第130歩: なめんな

 同じやり方であの船をうちみなとへ。

 ロッキの指示は単純明快だった。


 そとみなと四番突堤。水をかぶりながらの下船作業が続く中、男が走ってきて必死にこう伝えたらしい。

「赤鳩が来たってよ! 鳩小屋がやられてて気づくのが遅れたって! 往還船が満身創まんひんほうで帰って来んだけど、内港の人手はほとんど波にやられちまってん。俺たち手伝いの素人ひろうとだけじゃどうにもなんね! 手を貸ひてくれ!」

 



「ロッキ様も使い魔使いが荒いこってすよ」

 灯台の足場に、クービアックがへたり込む。

「だいじょうぶ?」

 ヨゾラの問いかけに、かもめはをかつかつ鳴らしてみせた。

「えっと、なに?」

「まだまだ行けますぜぇ、ってこってす」

 気丈だが、クービアックは疲弊して見える。ハニが主人の頭の上で、船までの距離を出した。

線路長トリリヨよりはぁ、近いですよぅ」

「へぇへぇ、近くて何よりでさ。アルルの旦那、行けますかい?」

 羽根を広げるかもめに、アルルはすぐには頷けない。

 往還船のあの大きさなら、自分だけでなんとかならないか──そんな考えを巡らせているのを、ヨゾラが鋭く察してきた。

「アルルー、もしかしてあたしを気にしてる? 手伝わせないとか考えてる?」

 猫が片目だけ器用にすぼめ、不愉快そうに見上げてくる。

「そりゃお前……」

「あたしはやるよ。助けさせろよ。船、もっかい引っ張るんだろ? のんびりしてらんないんじゃん?」

 黒猫の言うとおりではあった。こうしている間にも船は波に翻弄されている。いつ沈んだっておかしくはないのだ。

 ヨゾラがどこか得意げに、鼻を鳴らして付け加えた。

「あたしを心配してくれるのうれしいけど、ちゃんと教えてくれればあたしはやれるんだぜ? なめんな」

 ちょっと引っかかった。

「……どこで覚えたんだ、最後の」

「フラビー」

「あいつめ」



「お背中かりまぁす」

 羽根を広げたクービアックの背にハニが飛び乗った。羽根を避けて白い胴に八脚が絡まる。蜘蛛の糸と碧い「糸」がそれぞれ尻から伸びる。

「食べちゃいたいですぅ」

「笑えませんぜ!?」

 かもめが再び飛んだ。その後ろ姿を見てアルルは足場にあぐらをかき、「糸」をりながら相棒に話しかける。

「ヨゾラ、いいか、お前の名前はヨゾラなんだ──」


 魔力に意識が溶ける事故は、初心者にはまず起こらない。そこまで意識を広げられないからだ。そして使い魔にも起こらない。主人が呼び戻すからだ。それ以外の場合は、報告されない。ヒトと関わりがないからだ。

 結果的に事故はヒトにしか起こらないように見え、現象であるかのように誤解される。

 ヨゾラは「それ以外」だった。

 だが、ヒトと同じ原因で溶けそうになったのなら、事故を防ぐやり方もヒトと共通であるはずだ。

 名前を呼び、意識をこちら側に引っ張る。

 この黒猫には名前があって、言葉が通じるのだ。

 

「ケトきょーも溶けそうになった事あるのかなぁ」

「どうかな。ホップは無いって言ってたぞ」

「蛙は興味なーい」

 ペブルの使い魔には変わらずそっけない。

 背後のガラスがびりりと鳴って、蜘蛛の声を伝えてきた。

「そろそろでーすよぅ!」




 先ほどの飛行と比べれば、あっという間の船への到達。鳥の筋肉が力強く躍動するのが、八脚を伝って感じられる。

 冗談でも何でもなく、おいしそうだとハニは思った。

 その筋肉が一際強く脈打ち、急旋回される。

「おひゃあ!」

「掴まってなせぇ!」

 大波に揺れる船の帆柱は、巨大な棍棒さながら暴力的に行き過ぎる。

 ハニの銀毛には絞りかすのような怒鳴り声が届いていた。波と船体がぶつかる轟音の中で網梯あみばしにしがみつき、船乗りたちが海と戦う。

 先ほどの船と違い今度の船は航行中だ。不規則な揺れに加えて船自体もあちこちに流され、着船するのはさらに難しく思えた。


 かもめが何度か帆柱への着船を試みては引き返す。

 数度の失敗の後に、クービアックが恐ろしい提案をした。


「ハニお嬢、飛び降りてくだせえ!」

「むりむりむりむりぃ!」

 ハニの意向は無視してクービアックが大きく旋回し、船尾へと高度を落としてぐいぐい迫る。

「言いたかねぇですが、お嬢が重くて飛びづらいんでさ!」

「んだコラぁ!」

 ハニの怒号をよそに、船尾の舵は右へこじれていく。

「ちょいさぁぁぁ!」

 クービアックが合わせる。船首が大波を捉えて船尾が落ちる。登り坂のような主甲板すれすれにかもめが飛ぶ。

「いまでぇ!」

 蜘蛛が跳んだ。同時に波が船体を乗り越えて左から襲う。着地前のハニに、無数の銀の飛沫が飛びかかる。

「ほんだらぁ! 喰うぞ波渡なみわたり!」

 蜘蛛の怒号が波を割った。

 相性の悪い魔法に体力をとられて、嫌な虚脱がハニを包む。脚を丸めて甲板を転がりながら、蜘蛛の六眼はかもめが割れた波に飲まれるのを捉えた。

「クぅビアック!」

 どこかに脚を引っ掛けて踏ん張る。転がってきた水夫を残りの脚でふん捕まえる。

 船首が波頭を越えて落ち始め、不安定な所へ右から突き上げるようながまともにぶつかった。

 船が横倒しにかしぐ。水塊が上がる。船乗りから悲鳴が上がる。

 ハマハッキさまぁ!

 悲鳴を上げそうになる蜘蛛の視界の中、水塊から白い鳥が飛び出す。網梯あみばしに突っ込んで、罠にかかった鳥のような有り様で、クービアックが叫んだ。

海鳥うみどりナメんなぁ!」

 



 ──か、かもめの止まり木、出ましたぁ……

 

 息も絶え絶えな使い魔の報告を聞くなり、ハマハッキは脚の力が抜けてしゃがみ込んだ。

「最高だぜハニちゃん」

 使い魔の目と耳を借りて船の様子を伺う。ハニが「怖い蜘蛛じゃない」事を主張しつつ事情を説明している相手は、あざだらけの顔に疲労を貼り付けてなお、殺気に満ちた老人だった。

「──ヤバかったら逃げるんだぜハニちゃん」



 アルルとヨゾラが仕事を始めた。



「ヨゾちゃん」

「ヨゾラ、だー、ぞ」

「ヨゾちゃん」

「ヨゾラだぞ」

 黒猫に声をかける役目を、ハマハッキは買って出た。

 作業は持久戦だ。灯台のガラスに向かって声を上げる。

「ハニちゃん、そっちは大丈夫かい!?」

 少しの間。

「ハニは慣れてきましたぁだいじょぶですぅ! でもクぅビさんはそろそろダメそうでぇす! あ、はーい……ど根性だそうですぅ!」

 そうしてもらう他ないわな、といまいちヒマな魔法使いは思う。

 ガザミ入り江まで船が入ったら、ハニの目を借りて誘導する算段だ。

 内港は街並みに隠れて、ここからは望めない。 

 そのさらに向こう、街の遠く反対側でも火葬の煙があがっているのが見えた。

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