第104歩: アぁぁあール!

「今週の給料、とは言え、ええ、昨日の半日と今日の半日で一日分ですけどねえ。これからよろしくお願いしますよアルル君にヨゾラ君」

「へーい」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 事務室の一番奥が支部長席。そこでぬのぶくろを手渡された。手渡した支部長はかっちりとシワのないシャツで、最初に会った時の庭師然とした印象とはだいぶ違う。暗い色合いの金髪に白髪の混ざる、四十過ぎの男だった。

 受け取った布袋はずしりと重い、わけもないがそれでも気分はいい。

 仕事を進める上で問題はないか、何か困ってることはないか、と聞かれたが、来て二日目では特に言うこともない。


「銀券で受け取りたかったら、来週の火曜日フォゴまでに言ってくださいな。袋もそれまでに返してください。でないと来週のお給料は裸、はだかですよ、裸」

 支部長の隣に立つマヌーから最後にそう言われた。

 なんで裸を三回も言うんだ。

「行ってきます」

 後ろからの声に振り返ると、女性二人が中庭へと向かうのが見えた。片方はシェマ、もう片方がおそらくアリスコだろう。

「いってらっしゃい」

 支部長が送り出す。アリスコと目が合い、軽く手を振られたので会釈を返した。した体つきで、レース飾りの多い、薄紅を基調とした服を着ていた。

 帽子までかぶって、魔法使いと言うよりは良家の奥さんと言われた方がしっくりくる。

 土曜の仕事は午前中だけ。来週の行程をロッキに出したら、アルルも外に出るつもりでいる。

 ちょうど五区の案件がひとつあったはずだ。

 


 

 眠い。

 魔法使いについて歩きながら、ヨゾラはあくびをかみ殺した。人通りの多い道、うっかりすれば蹴られたり踏まれたりする。

 見上げれば、アルルもひとつあくびを終えたところだった。

「ごめんアルル。すごくねむい。鞄に入れて」

 今日もぺたんこ鼻は鞄を二つさげている。

 片方の「一式」の鞄は紙、地図、ペンにインクなんかで一杯だけど、もう片方がほとんど空なのは知っているのだ。

「お前、べつに無理してついて来なくてもいいんだぞ?」

 真っ黒い眉をひそめながらも、この茶色いヒトは足を止めて抱き上げてくれた。

「あたしとしては、キミの行くところには、行かなくちゃ」

 それが自分の「しごと」なのだ、きっと。

「忠犬ならぬ忠ネコか。中のお土産食べるなよ?」

 そのまま、肩掛け鞄に入れられる。暗く、周りを囲まれた場所で落ち着く。

「猫じゃないぞー」

 中から主張すると、外からぽんぽんと鞄を叩かれた。「わかったわかった」だろう、たぶん。

 持ち主が歩くたびに鞄はその腰にぶつかるから、乗り心地がいいとは言い難い。それでも水袋と紙包みをうまく使って、寝床に仕立てた。




 くふぁ。




 目を覚ましたときには、アルルの仕事は終わっていた。


 服を売るお店で、いつの間にか売り物が切られているという相談。お店のタンスにしまっている物ばかりがやられるという話は、その場では解決できなかったと言われた。


「切られたっていうか、ほどかれた、って感じだったよ。服がバラバラにされた感じ。それも、白い絹の服ばかりだ。『いと蜘蛛くも』の仕業に思えるけど……虫除け焚かせてくれなかったし、見えない相手だからな。罠つくって月曜日ルアに出直しだ」

 そんなの、

「起こしてくれれば良かったのに。あたし、えるよ?」

「お前良く寝てたから」

 さらりとアルルは言うけれど、ヨゾラの胸はチクりとした。明後日にもう一度行くなら、その時は起きて、蜘蛛を見つけたら追っ払ってやると決めた。

 夜の新聞は半分ぐらいにしておこう。


 鞄から見る通りにはお店が多かった。売ってる物がどうやら食べ物じゃない、というところまではわかるけど。

 服? でもそれだけじゃないな。

 女の人、多い。服の色、多くてまぶしい。

「アルル、ここどこ?」

 見上げて問いかけると、短く

「五区」

 と帰ってきた。

 そうかもしれないけど、

「ここなに?」

 さらに問いかけると、アルルは頭を掻いた。

「セチセテンボロ通り。おしゃれ通り、とでも言えばいいのかなぁ。服とか、小物とか、値の張るものを売ってる店が多いよ。俺たちにはあんまり関係なさそうだな」

 そう言う魔法使いは、貰い物の茶色いコートを無造作にひっつかんでいる。

「アルル、お金もらわなかったっけ?」

「もらったけど、特にここで買いたい物なんか──うわ石鹸高いな」

 魔法使いがそう言う間に、石鹸の店はすぎていく。

 セチセテンボロ。九月七日セチセテンボロ。朝に聞いたばかりの名前だ。


 ウ・ルー。サルーン。鞄には甘い匂いの紙包み。

 ははーん。

 

 その時、通りの反対側から聞き覚えのある声がした。

「ごめんなさいごめんなさい!」

 振り返れば、行き交う馬車の間をぬってと道を渡る女の人。

 大騒ぎしながら渡り終わって、歩道をあわただしく走ってくる黄色いケープの人。

 

 そうそう、あの人。


「アぁぁあール!」

 男の子みたいな短い赤毛、勝ち気な緑の瞳。

「ビッコぅ!」

 アルルはちょっと身構えた、のに、その赤毛の人に飛びつかれて足が宙に浮いた。

 あ、倒れる。

 ヨゾラが鞄から飛び出そうとしたのと、魔力が流れるのが同時だった。

「重い重い重い!」

 女の人が騒いだ。魔法フィジコの力場が女の人を支え、ほとんど後ろに倒れたアルルがそれに掴まっている。

「手加減、しろよ」

 アルルが中腰に態勢を立て直した。女の人はアルルの首に手を回したまま斜めに浮いている。

 道行く人たちが全員としてこの騒ぎの元を凝視し、アルルは赤毛の人をゆっくり起こしながら大きな声を出した。

「お騒がせしました! 魔法使いです! あとこいつはしゃべる猫!」

「あっ、こ、こんにちは!」

 思わず挨拶してしまう。

 赤毛の人は、何が面白いのか大笑いしていた。

「あはははは! 今の魔法? 魔法にかけられちゃった!」

 そういって、アルルの背中をばしばし叩く。

「なになに、なんで居るのビッコ! 来るなら来るってお手紙くれればよかったのに! ねぇ、あんた背のびたんじゃないの?」

「会うたびに背伸びたって訊くのやめろ。あとビッコって呼ぶのもやめろ。つい最近もこれ言った」

 フラビー。

 お姉ちゃん

 

 さらに、通りがかったのはフラビーだけじゃなかった。

 しっぽ髪と大猫もだ。

「イォッテさん?」

「ヨゾラ君ではないか」

 ここから少し混乱した。

「クァタさん!」

「ケトきょー!」

「シェマ?」

「アルルくん? え?」

「ん? フラビー?」

「あれあれアルビッコ?」


 街中で、ヒト三人が残りの二人を交互に見やってから、同時に言った。


「知り合い?」

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