それでも日常はあって

第116歩: 生き残り戦略

 魔法協会の事務室に集まった職員がざわめいた。ハマハッキだけがあまり事態を飲み込んでいない。

「なるほど」

 報告を受けた支部長が短く言葉を発する。

 高波は海竜が引き起こしたもの。ガザミ腕の公園で見た光景を簡潔にまとめたシェマの報告は、協会職員に少なからず衝撃を与えるものだった。

 

 受付のオルトハンナ。マヌーにアンニ。ロッキとクービアック、ハマハッキとハニ、シェマとケト。たれ目で年かさのバトゥと使い魔のコウモリ、ふっくりしたアリスコと飛び蜥蜴とかげ。そしてアルルと鞄の中のヨゾラ。

 魔法使いもそうでない者も事務室の奥に集まり、このあたりに席がない者は椅子を持ちこんで座っていた。

 全員が疲れた顔をしていて、とりわけシェマは顔色も悪い。その足下には戻ったばかりのケトが衛兵のように胸を張って控えていた。


 高波は協会のすぐそばまで来たものの、幸い床上には達しなかった。ただこの辺りでも下水が溢れたため、そこはかとなく悪臭が漂っている。


 支部長が口を開いた。

「そうしますと、これは厄介な事になりましたね皆さん。もしこの事で何か訊かれても、対応を検討している最中だと答えて下さい。それ以外のことは知らされていないと」

「すんません質問、いいですか?」

 語り手の息継ぎを埋めてハマハッキが軽く手を上げる。「どうぞ」と促されて蜘蛛の魔法使いは質問を口にした。

余所よそもんなモンで良くわかってないんですけども、海竜が原因だと何でマズいんです? 高波はエラいことでしたが、それももう終わったって思ってたんですけど」

 頷いて支部長が答える。

「それがですねえハマハッキさん。海竜はウ・ルーの管理するものなんですよ。厳密には、ウ・ルーがライリ・マーラウス海送に管理をお願いして、我々協会がそれに協力するって形なのですけれどね」

「ああ、そういうことです?」

 半ば他人事のような口調でハマハッキが相槌を打ったが、その縦長の顔はこの先を思いやってか苦々しい。

「はい。これは天災ではなく、人災という事になります」


 アルルにもその違いはわかった。そして協会がその渦中にいると言うことも。


「とは言え、ですよ」

 重たい沈黙を破って、はっきり、ゆっくりと、協会支部の長が語りかける。

「皆さん、本当にお疲れ様でした。皆さんと皆さんのご家族には被害がなかったと聞いてまずは、安心しています」

 そして、ひとこと加えた。


「明日は休みです」


 普段通りを演じているのか、わざと口調を間延びさせて続ける。

「我々は、交代制で動けるほどの人数は、ええ、とてもありませんからねぇ無理は禁物です。特に非常時にはね」

 支部長とロッキが視線を交わし、小さくロッキがうなずくのがアルルから見えた。

「今後の事は私とロッキさんで打ち合わせますが、月曜日からも基本的には通常業務です。ああ、ただし、ウ・ルーからの要請があればですね、そちらに優先して人の割り当てを行いますので適宜指示に従ってください。ええロッキさん、何かありますか?」


 促されて、ロッキが椅子から立つ。こちらは毅然と背を伸ばし、緊張感のある態度を取った。


「海竜の件はこれから対応と言うことですが、何より今日、よく頑張ってくれました。早い段階で山彦笛が鳴りましたので、それも良かったかと思います」

 ロッキの碧い目がちらりとシェマを見た。

「魔法は人のために、とは言いますが私自身、至らなかった事が数多くありました。皆さんも、思うところは多々あるのではと思うのですが……」

 かもめの魔法使いが言葉を切り、ふと目を伏せた。肩にとまるクービアックが主の金色の髪をとついばむ。

「……市民の方には我々を万能と思っていらっしゃる方もおられます。しかし、残念ながら、現実はそうではありません。海竜の件もありますし、今後、心ない事を言われる事もあるやも知れません。その時はなぜ『魔法は人のため』と言われるのかを思い起こして下さい。月曜日ルア以降また忙しくなるでしょうが、引き続き皆さんの力を貸してください」


 魔法は人のために。

 これはアルルもよく耳にした。ペブルから、そして学院の教授から折に触れて言われたことだ。これこそが、魔法使いたちが百年前に始めた生き残りの戦略。


 語り手がロッキから支部長へと戻る。

「明日は、なるべく休んでください。私は今晩は宿直室におりますので、何かあればいらっしゃってください。では皆さんお疲れさまでした。帰りもお気をつけて」

 そして解散となった。



 水は沸かして飲むように。帰りはなるべく大きな通りを通るように。支部長が大きな声で言い忘れた注意事項を述べている。

「アルルさん、ちょっとばかしお願いがあるんだけども」

 使った椅子を自席に戻した所で、向かいのハマハッキから声をかけられた。

「なんですか?」

 ヨゾラ入り鞄のかぶせを閉じてアルルは促す。黒猫は水袋と鞄の隙間に沿うようにすっぽりはまって、起きる気配もなかった。

「ハリハリムシ、もう少しばかり貰えたりしないですかね?」

 ハマハッキがそういうと、その背中から「まぁ」という華やいだ蜘蛛の声が聞こえてくる。今朝「相方が好きでね」と言っていたのは、そういうことだったかとアルルは改めて思う。

「良いですよ。俺はを扱えないし、誰か欲しい人がいるかと思って持ってきただけですから」

 置きっぱなしになっていたカップをとって差し出す。中には針の姿をした虫がまだ十匹ほど残っていた。

「いやぁ、全部ってのも悪いぜ。また半分でいい」

 そんな半端に残されても。

「じゃ一匹だけ残してくれますか。そいつを俺が飼いますよ」

「お、本当かい? 恩に着るぜぇ。ハニちゃんめっちゃ頑張ってくれたから何かご褒美あげたくってさ」

 ハマハッキが小綺麗な歯を見せて笑う。

「もお、いやですよぅハマハッキ様ぁ」

 その背中から甘い甘い声がした。

「お二方」

 と深みのある声がした。

 いつの間にか、ケトが六人机の所に来ていた。


「すまないが、助けてはもらえぬか」


 シェマが立てなくなっていた。

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