第120歩: 布
りぃぃいん!
破裂音にわずかに遅れて、高く硬い音が部屋に回る。
誰もが反射的に動く。
ヨゾラは飛びすさり、アルルは左手を突き出す。
ハマハッキは身を屈め、ハニはひと跳びに壁へ。
シェマは腕で頭をかばい、ケトは身を固め構える。
窓を破って部屋に飛び込んだ白っぽい塊は、天井に跳ね返りハマハッキの肩を打つ。
直後
「おのれぇえぁあ!」
鬼気迫る怒鳴り声と共に、
その後ろをハマハッキが走り抜けて、だだだっ、だん! と階段を駆け下りる音が響く。続いてもう一人分。
ヨゾラは目が離せない。
ケトの背中から離せない。
猫は突然の出来事に対して動きを止め、身構える習性がある。
ハニの怒鳴り声にまざった「ぐむ」という呻き声をヨゾラだけが聞き、誰よりも視点の低いヨゾラだけが、それを見ていた。
ケトの背から、三角のガラス片が生えていた。
「やだぁぁ!」
ヨゾラの口を、叫び声が
シェマが悲痛な声で使い魔の名を呼ぶ。
「ケト!」
「動くな!」
ケトが怒鳴った。割れた窓の破片が背に刺さったまま。
「破片が。危ないのだ、むやみに、動いては……」
大猫の警告に、あるじはベッドの上を窓側へ動いて、毛布を床に落とす。
「ケト、ケト、こっち。すぐに治すからね。大丈夫だからね」
毛布を足場にシェマが大猫を抱え上げ、膝に乗せる。ヨゾラもベッドに飛び乗り、その傍らにつく。
「し、シェマ、大丈夫だよね? ケトきょー、大丈夫だよね?」
以前、ドゥトーの
シェマの手がすっと伸びてきて、ヨゾラの背をひとつ撫でた。その手はアルルの手よりずっと薄く細く、同じぐらい優しくて、震えていた。そしてひどく熱かった。
「だいじょうぶよ。──ケト、我慢してね?」
王族ネコの魔法使いが、使い魔の背に刺さった破片を両手で、抜く。
ふぐ、とケトが呻く。
薄く血のついた破片を投げ捨てて、今度はこんもり猫の毛をかき分け、あるじはそこに顔をうずめた。娘の細い下あごが開いて閉じるのがヨゾラにも見えた。
舐めた、とわかった。
シェマがケトの傷を舐めた。
「この時ばかりは、使い魔で良かったと思えるな」
こんもり猫の軽口にしっぽ髪は答えない。
膝に乗せたままの使い魔に両腕を回して、ぎゅっとした。軽口に応えてもらえなかったからなのか、ケトは少し困惑したように言った。
「……あるじよ、熱が下がっておらぬではないか」
こんもり猫の毛に顔を埋めたまま、こくこくとシェマが頷く。
「安心したら、また出てきたみたい」
「……すまぬ、不覚をとったよ」
幾分か真面目になったケトに、シェマは首を横に振った。ケトに鼻をすり付けてるみたいだった。
「アルルくんたち、捕まえてくれたかしらね。できるだけひどい目に遭わせてくれてるといいけど」
大猫から顔を上げてしっぽ髪が言う。
ベッド脇の短靴をとり、中を確かめ、けだるげに
ベッドの上に大小の黒猫が残る。
「こいつね、私の使い魔に怪我させてくれたの」
扉の近くに転がる白っぽい塊は、ちょっと見ると袋に見えた。だが、実際は、目の粗い布に固く包まれた拳大の石だった。
石をテーブルに置いてシェマは布を広げ、そのまましばらく動かなくなった。布地を見る目がみるみる険しくなり、顔から血の気が引いて青くなる。
突然動き出したかと思うと、真っ直ぐコンロ台に向かい、燃焼室の戸を開け布を放り込んで
ばん!
と乱暴に閉めた。
「あるじ?」
と大猫が不審げに声をかける。
よろよろとベッドへ戻るシェマの靴が、ガラスを踏んで、べききき、と音をたてる。腰を下ろし、麦藁色の前髪をぐしゃりと掴んで固く目を閉じ、深く短く、娘が、何度も吐く息を震わせる。
「……ひどいよ」
ヨゾラは呟いた。
見えたのだ。布に太く書かれた文は裏にまでインクが染み、反転して見えていた。
ヨゾラの頭は、その形をひっくり返して文字にした。
金曜日にもらった新聞で、何度か見かけた言葉があった。
「シェマ、ひどいよ、あんまりだよ! あんなの!」
シェマが目を開ける。ついさっき、ほんのついさっき「楽しかった」と言った娘の瞳は、深く暗い光を宿していた。
「ヨゾラさん、見えたの?」
「見えた!」
「……アルルくんたちには、言わないであげて」
「ちがう! アルルも怒ればいいんだっ! あんなに! あんなに! あんなにがんばったのに! キミも、ケトきょーも、アルルも、縦長も、ハニも、みんながんばってたのに!」
ヨゾラは言葉が止まらない。悲しかった。ひたすらに悲しくて、猛烈に頭にきた。
「知ってるんだ、あたし。アルルといてわかったんだ! 殺すのは、ムダで、ひどいことだってさ! なのになんでだよっ! なんで、キミたちがひどい事いわれなきゃなんないんだよ! たくさん助けたじゃん!」
お前ら、魔法使いは、人殺し。
「なんでだよ! なんで! なんで、なんで……」
声がうわずり、鼻が熱くなって、「なんで」としか言葉が続かない。
「そうね」
と、シェマから平坦な声がした。
「どうしてなのかしらね。たくさん助けたわ、私たち。頑張った、頑張ったわよ。精一杯、がんばったのよ……」
シェマは破れた窓を見ていた。
窓は東向きで、城壁を越えた陽の光が入りはじめて、蜂蜜色の瞳から流れ落ちる涙に跳ね返っては、ひたすら場違いに輝いていた。
「……あるじよ、寝てくれぬか。せめて横になってはくれぬか。そのままでは、体にも
ためらいがちな使い魔の勧めに、あるじが従う。毛布を拾って、ガラスを払って、涙を拭って。
「ねえ、ヨゾラさん」
「なにさぁ……」
うわずったままの返事をして、ヨゾラがシェマの顔の近くへ寄る。
「アルルくんにもハマハッキさんにも、今の事は言わないであげて。聞いたら、今の私たちと同じ気持ちになるわ。私たちの秘密にしましょう」
「うん……」
「私、ちゃんと寝て、明日までに治す。元気だったら、あんなくそったれな布切れなんかで泣かないのよ?」
「うん。そうなんだろうね。キミは、もう、キミは寝ちゃいなよ。あたしは片付け出来ないけど、あたしからアルルにお願いしとく。とくべつだぞ。アルルはあげないぞ。でも、負けんなよ、シェマ」
ヨゾラの言葉に、しっぽのないしっぽ髪の目が少し光った。熱があって弱っちいなりににっこりしてきたので、ヨゾラも「にっ」とやりかえした。
「あんまり我があるじを取らないでくれたまえよ」
扉の脇に丸まったこんもり毛玉を
「たまに、あんたって可愛いわよね」
と、からかったしっぽ髪への返事は、鼻息だった。
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