第108歩: 少しは大人になったのかしらね
六区の南端と一区の東端、それぞれ海に突き出た部分が合わさって蟹のハサミに見えるので、その一帯はガザミ
たとえば、なぜアルルが鞄を二つ提げているのか。
「こっちは、塩とか水とか、ヨゾラを入れとく」
「アルルくん、結局ヨゾラさんのなんなの?」
「命の被恩人?」
「命の、
シェマはいつからウ・ルーに来ていたのか。
「二年前の今頃。地元の、アヴァツローの魔法協会で働き始めて間もなくだったの。びっくりしたわ」
「冬、寒くて大変だっただろ?」
「あら。あっちも冬は寒いのよ? 雨も多いし」
「こっちは雪だ、雪の方が冷たいぜ」
「私は両方経験してるの。知ってる? 雨って染みてくるのよ?」
三日月サルーンで、カウネはアルルを誰と間違えたのか。
「俺、フラビー以外はウ・ルーに知り合い居ないはずだけどな。
「えっ、アルルくん来てたの?」
「ああ。南半島に行く用事があってさ。ここから半島往還船に乗ったんだ。この辺りはその時に通ったな」
「なによ。言ってくれれば良かったのに」
「こっちの台詞だぜ。とにかく、その時は港に近い宿がいっぱいでさ。わざわざ引き返して、あ、あれだ。あそこ曲がったとこの宿に──……」
「……泊まった?」
「そう」
「どうしてそんな所で詰まるのよ」
フラビー。
「田舎から出てきたっていうのは聞いていたわ。だけど、きみと同郷だと思わなかった。本当は、先月に髪きる予定でね? でも、イォッテ……フラビーさん、お休みとって村に戻ってたのよね」
「ああ、たしかに戻ってきてたよ。村で会った。あいつがあんなに静かに仕事すると思わなかったな」
「私は真逆。あんなにはしゃぐ人だと思わなかった。アルルくん、フラビーさんと仲良いのね」
「うん? 普通だぞ」
「飛びつかれて抱きつかれて?」
「フラビーは……割と誰でもああなんだ。シェマも今度会ったら飛びつかれると思う」
「なぎ倒されそう」
「気をつけてな」
海に近づくに連れ、馬車や荷車の数が増えていく。
コンコンコンコン。
南半島からの荷を満載にして馬車鉄道が鐘をならす。
「でも、フラがちゃんと仕事してるの見て安心したよ」
「なにそれ。ヨゾラさんに対してもそうだけど、きみ、ちょくちょく父親じみたこと言うわよね。髭でも生やしたら?」
「髭はあんまり生えない」
「そういうことじゃないわよ」
「わかってるよ。でもまじめな話、フラビーん
「なぁにそれ。そんな考え『星落ち』で滅びたと思ってたわ」
「フラビーも似たようなこと言ってた。いっつもケンカして、おばさんは俺んちにも来て愚痴ってたし、フラビーはトゲトゲしてなぜか俺に八つ当たりするし」
「仲いいじゃない」
「八つ当たりがか? でもフラビーすごいなって思うのは、あきらめないで、おばさんの事ちゃんと説得したんだよ。勝手に家を出たり、やろうとすればできたと思う。けど一年かけて説得したんだ。あいつすごいよ」
「いい話ね。私じゃなくてフラビーさんに言えばいいのに」
「それは……あいつとは、ずっと
「ばかねぇ」
シェマが柔らかく笑った。海風に、麦藁色の髪が踊った。
ガザミ
石鹸の切り売りでひと月分、片手で掴めるぐらいの塊が銅二枚だった。ガザミ市の露店の中には軽食を扱うものもあり、そこで遅めの昼食を取ることにした。
燻した
「うん……旨い。これ、前来たときから気になってたんだ」
「はさみ焼き。協会の近くでも食べられるわよ」
「へえ。ほあいいあ」
「飲み込んでからしゃべりなさい。どこか座りましょ」
街を歩き、しゃべって、買い物をして、食事をする。
あの頃、ついにできなかった事だ。なのに、なぜか当たり前のように今やってる。
素直に、楽しいと思った。だからこそ今言っておきたいと思った。楽しさの中に置き去ってしまうのは、なんだかずるいように思った。
「シェマ」
隣の魔法使いに呼びかけて、手元のはさみ焼きから顔を上げる。そして、別の娘と目があった。
以前泊まった宿の娘だ。
アルルの目がこれ以上ないくらいに丸くなる。
よりによって今、ここか。
娘は一瞬驚き、愛想笑いを出しかけて、隣のシェマを認めた。そのまま、何も見えなかったかのような態度で立ち去っていく。
「知り合い? いないんじゃなかった?」
シェマがそれに気づかないはずもない。
「今のは……知り合い、というか……」
青年は若干の後ろめたさに口ごもる。
「ふーん」
そして蜂蜜色の瞳はいじわるに光った。
「……そういうこと?」
流し目でアルルを見やりながら、シェマがはさみ焼きにかぶりつく。
「想像に、任せる」
「なるほど? あんなにうぶだったアルルくんも、今ではいっぱしのオトコってわけね」
「その言い方やめろ」
「イヤね、なに恥ずかしがってるのよ。そんなの誰にだってあるでしょ?」
「あるのか?」
「もちろん」
きょとんとしてシェマが言う。そのまま無言で二人の魔法使いは残りのはさみ焼きを、
「ごめんね! 間が持たない!」
「なにが『もちろん』だよ! いばるなよ!」
ひとしきり笑って、一息ついて、ふとシェマが言った。
「少しは大人になったのかしらね、私たち」
「だといいな。あんまり変わった気もしないけど」
アルルはもう一呼吸おいた。また邪魔が入らないうちに言ってしまおう。
「シェマ」
「なに?」
笑いの余韻を残したまま、シェマが見上げてくる。
「五年前の、あの時、約束守れなくてごめん」
「あ……ええと」
シェマが珍しく歯切れの悪さをみせた。
「その話になっちゃうよね」
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