第112歩: いくつもわかったことがある

 アルルが窓から飛び出して「翼」を開き、向かいの建物の壁を蹴ってさらに上昇をかける。

 そのシャツの襟ぐりから望む眼下の街。濁った水に浮かぶ、何かだった瓦礫。例えば椅子やテーブル、本棚、薪や焚き付け、新聞、本、壷、たらい、桶、ちぎれた船の帆。

 制服の一団が見えた。街のけい隊が出てきていた。一昨日は丘の上から果物皿に見えた街、今は泥と瓦礫と海に侵された街を、アルルはまっすぐ飛んでいく。


 

 ヨゾラは思考する。

 いくつもわかったことがある。



 「猫はいつの間にかいなくなる」そして「猫はどこにでも現れる」

 それがシェマとケトの魔法だった。

 初めてケトと会ったときも、それを使ってたんだろう。いきなり現れたし、わざわざ「猫はどこにでも現れるものだ」なんてカッコつけてた。

 ほんとにもう、ヒトも王族ネコガトヒアウもオスはやることが一緒じゃないか。

 でも、その魔法でシェマとケトに借りができた。

 だからってにアルルはあげないけど。


 あの魔法にかけられてまたひとつわかった。

 あたしの身体が使う魔法、それが途中で止まった。魔法にかけられている間、あたしの中で何かが欠けてた。それが中庭に出た時に、もう一度戻った。


 何かが、ある。あたしの中に。ウミネコの流星群とか、デンソウチエンとか、逓信局コヘオとか、そんな事を思い出すときに、そして、あたしの身体が魔法を使うときにつながる「何か」がある。

 その何かは、あたしなのか? アルルにもそういうのがあるのか?

 考え出すと気持ちが悪い。自分のしっぽを延々おいかけてる気分だ。

 


 アルルはガザミいちの方へ向かっていた。瓦礫や水で、人が行けない所へ飛ぶつもりなんだろう。この人ならそうする気がする。ユニオーの時もそうだ。ヤミヌシの時もそうだ。森の淑女モッサナフロレッタの時もそうだ。

 このヒトは飛び込んでいく。

 あたしの事も、そうやって助けてくれた。

 魔法使いだから? でも、魔法が使えなくても、この茶色いヒトはカバンを持って駆けつけるんじゃないかって思う。

 見ていたいと思う。

 あたしは、そうだ。このヒトに興味がある。

 そして、この人の力になりたい。


「アルル、人がいる! 音がする! ひだり! 太い木の陰!」

「見えた!」




 アルルが脚の尾羽で空を蹴り、背の翼を打つ。木の幹に飛びつくと同時に、もがく人影へ向けて「糸」を飛ばした。

 引き上げられた男は宙空でじたばたともがき、咳き込みながら叫ぶ。

「スリッカ! スリッカぁぁぁ!」

「暴れるな! 釣り合いが狂う!」

 もがくたびに男の体がぐるぐると回転し、それでさらに暴れる。アルルはさらに二本の「糸」を打ち、動きを封じて引き寄せる。

「掴まってろ! 水が引くまで頑張れ!」

 太い枝へ男を乗せてアルルが怒鳴る。

「スリッカぁぁぁぁ!!」

 その声も届いていないのか、男は落ちそうに身を乗り出して絶叫する。叫び声をかき消して余りある水の轟音の中、ヨゾラの耳が捕まえた。


 おとぅさぁぁぁん!


「アルルあれ!」

 

 百パソほど海側、瓦礫に混じった戸板の上に赤い点。

 

 ばすっ!


 アルルが再び宙へ飛び出した。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。矢継ぎ早に翼を打ってぐんぐんと加速していく。その体からどんどんと魔力が失われていく。

 下はひたすらに濁流だ。石積み護岸が削られて、どぅどぅと海へ波が帰る。引き波に翻弄される戸板の上、赤い服を泥だらけにした少女の姿が見えた。

 はいつくばるように戸板につかまり父を求めて泣く子に向かって、アルルは水面すれすれを飛ぶ。海へ流される赤い服を追う。

 空を飛んでなお、たかだか百パソが遠い。


「くそっ……! まだ……!」

 

 アルルの呻き声がする。取り込む魔力は、「翼」が使う魔力に追いつかない。


 がんばれ。


 ヨゾラは願う。この魔法使いの力になりたい。

 

 がんばれ、アルル。

 もうちょっとだよ、もうちょっとなんだ!


「つ、かっ、まれぇぇぇ!」

 アルルが叫んだ。少女が顔をあげて、小さな手を伸ばす。魔法使いが両腕を伸ばして少女を抱きかかえる。「翼」を打ち、すこしずつ上昇しようとする。

 引く水に覆い被さるように逆巻いて、第二波。

 護岸に引っかかっていた船の残骸が第二波に浮き、逆倒しになって帆柱が海を叩く。上昇が間に合わない。このままだとぶつかる。

「だあぁぁぁぁっ!」

 アルルが激しく「翼」を打つ。

「アルルっ! がんばれ!」

 ヨゾラは思わず叫んだ。

!」

 



 ──放り投げられた、とアルルは錯覚した。目の前に迫った船の甲板が眼下へ流れ、船体が後方へと過ぎる。体勢を立て直そうと「翼」を打つたびに、右へ左へと体が振りまわされる。

 抱きかかえた子が甲高い悲鳴をあげる。

 背骨の真ん中あたりから魔力が注ぎ込まれるのを感じて、さらに混乱する。

 魔力を変換する感覚が普段と違っていた。子を抱え直し、襟ぐりから黒猫が落ちそうになるのもどうにか押さえる。「翼」が。体を支える揚力が途絶える。落下の、開始。


 集中!


 体をぴん、と張る。「翼」を張り直す。空気を孕んだ「翼」の抵抗が体に返ってくる。脚の「尾羽」はいつも通りだ。両の翼を真っ直ぐ、丁寧に、振り下ろす。


 ぼう。


 羽ばたくと同時に耳元で唸る風。見えない腕に引き回されるような、現実感のない加速と上昇。

「がんばる……がんばる……」

 首元から声が聞こえる。少女がジャケットの襟を握りしめている。


 集中。


 アルルは自分に言い聞かせた。

 余計な事はいい。まずは、この子を連れて戻れ。

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