第121歩: アルルと比べてだいぶふかふか

 

 アルルのところに行かないと。

 シェマが眠ろうとするのをしばらく見守って、ヨゾラは外に出た。宿舎前の茂みを目にした所で、今朝に感じた違和感がまたやってくる。


 ──ブラシがほしいです。


 そう言ったような気がする。

 誰だかよくわからない、まっしろしろい女の子に。

 でも、あの子に会ったのは一昨日の朝だったはずだし、その時にも「にゃー」としか言わなかった。

 だいたい「ほしいです」ってなんなんだよ。

 眉間にシワを寄せながら、小さな黒猫が猫の道を行く。


 なんだか嘘みたいに人の気配がせず、見かけても妙にコソコソひそひそした人か、がらくたを積んだ荷車を黙って引く人のどちらかだった。

 レンガ塀の上を行けば、集まって洗濯をする人たちが見おろせる。ざばり、べちり、しゅくしゅく、水と布と洗濯板の音にひそひそ声が混じる。


 ──あそこの娘さんがねぇ。お気の毒に。

 ──このあたりは無事で良かったけれど。

 ──ガザミのあたりはひどいもんだそうだよ。


 ざばり、べちり、しゅくしゅくしゅく。


 ──穏やかな海でしたのに。

 ──なんでも、海竜さんが暴れたって?

 ──海竜ったら、マンジァ様のお使いじゃないのかね?

 

 べちり、しゅくしゅく。


 ──魔法使いはいったい何やってたんだろ、ねぇ。


「魔法使いはがんばってたよ」


 女のヒトたちが顔を上げるのが目の端に見えて、ヨゾラは思ったことが声に出たと知った。

 足を止めて、もう一度言う。

「魔法使いはがんばってたよ。みんな、いっしょうけんめい助けてたよ。ってやつをやってたよ」

 気のせいにされるのはなんだかイヤだった。声の主がヨゾラとわかって、女のヒトたちに動揺が広がる。

「あんた……魔法使いの何かかね?」

 中でもいちばん年上のヒトが問いかけてきた。「魔法使いはなにやってたんだ」のヒトだ。

 何かと言われれば

「連れ、だよ」

「そうかいそうかい。そりゃあ失礼したねお連れさん。だけどこういう時のための魔法じゃないのかい? 海竜さんとかそういうモノを治めるのが仕事だって聞いてんだけどね?」

 洗い途中のシャツをたらいに放り込んで腰に片手を当てたヒトを、塀から見下ろしヨゾラは思った。


 負けるもんか。


「海竜のことなんて知らないよ。だけど、あたしは昨日見てた。水がたくさん来て、何もかもめちゃくちゃなのに、あたしの魔法使いは逃げなかったぞ。何人も引っ張り上げて、死んじゃってたヒトだっていたけど、がんばってたんだ」

「アタシが言ってんのは、あんなことにならないように、そもそも気をつけろって話だよ。何人亡くなったと思ってんだい? チビ猫が偉そうに」


 チビだとっ!


「にんげんがエラそうに!」

「はん! 生意気だね。あんたのご主人がだれだか知らないけど、身内の責任をとるなんざ当たり前のことだろうよ! それをさも『良いことしました』ってな顔してんじゃないよ」

なんて知るもんか! 助けるのは良いことだろ! はたらいたんだぞ、あたしだって、必死に!」

「そーぉの身体で何ができるって言うんだい? 魔法でも使ったのかい?」

「そうだよ!」

「じゃあ見せてごらん、ご自慢の魔法をさ。そしたらあんたの言うこともちょっとは信じてやるさ、ねぇみんな?」

 他の女のヒトたちが同調して頷くのが見える。

「魔法は! ……あるけど」

 思うようには出てくれない。アルルもいないのに。

「なにをぶつぶつ言ってんだ。だいたいね、今朝も軍隊さんやけいさんは大忙しで働いてるよ。ウチの旦那だって手伝いに駆けつけてんだ。で、魔法使いさんは何やってんだい?」

「わるいやつ追っかけてったよ! いきなり石投げてきたんだ!」

「それが何だってのかね? 魔法は人のためとか、普段ご大層な事を言ってんだ、優先順位ってもんがあるだろうよ」

「ゆっ……」

 がわからない。

「どうしたねチビ猫さん?」

 勝ち誇って、塀の下へとおばさんがずんずん進んでくるのを見下ろしながら、ヨゾラは何か言い返してやりたい。

 その時、突然に塀の反対側から悲鳴があがった。


「きゃあああああ! 猫がしゃべってるしゃべってる!」


 驚いて飛び上がり、塀の道側に落ちながら、ヨゾラは緑の布飾りリボンと赤毛を瞳にとらえた。

 着地して見上げると、魔法使いならぬ使いが唇に人差し指を当て、手招きしていた。


 フラビー!


 これで五対一から五対二になるし、知らない言葉が出てきても何とかなるかもしれない。

 手招きに応じて、ヨゾラはフラビーの腕の中に飛び込んだ。



「──いっしょにやっつけてくれるわけじゃないんだね」


 ヨゾラを抱っこしたままフラビーはさっさと歩いて、どこかの小路へと入っていく。

「そんなめんどくさい事しなーい。わたし、あのおばさんの声覚えててね。内緒だけど、お店でムチャクチャな文句つけてきた嫌ぁな人。内緒だよ? 言うことはいちいちごもっともだけど、こっちの話はさっぱり聞いてくれないの。あの人と言い争うだけむだむだ。逃げちゃえ」

 フラビーは小路を抜けて、また大きな通りに出る。


 女の人に抱っこされるのは初めてだった。アルルの抱っこと比べると、だいぶしている。村でアルルがエカおばさんのおっぱいに埋まってたけれど、こんな感じだったんだろうか。


「そうだ、ビッコが誰かを追いかけてったってったっけ?」

 追いかけて行ったって言ったっけ? かな。

 事情を話したら、フラビーは一言「ひどいね」と眉毛をひそめてこう言った。

「人んに石投げ込むなんて、ぶっ飛ばされて当然よ。今頃アルビッコがぶん殴ってる、ぜったい」

 確信にあふれるお姉ちゃんに、なんだかヨゾラはおかしくなる。

「なんでわかるのさ?」

「え? ララカウァラの人はみんな脚速いよ。田舎育ち舐めんなって事よ」

「なめる?」

 舌を出してみる。

「ちがうちがう。甘く見てバカにするなってこと。ヨゾラちゃんも今度使ってみたら? バシっと。しゃべる猫舐めんなって。ところでね」


 はたと歩くのをやめて、はさみ使いがのぞき込んできた。


「わたしら、どこに向かってるの?」

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