第127歩: 二十八日、朝
夜明けだ。
南北の半島に挟まれた湾。日に六隻の往還船が巡る海。
星の残る群青の天頂に、穏やかな追い風。
悪夢のような波。
船首甲板が急角度でせり上がっていく。この三日間で何度見たかわからない。
「ケツ穴締めろ小僧ども!
索具に捕まり、船首へと登りながら老船長が怒鳴り声を上げつづける。
甲板が足裏から逃げていく感覚。同時に、往年のカンが次の波を捉えた。
「波に
「おぉもかじぃぃぃ!!」
操舵主が絶叫した。
波頭を越え、船が、落ちる。
衝撃に続いて、跳ね上がった水塊が容赦なく叩きつけてくる。船尾が波の斜面にこすれ、張り巡らされた索具が鳴ってぼぅぼぅ唸る。水の山を滑り降りながら船首が右へ回る。
「舵あてぇ!」
「あぁて舵ぃぃぁあ!」
その正面に次の水壁。
ざまぁみやがれ、どん! ぴしゃりだ!
再びせり上がる船首甲板。
「
「アイ!」
命令を受けて、二等水夫が甲板下へと転げて降りる。北半島が水平線に浮いて見える。
「止まるな! 祈るな! 考えろ! 『星落ち』に比べりゃあこんなもん!」
老船長がどなり上げ、どなり下ろす。
船室から出された鳩が一羽、逃げるように海上を飛び去った直後に悲鳴のような操舵主の声。
「後方! 来てます!」
「クソっったらぁぁぁあああ!!」
振り返った船長の目が捉えたのは、波と言うには不自然に盛り上がった水の塊と、その正面に光る、ふたつの赤い目玉だった。
──由々しいですね。
同じ朝、陸の上、魔法協会の事務室でロッキ・アーペリは声無く呟いた。
手には新聞。目の端に映った「非常事態を宣言」の文字。
内港の惨状、増える死者の数、火事場泥棒、囁く猫といった記事に続いて、今回の災害について大きくまとめた記事が載っていた。
ロッキは硬質で丁寧な仕事を好む。
数紙ある新聞のなかから「日報ユリエスカ」を選んだのも、その好みに合致するからだ。新聞は丁寧にウ・ルー三百年の歴史を紐解き、ガザミ腕であの規模の高波はこれまでになかったと報じていた。
そうやって、海竜というものの扱いについて再考を呼びかけている。
どのような理由であれが人に従っていたのか、なぜ今回の災害につながったのか、防ぐ手だては無かったのか。
魔法のもたらす恩恵についても少なからず触れてくれてはいたが、いかんせん相対的な扱いは小さい。
──今日の新聞は、クァタさんにはいささか重たいかもしれません。
そんな思いと共に新聞を畳んで脇に置き、依頼の一覧に目を通す。そろそろ
海竜船は港に乗り上げ、アラモント鋼の
海運が止まった西部連合はいずれ窒息する。市民の生活に影響が出始めれば、怒りの矛先はより激しさを増して協会とライリ・マーラウス海送に向かうだろう。
高波の原因は海竜だとすでに広まっているのだ。海の荒れは関係ないなどと、誰が思うだろうか。
急がなければならない。
あれを生け捕って海が鎮まれば、それでよし。殺してしまったとしても、海が鎮まればよし。たとえ鎮まらなくても、海竜が原因ではないとして矛先はかわせる。
──考え方が狡くなりました。
かもめにつつかれて薄くなりつつある側頭部を、ロッキは無意識に撫でつけた。
あれの生け捕りに必要な物は多い。香木、薫製、魔法陣を描くためのアラモント墨。海竜船に使われていた
臨時雇の二人が使える魔法も、もっと詳しく知っておかなければ──と思った頃に、青年たち宿舎組がやってきた。
「それは……確かに私たちが適任ですが」
王族ネコの魔法使いが珍しくきょとんとする。
「何か気になりますか?」
「──いいえ。すみません、やります」
彼女の前髪から覗く、はっきりした眉が引き締まる。
海竜生け捕りの件と併せて、協会も非常事態を宣言したと支部長から発表があった。
そんな話の後で「囁き猫退治」と言われたのだから、先ほどの表情も頷けないではない。
質問があれば遠慮なく聞いてくる娘だ。質問がなかったのは、こちらの意図を理解したからだろう。
「よろしくお願いします」
ロッキが声をかけると、娘は頷いてアンニの守護する物品倉庫へ向かった。
「あるじよ。猫に囁かれたというのはわかるが、猫が生意気だったとはどういう事であろうな?」
「あんたのことじゃない?」
「いま少し気を使ってくれてもよかろうよ」
彼女と使い魔がそんな軽口を交わすのを背中に、ロッキは指示を出す。
「アリスコさんは申し訳ないですが、七区のお
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