第129歩: 溶けそう
つながってる、とヨゾラは感じる。
あたし、いま、つながってる。
「動きましたぁん!」
ガラスが震えてハニの甘ったるい声がした。船は遠すぎて、動いてるのかどうかよくわからない。身体が寝ぼけたような感じになってふわふわする。
アルルも魔法を使うときって、こんななのかな。
「もぉ少し速くっても大丈夫そぉでーす!」
蜘蛛の声を受けて、そのアルルが鋭く息を吐いた。ヨゾラも魔力を感じて、吸い込んで、送り込む。繰り返すうちに身体が熱を帯びていく。
暑い。
アルルもハマハッキもジャケットを脱いでシャツ一枚だ。
「ハニちゃん、船に舵を取らせてくれ。ちょいと
どうしてわかったのか、ハマハッキがガラスに声を張った。七つ数えて「はいな!」と返ってくる。アルルが塩袋に手を突っ込んでゴリゴリいわせ、指を目の前に差し出してきた。
「舐めとけ」
ヨゾラは頷いて、そろそろと魔法使いのしょっぱい指を舐める。ちょっと動いただけで、アルルとつながる感覚が遠のく。
周りにちらちらと「不思議なものたち」が集まるのを、ハマハッキがちょくちょく追い払っている。
「集中、だ」
ゆっくり大きな呼吸を縫って、独り言みたいにアルルがそう言った。「翼」の魔法で飛んでる時としゃべり方が似ている。
大変なんだろうなとは思ったけれど、ヨゾラにはしゃべる余裕がなかった。荒れ狂う波から生まれる魔力は、波そのもののようにうねり、海そのもののようにどこまでも広がって感じた。
船が水と魔力の波を押しのけて向かってくるのがわかる。
揺れに揺れて倒れそうになるたびに、魔法が船を水にくっつけて持ち直す。かもめががんばってる。頭の上のガラスから時折「うきゃあ!」「おひゃあ!」とハニの悲鳴が聞こえて、そのたんびにハマハッキが励ましているのが聞こえる。
いいな。大事なんだな。
船がいよいよ港に入ろうという頃に、アルルの声がした。
「反応が、鈍い……!」
ここから船を入れる突堤までは二隻ぶんの距離が開いていた。最初はぴんと張っていたアルルの「糸」は今、灯台の足場からだらりと弛んで垂れ下がる。
──伝送遅延。
そうだ、伝送遅延だ。船が近づいても「糸」は長いままだから、そのぶん時間がかかる。
教えてあげないと。
「いっ──いー、と。ながいー」
ふわふわして思ったようにしゃべれない。
アルルはちらりとこっちを見て「ああ、それか」と短く言った。
結局「糸」は長いまま、大型船が港に入った。理屈がわかればやりようもあったのか、アルルが反応の鈍さを気にする事はもうなかった。
「アルルさぁん、魔法は解いちゃっていいでーす」
船が港に入ってしばらくしてから、またびりびりとガラスが鳴った。アルルが「糸」を切る。
「切った! ありがとう!」
「お疲れさまでしたぁん!」
アルルとハニのやりとりにはもう遅れが出ない。
──蜘蛛さんは糸を巻き取ってるのかも。
蜘蛛さんって何だよ。
そんな事を思う。
「やってみれば、できたりもするもんだな」
大きく息を吐く音がした。
「お前、もうがんばるのやめていいんだぞ?」
声もぼんやりする。
あれ?
ええと──なんだろ。
「おい、どうした──」
人の声が妙に遠い。脚もしっぽも遠い。なんだっけ。どこだっけ。溶けそう。誰かが何か言ってる。
──だめです、だめだめ。さかいめを忘れちゃだめ!
だれ?
──引っ張られちゃう! 思い出して!
おもいだすの?
──名前! 思い出して!
なまえ? グッと来るすてきな名前だよ。あたしは
「ヨゾラ!」
アルルの三度目の呼びかけに、黒猫が二度まばたきした。
「ヨゾラだよ?」
聞き慣れた声に、魔法使いは全身の力が抜ける。
「おー、よかった。危ないとこだわ。ヨゾちゃん、使い魔じゃないんだっけか?」
「わ、なに? 暑い」
黒猫が身体をよじり、遠慮なく前足で額を押してくる。
「ごめん、ヨゾラ。教えてなかった」
「なにをさ?」
「魔力の取り方。お前はわかってるもんだと思いこんでた」
ヨゾラが首を傾げ、無い眉の間にシワを寄せた。
海の轟音、船の
「意識が魔力に溶けちまう事故があるんだ。魔力の広がりを追いかけていって、そのまま帰って来れなくなる。お前はうまく喋れなくなってたのに、ぜんぜん気づいてやれなかった……!」
自らの迂闊さに、甘さに腹が立つ。
ヨゾラを失う所だった。船を牽くのにもう少し時間がかかっていたら、どうなっていたかわからなかった。
「そんな顔、するなよ。あたし別になんともないよ? あと降ろしてよ。へーきだよ?」
「危なかったは危なかったけども、ま、ヨゾちゃんも無事だったんだし、今度気をつければいいでしょ。気を取り直して次だぜえ」
ヨゾラとハマハッキ、両方から宥められる。
「ヨゾちゃん?」
両手の中の黒猫が、蜘蛛の魔法使いを見上げた。ガラスから伸びる蜘蛛の糸をハマハッキが指す。
「ハニちゃん」
猫を指す。
「ヨゾちゃん」
「へぇえ。なんだか新しいやそういうの。いいかも」
「ほー、そうかい。そりゃよかった」
ヨゾラがハマハッキと打ち解け始めている。黒猫を降ろし、アルルは立ち上がって軽く体をほぐした。
次。接岸した船から、人を降ろさなければならない。
ハマハッキの言うとおり、同じ失敗を繰り返すわけにはいかないし、ヨゾラの「がんばる」に安易に頼るのは控えようと思う。
甘い、甘い、とんでもなく甘かった。
「行きましょう、ハマハッキさん」
声をかけたその時だった。ハマハッキの向こうに焦げ茶の影がよぎるのが見えた。
「どうしたんです?」
アルルの様子にハマハッキが後ろを振り向く。
再び焦げ茶の影。
「あれだ!」
もう一隻、船首を左右に激しく振りながら、波の山を滑り降りる船があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます