第126歩: カシャシャ酒

 あなた、と言うのがどちらに向けられた言葉だったのか。

「少しだけ──」

「先日は──」

 マーラウスとアルルが同時に口を開いて譲り合いになったところへ、とした夫人が両方に返した。

「怪我に障るからお酒はだめと言ったじゃないのぅ! そちら、エレスクで親切にしてくだすった方ね! お連れの猫ちゃんはお元気?」

 勢いに押されつつ、屋敷の当主と魔法使いがそれぞれの台詞を終わらせる。

「──だから」

「──どうも」

「騒がしくってごめんなさいねぇ。街のみなさん、頭に血が上ってるみたいで」

 何がおかしいのか、頭のてっぺんに刺さるような高音で夫人が笑い、毛皮の肩掛けをするすると解いた。明るい褐色に黒の混じった、この辺りではあまり見ない毛皮だ。


「デノリス、外の騒ぎをお願いね」

 夫人の背後にもう一人。

「かしこまりました」

 肩掛けを受け取り、疲れた声で踵を返す男の姿にも名前にもアルルは覚えがあった。

 扉が閉まり、立ち上がろうとする魔法使い二人を「いえいえそのままで」と制して夫人が、頭のてっぺんに響く声で続ける。

「奥のお嬢さんとはお初でございますわね。あたくし、ライリ・トルキス=ファーでございます。このたびは、夫が助けていただいたそうで、あたくしからも重ねて御礼申し上げますわ」

 夫人がお辞儀をするのを見て、思わずアルルは皿の上のと視線を往復させる。

 隣の魔法使いにきゅっと足を踏まれた。

「素敵なおもてなしに恐縮するばかりです。西部魔法協会付き、シェマ・クァタと、同じくアルル・ペブルビク=ララカウァラです。お見知り置きください」

 足癖の悪い先輩が素知らぬ顔で夫人に応対してみせる。

 この時点では、先輩魔法使いはまだ酔っていなかった。



 帰り道、夜の街を北回りに、馬車は六区を目指して進む。



 一杯ごちそうする、というのが文字通りの「一杯」だとは思っていないけれど、その時が来たら果たして何杯になるのか。

 客車の隅に頭をもたれさせるなり、うつらうつらと舟をこぎ始めたシェマを見てアルルはそんな事を考えた。

「よかった、見つかんないで」

 鞄からヨゾラが這い出て、ぶるぶると身体を振る。

「強烈な声のご婦人であったなぁ」

 ケトが盛んに後ろ足で耳を掻き、あるじの膝に上った。それでシェマがのろのろと目を開け、薄い唇が引き上げられて、ぼんやり笑顔が浮かび上がってくる。

「アルルくん、ありがと」

「……なんの話だ?」

 思い当たる節が無い。

 夫人と茶番のような「ウァナアスの猫」の話をした後は、せいぜいおしゃべりに相槌を打つぐらいしかしていなかったのに。

 向かいに座る先輩魔法使いが赤みの残る目元をこすって、んー、だか、むー、だか、言う。

「……お酒?」

「それは確実に俺じゃないな」

 酔っぱらいがくつくつと笑う。どうせからかっているのだ。シェマめ。

 酔っ払いの膝の上から、どこか感慨深げに王族ネコガトヒアウが声をあげる。

「久方ぶりに酔っておるなぁ。私と出会ったおりもこんな様子であったよ。あれは」「いいーえ。酔ってなんかないわ」

 あるじが酔っ払っている事を自白して、使い魔の昔語りは遮られた。彼女の、ふぅ、と吐いた息にアルルまで酔いそうになる。

「かっこよかったよ」

「だからなんの話さ?」

 シェマめ。

「いつの間にか空なんて飛んじゃってね。驚いちゃった」

 馬車の角にすっかり体を預けて、目の前のアルルではなく、どこか少し遠いところに向かってぽつんと言う。

「空飛ぶ靴のお話、好きだった」


「しっぽ髪、だいじょうぶなの?」

 ヨゾラの疑問には肩をすくめるしかない。


 当のしっぽ髪は勝手に話を進めている。

「小さい頃、不思議なものたちが怖くってね。そうしたら、お祖母ばあさまがお話をしてくれたわ。空飛ぶ靴を履いた、月明かりの魔女のお話。ああいうのがえるのは才能なんだって。だから、私にも月明かりの魔女みたいな、立派な魔法が使えるかもしれない──って」


