第105歩: やってってって

 後ろを通るヒトたちがクスクス笑う。

 ──あらやだ、なにあれ、おっかしい。


「髪切りのお嬢とアルル殿が旧知の仲であったとはな」

 三日月サルーンの窓枠に前足を付いて、こんもり猫がひそひそ言った。

「あたしだってびっくりだよ。キミのあるじとフラビーが知り合いだと思わなかった。ね、ケトきょー、重くない?」

 こんもり猫の背中に後ろ足をかけ、窓を覗きながらヨゾラもひそひそ返した。

 耳の良いもの同士、これぐらいで十分だ。

 

 ──見ておかぁさま見て! ネコが肩車してるわ!


 またヒトの声が通り過ぎる。

「その小さな身体に重さなどあるものか」

 窓のつくる壁のへこみに顎を乗せ、大猫が余裕の笑みを浮かべたのをヨゾラは股の下に見る。

 窓の向こうでは、しっぽ髪がをほどいて椅子に座り、フラビーが櫛を通している。窓を通して見る二人の姿は、ところどころと歪んで見える。

 髪切り用の椅子は三つあるけれど、フラビーが戻った後、入れ替わりで一人お昼ごはんに出て行った。

 中に髪切りは二人だけだ。

 



 さっきのこと。

 ヒト三人は「知り合い?」と声を揃えたあと、お互いがお互いに質問しようとして、言葉がぶつかって引っ込めたりしていた。

アルビッコちびアル、ねぇ?」

 シェマが薄茶はくちゃの目をいじわるに光らせる。

「シェマには言われたくないぞ。俺の方が背ぇ高いだろ」

「ムキにならないビッコー」

「私に背丈で勝って何が嬉しいのよ?」

 しっぽ髪も仕事を終わらせて、三日月サルーンに髪を切りに行くところだとケトが教えてくれた。

 しっぽ切るのか。


 牙まで甘くなるお土産、エカおばさんからの干した果物を受け取ったフラビーの喜びっぷりは、やっぱりどこかニワトリに見えた。

 あっけに取られたのはしっぽ髪で、それはフラビーがお店で働いているときと全然違うからだと言っていて、赤毛の使いは髪の毛と同じぐらい真っ赤になった。

 そこから急にフラビーの態度もことば使いもおかしくなるものだから、魔法使い二人が大笑いしていた。

「どうしましょうビッコお客様なのに! クァタさんごめんなさい! 大変失礼、いたしました!」

 真っ赤なはさみ使いが言うと、しっぽ髪が笑いをこらえながら目尻の涙を拭った。

「くくくくく……いいわよシェマで。そのかわり私もって呼んでもいい?」

「やだそれ嬉しい。いいでしょアルビッコ、魔法使いの友だち二人目ができた!」

「それ俺に自慢……良かったな」

 そうやって三日月サルーンまで歩いて行き、アルルが帰ろうとしたら言われたのだ。



「このまま帰るなんて冷たいこと言っちゃう? アルビッコもお客さんやってってって」


 

 それで今、アルルはサルーンのソファで暇そうに座っている。

 フラビーはしっぽ髪のほどいたに何度か櫛を通したあと、別の道具に持ち替えた。ヨゾラも見たことのある道具だった。

 しゃいっ、しゃりっ、とするやつ。

「あれ、馬に使うやつだ」

「馬? 我があるじを馬とは」

「ちがうよ。馬とは間違えないよ」

 は似てるけど。

「いまフラビーが使ってるあれ。あれなに?」

「ブラシである。あるじも持っているぞ」

「あれ、気持ちいいのかな?」

「なんと?」

「あれで身体こすってもらうの、馬は気持ちよさそうだったんだ。気持ちいいのかな」

 そう訊くと、ケトが足元でぐふふ、と笑った。

「……良いぞ。すこぶる良い。豚毛が良い」

「やったことあるんだ!?」

 こくこくと王族ネコガトヒアウが頷いている。

「そっか。いいなー。欲しいな、ブラシ」

 窓の向こうではようやくが登場したところだ。


 ヨゾラはケトから飛び降りた。


「もう良いのかな?」

「うん。まだ時間かかりそうだし、お腹へったし。一狩りしてくる。ありがとうケトきょー」

 ケトが肩車してくれたから、中の様子がよく見えた。だから何か余分に捕って、借りを返したいと思う。

 なのに、ケトはヨゾラを呼び止めた。

「今時分であれば、狩りをするより上手い手があるのだよヨゾラ君」




 ヨゾラがどこかに歩き出した。

 そんな感覚を覚えてアルルが外をうかがうと、大小の猫が連れ立って歩き去る背中が見えた。

 王族ネコガトヒアウが一緒なら心配もいらないか、とアルルは改めて店内を見回した。

 手が込んでいる。たとえば、暖かみのある橙の壁紙は上に行くに従って、濃い藍へと変わっていく。

 表しているのが夜明けなのか、それとも日の入りなのかはわからないけれど、店に入って最初に目に付くのは藍と青の境目に描かれた薄い三日月だ。

 高い天井にも丁寧に星が描かれていた。


 幼なじみが櫛とと口を同時に動かして、旧知の友人の髪を整えていく。村で会えば騒々しいのに、別人のような口調でシェマと話している。

 驚いたのは、シェマの髪を切りながらもう一人の髪切りを指導していたことだ。話の内容はよく聞こえないけれど、信頼されている雰囲気はあった。


 フラビー、ここで頑張ってるんだな。


 村を出たのが十五のときだったから、もう七年にもなるのか。ウ・ルーで働くと言い出した時は、エカおばさんとよく言い争っていたよな。

 半ば強引に店に引き込まれたけれど、入って良かった。良い物が見られた。



「ララカウァラさん、どうぞ」

 もう一人の髪切りからそんな声がした。

 間が空いて、もう一度。

「ララカウァラさん?」

 あ、俺か。

 アルルが応じると、空いていた真ん中の椅子に通された。

 もう一人の女性客はいいのか? と目をやると、顔に何か膏薬こうやくのようなものを塗られたままじっとしていた。

 何だアレ。


 ジャケットを脱がされ、シャツの上から髪除けのエプロンをすっぽりと被せられて座った革張りの椅子は、想像以上に座り心地がよかった。思わず「おお」と声が漏れた。

「ご機嫌よう。サロゥーンは初めて?」

 シェマが横目でわざとらしく声をかけてくる。発音を東部諸国語リンガデレステに寄せているのが、久しぶりに、腹立つ。

「おかげさまで」

 適当に返した。シェマと東部語デレステ勝負をする気は起きない。


 十七歳ぐらいの髪切り娘が鏡の向こうに現れた。

「カウネ・ウショイトラです、初めまして」

 名乗りに続き、こう訊かれる。

「今日はどうなさいますか?」


 なにも考えてなかった。

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