第132歩: 気をつけるんだよ、私のシェミー

 往還船がうちみなとへたどり着き、網梯あみばしに絡まって身動きの取れなくなったクービアックを迎えにロッキが走っていた頃。

 一足先に内港に着いたハマハッキが、ハニと共に怪我人の手当てを始めた頃。

 魔法フィジコの壁で波を避けながら、アルルとヨゾラがそとみなとの大型船から旅行客を降ろしていた頃。



 シェマとケトは人混みと戦っていた。



「通して……! ちょっと、通るから……、通してくださ……いったっ!」

 誰かの何かに引っかかって、しっぽ髪が数本抜ける。

 こういうとき西部の人間は大きくて邪魔だと、東部の血を引く娘は思う。

「蹴るでない。蹴るではない。足元に気をつけ、蹴るでない」

 こんもり猫はこんもり猫で、その体格が災いしているようだった。


 平日の真っ昼間なのに、なんでこんなに人がいるのよ。


 野次馬はざわざわと灰色壁の二階を見上げており、中にはこれが何の集まりなのか、わかっていない者もいた。

「なんでも、立てこもりだそうだよ?」

 そんな声が聞こえる。

 やっとの思いで人だかりを抜け、真鍮の吊し看板が見えた。そして、正面扉をふさぐ二人のけいも。

「ほら下がって!」

 扉へ向かおうとしたシェマの腕を横から、別の警邏が乱暴に掴む。


「あるじに気安く触れるでないぞ」


 唸るようなケトの声に、背後の野次馬から「おおおう」と声があがる。警邏をまっすぐ見上げてシェマが問いかけた。

「ここの職員です。何があったか教えてもらえますか?」

 掴まれた腕が痛かった。若い警邏は手を離したものの、頭の上からつま先まで忌々しげな視線をたっぷり二往復させてくる。何を思っているのか知らないが、不愉快だ。

「お嬢さん、ここの職員ってこたぁ魔法使いなのかい?」

 真後ろ、頭の上から男性の声。振り返ると、人の良さそうな男がいた。

 問いかけにシェマが頷くと、周りにざわめきが広がる。


 「魔法使いだ」「魔法使いが来た」「これで何とかなるんじゃないか」「バカ、そんな簡単に行くかよ」「バカたぁ何だお前、やんのかこのやろう」「あん? 相手みて物言えやおっさん」「おめぇもおっさんだろうが」


 新たな揉め事の気配に警邏が動こうとした時、誰かが「出てきたぞ!」と二階の窓を指した。

 一斉に注目が集まる。「はい下がって! 邪魔んなるから下がって!」と警邏たちが野次馬を押しとどめる。

 建物に向かって右側の窓に、五十代ぐらいの男の姿があった。血走った目を群衆に走らせ、口の端から泡を飛ばして男が怒鳴る。

「まだ魔法使いは来ねぇんかよ! そんなグズっか居ねぇのか、あぁん!? 俺ぁ女房探してくれっち頼んだあっけなのによぉ! あんだこだ理屈コネやがってよぉ! そんなんだぁら化け物逃がすんだよグズがよぉ!」

 呂律は怪しく、男が酔っているのがわかった。

 男の言っている内容よりも、その右手に握られた包丁よりも、左手に掴んでいる物が、シェマの心を乱した。

 髪だ。

 窓の奥、栗色の髪を掴まれ、怯えて竦んでいる若い娘は、協会の受付娘だった。


「ハンナさん!」


 髪と同じ色の瞳が、男の目を盗むようにシェマを見る。

「大丈夫!?」

 ハンナが震えながら細かく頷くのが見えた。シェマの声は、男の注意も引く。

「あんだぁ! てめぇ、女ぁ! 文句あんのか!?」

 男が怒鳴る度にハンナが身を竦ませるのが見えた。

 あるに決まってるわよ! 手を離しなさいよ恥知らず! 刃物持たなきゃ物も言えないの!? そう怒鳴り返すのを、シェマはなんとかこらえた。


 ここで怒鳴りあっても、ハンナさんが危なくなるだけ。


「女が出しゃばってんじゃあ、ねぇぇえんだよ!」

 あとで必ず蹴っ飛ばす。

 そう心に決めて、シェマはわざと顔を伏せた。引き下がる振りをした。

 男は好き勝手に、脈絡のないことをがなり続けている。妻も反抗的だと嘆き、だから女の躾がどうとか言い始めたと思ったら、それも魔法のせいにし始めた。

「もはや何がしたいのか、わかっておらぬのだろうな」

 ケトが窓を見上げ呆れたように呟く。

 男はなおも野次馬へ訴えつづける。誰かが呪ったから何もかもうまく行かない、高波も魔法のせいだ、魔法使いは人殺しだ。


「……裏口から入ります。通して下さい」

 ちりちりとが焦げるような気分だった。

 若い警邏が止めようとしてきたが、ひとにらみしたら退いた。



 ──あの男は午前中に一度来て、女房を探せと食い下がったのだという。土曜の朝に出て行ってから行方知れずだと。波に飲まれたに違いないと。

 応対したのがハンナだった。

 非常事態宣言中で一般の依頼を今すぐには受けられない事、行方不明者の捜索であれば警邏隊へ申し入れて欲しい事など粘り強く説明したのだが、男はその時から酔った様子で、ハンナへ暴言を吐いたりしたらしい。

 

 もう一人の受付、オルトが怒りに身を震わせながらそう説明してくれた。


 暴言に耐えかねてオルトが割って入ったら男は引き下がり、しばらくしてもう一度やってきたという。

 今度は包丁を持って。


 それが一刻ほど前の事だ。

 オルトの左腕には、真新しい包帯が巻かれていた。


「待合いにいたお客さんが警邏さん呼んでくれて、幸いすぐに来てくれたんですがね」

 ぐったりと床に座ったマヌーが後を続ける。椅子を投げつけられて出た鼻血が、襟に点々と跡を残していた。

 男は廊下を通って受付に逃げ込み、居合わせたハンナを人質にとって二階の応接室に立てこもったのだという。


「支部長は警邏さんたちと二階です」


 そう聞いて二階へ向かう娘の袖を、文字通り引き止めたのは物品庫の老婆だった。

 いつも無口で無表情な老婆は両手でシェマの手を取ると、胸の前まで持ち上げた。うっすら目に涙を浮かべ、握る手に弱々しく力を込めて、ゆるゆると揺すっている。

 故郷アヴァツローの祖母を思い出した。学院へ発つ日、ウ・ルーへ派遣される前夜、同じ事をされた。


 ──気をつけるんだよ、私の子猫ちゃんシェミー。ちゃんと食べて、体に気をつけるんだよ。危ないことはくれぐれもしないでおくれよ。きっと無事に帰ってくるんだよ。


 心配しないで、おばあさま。きっと──


「心配しないで、アンニさん。きっと大丈夫です」

 


 ケトが何も言わずについてくる。

 中庭を囲む廊下から、二階へ上がる。 

 廊下の奥、応接室の前に数名の警邏が膝を付き、分厚い松材の扉越しに男へ説得を試みている。その手前の、見慣れた白髪混じりの金髪へ小さく声をかけた。

「支部長」

 振り返った支部長が何かを言うより早く、シェマは宣言する。

「私が行きます。ハンナさんを助け出してきます」


 そして、あの男を蹴っ飛ばしてきます。

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