 月明かりの魔女については、アルルも聞いた事があった。真偽の知れない魔女譚は各地に散らばっているけれど、月明かりの魔女の話は数が多く、時代が新しい。

 空飛ぶ靴でやってくる魔女。

 

「──立派な魔法なら、シェマだって使ってるだろ。猫はいつの間にか現れる、とかさ」

「どーこーにーでーも、現れる」

「細かいぞ酔っ払い」

「酔っ払いを甘くみなぃーい」

 酔っ払いが、にーっと歯を見せ、得意げに笑ってみせる。

 アルルはなんだか調子が狂う。昨日も今日も、初めて見る姿が多すぎる。

 シェマが紫の巻布ストールに顎をうずめて、ほぅ、ため息を吐き出した。

「ねぇアルルくん。立派な魔法使いって、何かしらね」

「タダ酒飲みすぎない魔法使いじゃないか?」

 蹴られた。脛。

「足癖悪いなぁ!」

「しっぽぉ!」

「代わって詫びよう」

 ケトがすかさず間に入った。よくできた使い魔だった。

「真面目にきいてるの! 茶化さないでよ」

 ダメ気味のあるじからはとした目で睨まれる。

 まったく、いったい、いつの間にこんなに酔ったのか。



 食事の後も、ごく普通に受け答えをしていたはずだ。



「あなた、珍しいお召し物を着けていらっしゃるのねぇ。なんとおっしゃるの?」 

 ファー夫人からのそんな質問にも、そつなく答えていた。

 マーラウスの描いた海の絵を見た後だった。

 アルルも学院時代に同じ質問をしたことがある。軽やかな布地を重ねてゆったり広がるこの「筒袴」という服は、東の、今は亡き国の服装なのだと聞いた。型紙を作って、何着か仕立ててもらっていると。

 彼女はどういうわけかスカートをはかない。アルルは一度だけ──ほろ苦い思い出として──見たことがあるけれど。

 夫人に便乗して理由を訊いたら、こんな答えが返ってきた。

「ひとつめ、この仕事はスカートだとやってられない。ふたつめ、祖先がいた国への尊敬。みっつめ、私はこの服が好き」

 アリスコさんどうなるんだとアルルは思ったけれど、シェマの答えをいたく気に入った夫人が話し始めたので、に突っ込み切れなかった。

 応接間に移って、服装の流行りや、なぜ毛皮が好きなのか、などという話になって

「ひとつめ、古来から毛皮は力の象徴。ふたつめ、毛皮には一つとして同じものがない。みっつめ、あたくしは毛皮が好き」

 鞄の中のヨゾラにしてみれば冗談ではなかったと思う。

 ただ、このあたりで上機嫌なシェマと夫人とで話が盛り上がって──

 ここだ、とアルルは思い至った。


 南部の珍しい酒がある、と運ばれてきたあれだ。外でけたたましく鳴っていたけいの笛と番犬の吠え声でよく聞こえなかったけれど、確かカシャシャ酒とかいう舌噛みそうな蒸留酒。

 外の騒ぎが収まったころに帰りの馬車が用意されて、このあたりのシェマはだいぶ酔っていた。もっとも、夫人もカシャシャ酒がそれなりに効いていたようで、でなければあの場面で、協会の下っ端にむけて、仕事の話はしなかったと思う。


「おたくの支部長と今日お話しさせて頂きましたので、明日にでもお聞きになると思うのですけれどん」

 前置きが「どん」で終わった。

「海竜の生け捕りをわが社と協会さんで行う事になりましたの。あなた方もお力添え、よろしくお願いいたしますわね」




 途方もなさ過ぎてため息もでない。

 馬車は九月七日セチセテンボロ通り沿いに、五区へ入った。宿舎まではあと少しだ。

「海竜を捕まえられたら立派です、なんて、そんなにわかりやすいわけないのにね」

 またシェマがぽつんと言った。

「立派だろ、あんなデカい捕まえられたらさ」

「だけど、できると思う?」

「……正直なところ、あれはもう港を出たんだ。放っておきたいよ」

 


 アルルの願望とは裏腹に翌日、シッリ油が値上がりした。

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