第107歩: ガザミ市へ至る道

 三日月サルーンへの支払いは、銀二枚に銅八枚だった。

 二つの布袋をじゃりじゃり言わせながらアルルは、けっこう取るんだな、と思う。フラビーが会計をしながらこちらを見ていた。

「なんだよ?」

「なんでもなーい。アルビッコにも女友だちいるんだなと思って」

「別に……いてもいいだろ」

 幼なじみの言葉に混じった妙な含みは無視して、預けておいたジャケットにコートを受け取る。

 今日の陽気なら、もうコートは要らないだろう。

 振り返ると、たけみじかの上着を着込んだシェマが妙に小さく見えるのに気が付いた。

 背、あんなに低かったかな。

「なに?」

 気づかれた。

「いや、シェマ、縮んだ?」

 背後から咳払い。見れば腕組みして睨んでくる幼なじみ。

 視線をもどせば、手で髪を束にし、高い位置でまとめている先輩魔法使い。

「あ」

 気が付いた。の分、高く見えていたのか。

「これが試験なら減点ね」

 手を離し、髪を背中に流しながらシェマは濃い眉毛を持ち上げてみせる。

 前方に先輩。後方に幼なじみ。両方を敵に回して勝ち目はないと悟り、アルルは小さく

「悪い」

 と言った。



「石鹸とか日用品なら、ガザミいちがいいわ」

「どっちかって言ったら、ウ・ルーは俺の地元のはずなんだけどな」



 店を出て、そんな会話になった。地図の「テンテン」で場所を教えてもらおうと思っていたが、案内してくれるという。

「ヨゾラを待っててやらないと。勝手に動くと、あいつたぶん怒る」

「自分は勝手にどっか行ったのに? ケトが一緒だもの、連れてきてくれるわよ」

 それもそうかと思った。それに、ヨゾラが相手ならどこにいても見失わない、というのもあった。


 そうして今、コートをつかんで殿でんおおを下っている。


 通りの向こうから海風がそよいで、少し前を行く麦藁色の髪がなびく。

「すっかり春ね」

 きれいに畳んだ紫の巻布ストールを手にシェマが振り返った。

「そうだな」

 日差しに目を細めて相槌をうちながら、アルルは不思議な感覚にとらわれた。ある種の懐かしさにも似た気持ち。おかしな話だと思った。

 実現しなかった事を、懐かしいと思うとは。

  



め、呼びつけておいて移動するとは」


 こんもり猫が愚痴をこぼして、シロハナスノキの垣根をくぐった。薄紅色の花はすでになく、花のあったところにはポツポツと茶色い点がぶらさがっている。

 ヒトの使わない、猫の道だとケトは言った。


「ねぇ、ケトきょー。キミのあるじに言っといてくれないかな。アルルを勝手に連れてくなって」

 そう言いながら、ヨゾラはアルルの居場所を探る。やっぱり動いている。ケトが示すのいる方向と変わらないから、一緒にいるのだと思う。

「それはヨゾラ君の希望であるからして、其方そなたが自身で言いたまえよ」

 隣を行くこんもり猫はヨゾラを見下ろして言う。


 先ほどの食事中にケトは、一度だけ顔を上げて宙の一点を見つめていた。あるじに「呼ばれた」というのは、おそらくその時だったのだろう。

 料理店の床下や屋根裏から意気揚々と獲物を咥えた猫たちが引き上げていき、顔に傷のある男はその様子を満足げに眺めて「またそのうちよろしくな。チビすけ、今度はお前も働けよ?」と黒猫二匹に言って中に戻っていった。

 あるじが呼んでいるな、とケトがあくびをしたのは残りを平らげた後だった。


 垣根をくぐって進むと、今度は煉瓦の塀が立ちはだかる。

「ヨゾラ君は、我があるじがあまり気に召さぬようであるな」

「うん」

 突然のケトの問いへ、ヨゾラは正直に答えた。

「まぁ、あるじに仇なすのでなければ私は構わんが」

 大猫が、巨体に似合わずと煉瓦塀に飛び乗る。

「とはいえ、あるじの何が其方そなたの気に障るのか、話してみてはもらえぬか?」

「そんなのっ。のっ」

 ヨゾラは何度か飛び乗ろうとして失敗する。大猫は塀の上からのんびりと見下ろしている。

「そんなの話してどうなるのさ?」

 見上げて小さな猫は問う。

「なにか誤解でもあるなら解けるかも知れぬ」

「誤解なんかしてないよ。あたしはただ──」

 ヨゾラは後ろに下がって塀から距離を取る。

「アルルがっ」

 助走をつけ、塀に飛びついた。ひとつ、ふたつ、みっつ、塀を駆け上がる。ケトの顔と高さが合う。塀の縁に爪がかかる。あとわずかに足りない。爪でぶら下がり必死に後ろ脚を動かしていると、ケトの顎が迫ってきて首の後ろを咥えた。

 反射的に尻尾がと引っ込む

 そのまま持ち上げられて、ヨゾラは塀の上に降ろされた。近くの家の窓から、お茶を片手に煙を吐く人が見えた。先ほどまでいた裏庭の茂みの上に、森しが昼寝をしているのに気づいた。


「アルル殿がどうしたのかな?」


 お尻の上からケトの声。

「アルルが──」

 ヨゾラは身体ごと振り向いた。

「アルル、キミのあるじといると、あたしの知らないアルルになるんだ。いつも優しいけど、すごく優しい顔するし、すごく楽しそうにするし、あたしの知らない話するんだ。あたし、それが……イヤだ」

「それでは、あるじには何の非も無いではないか」

「……うん」

 それは、ヨゾラにもわかるのだ。しっぽ髪は悪くない。アルルだって悪いわけじゃない。なのに、あの二人が一緒にいると何でイヤな気持ちになるのか。

 知らずのうちにうつむいて、煉瓦の目地をみていた。

 その鼻先に大きな黒猫の頬がすり寄せられた。

 ふかふかとした頬に、顔を上げさせられる。 

「私はアルル殿を知らぬ。だが、の者といる時は、あるじも私の知らぬ顔を見せるな」

「ケトきょーは、へいきなの?」

 塀の上を進み出す大猫の尾を、ちび猫が追いかける。

「私はな。あるじに害なす者でなければ気にもならぬ」

「それは、キミが使い魔だからじゃない?」

「どうかな」

 と大猫。

「以前は、私と我らが臣民に害なす者でなければどうでも良いと思っていた。そこにあるじが加わったに過ぎぬ」

 塀がと曲がるのは辿らず、ケトは飛び降りた。塀の上で二、三歩足踏みして、ヨゾラも飛んだ。なかなかに強い衝撃に息が詰まった。

「聞けば、アルル殿はあるじのふるい友人というではないか。やはり気安いのであろうよ、この数日あるじはよく笑う」

「アルルもそうってこと? その、あの人が、シェマが友だちだから、いつもより楽しくなってるって? そうかなぁ……」

 見覚えのある通りにでた。ウ・ルーで最初に通った道だ。

 妃殿下大路の人通りが見えて、アルルの気配はもっとずっと左の方に感じられた。

 ヒトの道を横切り、ケトはまた猫の道へと入っていく。

「そこまではわからぬがな。しかしあるじにアルル殿と関わるな、とは言えぬよ。私から尋ねておいてすまぬが二人が共にいる事そのものは、どうにもできかねる」

「どうにかして欲しかったわけじゃないもん。いいよ」

 これでこの話はおしまい、ヨゾラはそう思ったのだが、ケトにはまだ続きがあった。

「そこで、例えばこういうのは如何いかがか?」

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