

「ねえアルル」

「どうしたヨゾラ」

「しっぽ髪とケンカしてた?」




 くたくたになってそとみなとから戻る途中、協会に押し込み強盗が入ったとアルルは耳にした。実際には強盗ではなかったけれど、正面扉の前に立っていたけいや空っぽの受付は「何かがあった」と思わせるには充分で、事務室の六人机にはこぼれたインクが染みを作っていた。


 事務室で最初に会ったのはハマハッキだった。

「いやー、どこもかしこも、大変な一日いちんちだったみたいよ? ハニちゃんも疲れてぐっすりだわ」

 天井を指さされて目をやれば、銀毛の蜘蛛が梁に止まって微動だにしない。

「あれ、寝てるんだ」

 ヨゾラの一言。

「だぜ。可愛いもんだろ? あそうだお二人さん、ガザミ市がぼちぼち片付いて来ててよ。カラカラ胡桃くるみ買ってきたけど、いるかい?」

「めちゃくちゃしょっぱいやつじゃん」

 カラカラ胡桃に嫌な思い出がある猫。

「あー、塩干しはきっついよな。こいつはからりだ。あそこまでじぁあないぜ」

 礼を言って、アルルは二つ受け取った。魔法を使い続けた夕方に仄かな塩気がしみる。


 協会で何があったのか、ハマハッキから聞かされた。シェマも怪我をしたと言うので少なからず慌てたが、当の本人は至って普通に日報をまとめていた。

 

「ああ、アルルくんお帰り。船を港まで引いたって聞いたわよ? 凄いことできるのね」

 面映ゆい。

「ヨゾラがいたからだよ。シェマこそ、包丁男を捕まえたらしいじゃないか」

 そう言うと先輩魔法使いは一度首を傾げ、「大変だったのよ?」と笑ってみせた。

「マヌーさんと支部長はまだけいからいろいろ訊かれてるみたい」

 シェマが視線で二階をさす。

 ケト卿はどこだろうと思ったら、夕陽のあたる事務室の隅にこんもりした黒い毛玉があった。あれか。

 ヨゾラがいつの間にかこんもり毛玉の隣に寄っていて、同じように毛玉になる。ふふっ、と控えめな笑い声が聞こえた。

「きみの相棒は可愛らしくていいわね」

「退屈はしないな、たまに質問責めで疲れるけど。なぁ、怪我したって聞いたぞ? 大丈夫なのか?」

 訊きながら、近くの魔力燈にを入れる。

「ありがとう。かすり傷よ、どうって事ないわ。いつの間にか切られてたみたい」

 少し気になる台詞だったけれど、アルルも人並みに先輩の英雄譚を訊いてみたい。

「で?」

「なに?」

「どうやって捕まえたんだよ?」

「話すの三回目よ?」

 そうは言いつつ、シェマも満更ではなさそうだ。

 手近な椅子を、アルルは引く。



「──これで無傷だったら最高だったのよね」

 話し終えて、やれやれとシェマが首を振った。傷の様子は袖で見えない。

「まぁ、かすり傷で済んで良かったじゃないか。そいつの肩の上に乗ってたんだろ? その時にこう、こんなふうに──」

 アルルは握った右手を、まっすぐ上に振り上げてみせた。

「そしたら、切っ先は顔とか首の辺りだ。いつの間にか刺された、じゃなくて良かったよ」

「それは……そうね」

 状況を想像したのか、前髪の奥で眉が不満げに下がる。


 ふとアルルの口にした一言が、発端だった。


「……奥さんって、やっぱり波に飲まれたのかな」

 蜂蜜色の瞳がそれて、報告書の上あたりに落ちる。

「あんな男の心配まですることないわ」

「だけど奥さんは悪くないだろ? それこそマーラウスさんみたいに助かってるのかも知れないし。何か出来ないかと思っちまってさ。探すとしたら、やっぱり髪の毛もらって」


「ちょっと待ってよ」


 遮ったシェマの口調がかたかった。

「ハンナさんがどんな目に遭ったかわかってるの? マヌーさんもオルトさんも怪我して、アンニさんだって気分が悪くなって帰ったのよ? それこそ誰か刺されてたかも知れないのに、そっちは気にならないの? アルルくん、きみ優しいけどズレてる」

 振り向いた瞳がアルルを責めていた。ズレていると言われたのが、思ったよりもカンに障った。

「俺だって心配はしたさ。でも、奥さんさえ波にさらわれてなければ今回の事だって」

「そりゃ同情はするけど、そんなの私たちじゃどうにも出来なかったじゃない」

 アルルもシェマも口調が強くなる。

「波はどうにも出来なかったけど、探すのはできたかもしれないじゃないか!」

「話が通じるような状態じゃなかったわ。私は私の判断で動いたの。見てもないのに知ったような事言わないでよ!」


「そこまでです」


 物品庫からの声に遮られて振り向くと、そこにロッキが氷のような目をして立っていた。

「クービアックの手当てをしています。お静かにしていただけますか?」



 

 ──四ツ把カケスを空に放つ。

 書き損じがひとつあったような気もしたが、どうでもいいかと放っておいた。

「なに言われたのさ、しっぽ髪に?」

「俺はズレてるってさ」

「首か腰?」

「大惨事だ。そうじゃなくてさ、俺が協会の人より包丁男の奥さんを気にしたのが、シェマは気に入らなかったみたいだぜ。『大事なのはそっちじゃないでしょ』ってことだろうさ」

「似てない」

「うっさい」

 急に恥ずかしくなった。何やってんだ、俺は。

「とにかくそんな事だ。やれやれだよ。ヨゾラ、俺、何か間違ってるかなぁ?」

「そういうの、あたしはまだよくわかんないけどね」

 ちょっと拗ねたような声に続いて、真っ直ぐな、それこそ誠実さを感じさせるような声でヨゾラがつづけた。


「だけどアルル。あたしはキミの味方だよ」


 場違いに大げさな物言いで「ちょっと愚痴っただけだ」だとか「シェマも敵ってわけじゃない」だとか、そんなふうに取り繕いながらアルルは思う。


 なぜヨゾラは、ここまで俺に懐いているんだろうか。

 なぜこの黒猫のようなものは、俺に力を与える事ができるんだろうか。

 そしてなぜ俺は、それをさして疑問に思わないんだろうか。

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