第131歩: 落差

 アリスコは吐いていた。


 火葬の手伝いと言うことはもちろん聞かされていたし、ある程度の予想もしていた。

 祭司やまつりたちが気丈に働いている中で、そして、見つからない家族を探しにおやしろを訪れた人々の前で、情けないと思わないわけはないのだ。

 どうにもならなかった。

 使い魔ロヒガルメちゃんの「乾かす」魔法が役に立っていることは疑いようもない。

 しかし並べられた死の数に、死のさまに、対して自分の行っている「作業」の落差に耐えきれなかった。


 ガザミ入り江から引き上げられた遺体を、乾かして回る。


 びぃぃいいい、と風をきる皮膜の音。どさり、重い音をたてて使い魔が着地する。


 大量に水を吸って猟犬ほどに膨らんだ飛び蜥蜴とかげが、鼻からその水を吹いて出す。お社裏手があっという間に水浸しになる。

 その水がどこから来たのかを思ってしまい、アリスコはもう一度吐こうとして、何も出なかった。

「ヌシさま、つらい。ロヒガルメちゃん、やらない」

 水を吐き出し、するすると縮んでいく使い魔の気遣いにアリスコはどうにか微笑んでみせる。


「優しいのね。でもいいのよ? きちんと送り出して差し上げないとね」


 本殿の裏にまで潮騒が聞こえていた。

 その潮騒を起こす湾の波は、この街で三十年暮らしたアリスコにとっても異様だった。そもそもが南北の半島に囲まれた穏やかな海なのだ。

 胸の焼けるような感覚をこらえて、アリスコはお社の表へと戻る。


 乾かして、焼いて、弔う。

 海水に浸かって三日、引き上げられた遺体の全てがどこかしら損なわれていた。 

 乾かして、焼いて、弔う。


 煙が体にまとわりつくような錯覚を覚える。

 どうか、次の世界では。

 そう願わずにはいられなかった。願わなければ、どうにかなりそうだった。数をこなすうちに願うことすら忘れてしまいそうで、恐ろしかった。

 乾かして、焼いて、弔う。




 同じ頃、シェマは言い争いを目にしていた。

 通りがかった油屋の前、不当に油の値をつり上げているんじゃないかと食ってかかる幾人かの客へ、店主は腹に据えかねたのか怒鳴るように言い返している。

「ですからね、シッリ油がどこも品薄なんすわ! 前と同じ値じゃ干上がっちまいますよ。うちはずっと正直に商売やってきてんだ! 言いがかりつけんならどっかよそ行きゃいいだろう!」

「だからって小升リテルで銀六枚はないだろうよ!」

 漏れ聞こえた値段にシェマは思わず「たっかい」と声に出した。高いときでも銀貨三枚程度が相場だったはずだ。

「ケト、まだ油──って……」

 若干の不安を覚えて足下へ声をかけたが、そこに大猫の姿は無かった。


 頼りになると思ったらこれだもの!


 油屋の言い争いを後にし、協会へ向かいながら「来て」と使い魔へ呼びかけると、「否」が帰ってくる。

 言葉が聞こえる訳ではなく、漠然とした意図のやりとりでしかない。が、とにかくあの王族ネコガトヒアウは戻りたくないらしい。

 居場所を探ると、ごく近くにはいるようだった。

 いつもの気まぐれだろう。呼べばそのうち来るのもいつもの事だ。ただ、勝手にどこかに行かれるのは、主人としても面白くはない。

「なにやってるのよ、あいつ」

 シェマは軽くため息をつき、もう一度強めに「来い」と意図を送りつけて先を急ぐ。




 あるじが呼んでいるのはわかっていた。

 それを差し置いて、ケトは目の前の光景が意味するところを考える。

 よくある煉瓦の塀がそびえている。左右も同じような作りの、つまり行き止まりだ。

 「小便禁止!」と書き付けられた板が塀からぶら下がり、なるほど小便臭い街の死角に駆け込んだはずの

 初めて見たのは西部から中部へ渡る船の中だ。中部アヴァツローの街中でも何度か見かけた。

 その子どもがなぜこの街にと訝しんで近寄ったら、この袋小路へ入っていったのだ。

 魔法の気配はなかった。塀は子供が容易によじ登れるような高さではない。ヒトの子に特有のにおいも少しは残っているかと思ったが、それも感じられなかった。

 浮き立つように真っ白な童女わらわめだ。見間違えであるはずがない。

 ──ヒトでは、ないのか?

 気になるが、命令が来た。使い魔は否応なくあるじの許へと向かわざるを得ない。


 七月彗星アフルンコメタ小路の手前あたりでケトはシェマに追いついた。

「どこ行ってたのよ?」

 予想通りあるじの言葉にはトゲがある。「使い魔らしからぬ」振る舞いを見せると拗ねるのだ。

 まったくあるじだと思うが、彼女の不機嫌にいちいち取り合ったりはしない。


「白い子どもが居たのだ」

 これで伝わるとケトは思ったのだが、シェマは片眉だけ上げて奇妙なものでも見るような顔をした。

「……あんた子どもきだった?」

「何を言っておるのだ。アヴァツローへの道中にもおった白い子どもであるよ」

 今度は両眉が上がる。

「ケトこそ何を言っているのよ? 白い? 子ども?」

「覚えておらぬか、あるじよ。中部行きの船で話しかけてきた童女わらわめがあったであろう?」

 歩きながら首を傾げ、あるじが思い出そうとする。

「たしかにそんな子もいたけど、あれは──あれなに?」


 うんざりした口調と共にあるじが目をやる先で、けいの一団と野次馬が魔法協会の前を埋め尽くしていた。 


「お昼にしようと思ったのに」


 ぽつり、あるじの声がした。

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