第123歩: 日曜が終わる

 火葬の煙は魔力視で見分けられる。光って見えるとヨゾラが言ったように、ところどころで瞬く魔力がえれば、火葬によるものだ。

 南西の空がけぶって碧く瞬く。

 あの瞬きを魂の根拠とする学説を、アルルは聞いたことがあった。弔われた魂が旅立つ時の最後の輝き。


 煙は天に、灰は地上に、骨は土に。


 青年はその場にうなだれ、目を閉じた。

 荷車を引く馬の鼻息が聞こえる。遠くで何か作業をしている声が届く。どこかで木槌が杭を打つ。深く沈んだ音の中に、人の嘆く声が微かに混ざって流れる。

 昨日に聞こえた音も声も、耳の中に残っている。

 間に合わせの蓋を被せただけの心は容易に開いて、悔しさや、怒りや、悲しみが、青年の背や脚にまとわりついてくる。

 重たい。



「これ、もう終わっていい?」



 左耳に声が飛び込んだ。目を開けると、黒猫も肩の上で目を閉じ、頭を低くしていた。

 そういえば前にも似たような事があった。

「お前がいいなら──」

 苦笑いして猫の脇を掻いてやる。黒い毛並みが暖かく陽の光を含んでいる。

「いいって」

 ひとことのやりとり。背や脚の重みがふわりと払われるのを感じて、青年は顔を上げる。


 猫の向こうでは赤毛の幼なじみが、額、胸元と触れて胸元に小さく輪を描いていた。それはここの土地神の、マンジァ様の作法で、彼女に馴染んでいた。

 フラもとっくにウ・ルーの人なんだな。

「姉さんを街に呼ぼうと思ってたんだぁ、わたし。二人で暮らせる家もいくつか探してて。でも……もう少し後にした方がいいよねぇ」

 フラビーがため息をつくのに、アルルは頷いて同意する。

 遠くにたちのぼる煙と比べて、はるかにのんなため息ではあった。

 彼女がこんなため息をつける事に、アルルは心から良かったと思う。

 無事で本当に良かった。


「また手紙書かなくちゃ。今度は普通の封筒でいいかなぁ」

 

 幼なじみの口調からは、すとんと力が抜けていた。

 姉妹でケンカした後、エカおばさんに村を出るのを反対された時、イォッテのおじさんが亡くなってからしばらくの間、フラビーはこんなしゃべり方をした。

 だから、努めて明るく言った。

「来月半ばにはララカウァラに戻るからさ、一緒に持ってってやるよ」

「それじゃちょっと遅いよー。わたしで出すって。ありがとねビッコ」

 歯を見せてフラビーが微笑む。鼻の頭にシワがよる。

 作り笑顔だ。前とかわらない笑顔。大丈夫だよ、という笑顔。

 気を使ったのは、バレてるんだろうと思う。それをわかってても、幼なじみは茶番に乗っかってくれる。

「──わたし、やることなくてヒマなんだ。シェマさんとこ片付けるんでしょ? 手伝うよ」




 割れたガラスは空の鍋にまとめて、破れた窓は枠ごとアルルの部屋の物と交換。道具がわりの魔法フィジコを存分に振るえば「ビッコ大工さんやればいいんじゃない?」とフラビーが適当な事を言う。


「でもこれって、わたしがいなかったら、あんただけで女の子の寝てる部屋に入ったってことだよね?」

って、ヨゾラもケト卿もいるだろ」

「んー、でもおねーさん、どうかと思うなぁ」

 手伝ってくれるのはありがたいけれど、そんな事を言われても困るし、いきなりお姉さんぶられても困る。

「あ、あと湯冷まし作っといてあげようよ」

 アルルが困っている間に、次の話が始まってしまう。


 片付けをする間、シェマは一度も起きなかった。

 白状するなら、いちど寝顔をまともに見てしまって、手が止まった。フラビーの発言はそのあたりも見咎めての事だったのだろうと思う。

 褒められた事じゃないのはわかるけど、変に意識してしまったのだってフラが変なこと言ったせいだ。


 そのフラビーは帰り際、棚においてあった瀟洒な小瓶に目をやって、にまりと笑った。

 気配を感じてか、戸口に寝そべる大きい黒猫が、金の瞳を片方開いた。

「近い内にまた新しいのを頂きに参ろう」

「お待ちしておりますね」

 そしてフラビーと一緒に、アルルも小さい黒猫を連れて部屋を出た。




 さしあたっての買い物も済ませ、窓の穴は板きれでふさぎ、そうこうするうちに陽も傾いて、アルルがぼんやり椅子に座っている。

 両腕をだらりとさせて、脚も投げ出して、かかとを軸につま先を揺らしている。いちど「どうしたの?」とヨゾラが尋ねた時には「ああ、いや」とよくわからない返事が来た。

 なにも答えになってないな、とは思ったけれど、茶色い魔法使いが疲れているのは黒猫にもわかった。

 退屈なので、ベッド下に潜って「穴の目」とにらみ合ってみたり、床でこっそり爪を研いでみたり、コンロ台に飛び乗ってコンロ穴の中を覗いてみたりした。

 コンロ穴の向こうに黒い鳥──ススケリだと思う──の背中が見えた。卵でも暖めているみたいに動かない。

 卵か、美味しいかな、と想像してみて、いまいちそそられなかった。すすじゃなあ。


 退屈しのぎも手がなくなってきて、作り付けの棚によじ登って丸くなったあたりでアルルがおもむろに立った。

「ちょっと、出てくるよ」

 と一言ある。お便所だったら何も言わないから

「どこいくの?」

 と訊いた。窓の向こうに見える城壁も夕陽で赤く染まりだしているのに、今から出かけるなんて珍しい。

「うん……マンジァ様のおやしろか、海の方か、とにかく、何かやれる事やってくるよ」

「んー」

 とヨゾラは考えた。思い悩んだ。

「アルル。キミ疲れてるよ、きっと。休みなよ。顔だってボンヤリしてるよ」

 黒い瞳をまっすぐ見下ろして言った。

 答えは、わかってた。

「まぁでも、行くよ。やっぱり、じっとしてられない」

 だから、ヨゾラは棚板から飛び降りる。

「こういうの、なんて言うんだっけ? だっけ?」

「そりゃちょっと違うぜ……」

 苦い顔で、だけどいつもヨゾラが言葉を間違えた時と同じ感じで、アルルが言う。

「じゃ、がんばりやさん」

「そっちのがいいな」

 ぺたんこ鼻が、少し笑った。

「あたしも行くよ。あんまり役にはたたないかもだけど」

 茶色い魔法使いが肩を竦めて「おいおい」と腕を広げる。

「そんなふうに考えたこと、一度も無いんだぜ? 行くぞ、ヨゾラ」

 黒猫は目を細めて牙をむき出す。

 うれしい。

 いちどもない、も嬉しかったし、お前は休んでろ、と言われなかったのも嬉しかった。

 ぼんやりしてたアルルが、少ししゃきっとしたのも嬉しかった。

 今日は寝ないように頑張ろうと思ったし、寝なかった。

 遺体がたくさんあるお社でアルルがはたらくのを見てただけだったけれど、寝なかった。


 帰って、疲れて、寝たのを憶えてないぐらいに寝て、次の月曜日ルアが始まる。

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