第103歩: 給料日

「眠そうですね」

「すいません」

 ロッキの指摘に、アルルが背筋をのばした。

 ヨゾラはあくびを──しながらそれを見た。昨日は、新聞を一枚分読んだところで睡魔に負けた。残りあと一枚。

 この「睡魔に負ける」というのも新聞で知った。「睡魔」っていうのは実際にいるらしいけど、本当は寝てる人につくなんだと言う。だから睡魔に勝ったり負けたりするのは正確ではないらしい。

 こんど寝てるアルルをよく見てみようと思う。


 くふぁ。


 またあくびが出る。

 昨日のケトを真似して魔法使いの膝の上に陣取ってみたら、意外と快適だった。使い魔たちは中庭で暇をつぶすそうだけれど今日はこっちがいい。

 アルルは地図とにらめっこしているはずだ。

 来週分の割り振りを受け取ったので、どの順番で回るのがいいか考えるんだそうだ。

 

 

「アルルさんでいいんだっけ? ハマハッキ・オラヴィだ、あんたと同じ臨時雇」


 ふいに声がした。

 アルルの向かいの席の方。薄目を開けて見たけれど、机とアルルの膝の間からでは脚しか見えない。縫い目がやたらと派手な曲線を描いた明るい色のブーツと、艶のある黒い革のズボン。

 たしかした黒っぽい髪で、縦長の顔に縦長の鼻がくっついていたヒトだ。

「アルル・ペブルビク=ララカウァラ。昨日からだよ、よろしく」

 アルルがちょっと腰を浮かせて、ヨゾラはずり落ちそうになる。たぶん、握手をしたのだろう。お互いの手を握るやつ。

「オレは先々週だ。何か仕事ねーかなって思って立ち寄ったら臨時雇の募集かかってるのを見つけてさぁ。いやツイてるわオレ。もうコレもん

 なにか身振りを交えてるようだけど、見えない。

 うまくいえないけど、この感じの人は初めてだな。楽しそうに、というか、楽しそうってことを見せつけるようにしゃべる人。

「そこのハリハリムシ、あんたのか? どうすんだい?」

「ああ、誰か欲しい人がいたらあげようかと思ってさ」

 ヨゾラの頭の上、机の天板の向こうからチリチリと針の音がした。

「はは、いいね。ちょうどムシが欲しいと思ってたんだ。俺の相方が好きでさ」

 誰だか知らないけど、いろんなヒトがいるもんだ、と思う。

「そうか。じゃあ、持ってってもらっていいよ」

「いやさすがに全部はいらないわ。半分でいい」

 結構もってくんじゃないか。

 チリチリ音がして、アルルがムシを渡したようだ。縦長ハマハッキはどうやってしまうんだろうと思っていたら、魔力がヒゲをなでて派手靴の方に流れた。魔法か。

「どうよ、見事なもんだろお?」

 と自慢気な声がしてくる。

「お静かに願いますよ」

 ロッキから注意が飛んだ。金髪に碧い目で、背の高い、アルルに言わせれば、典型的な西部半島のヒト。


「そうそう」

 声を潜めてハマハッキが続けた。ヨゾラが思うに、ロッキが言った「お静かに」はそういう事じゃない。

「ここ、カワイい女の子多いと思わん? 受付の子もがクリっとしててイイし、飛びトカゲのアリスコさんもあのフワフワした雰囲気、アリだよなぁだいぶ年上だけど。でもなんて言ってもさぁ」

「そこまでですハマハッキさん」

 鋭くロッキさんがさえぎり、続けた。

「二区の薫製小屋の件、今日のうちに一度行ってみてもらえますか?」

「いやでも、薫製小屋なら担当居るじゃないですか」

「バトゥさんは『海竜用の薫製』担当です。薫製小屋の担当ではありませんよ。行って、聞いて、今日はそのまま終わりと言うことで結構です」

「はいはい、直帰じかがえりですね。承知しましたよ。じゃ、そういうことでよろしくなアルルさん」

「……よろしく」

 椅子のガタリと鳴る音が聞こえる。ヨゾラがまた薄目を開けると、派手靴の人ハマハッキが座ったことだけわかった。


 直角に折れ曲がった事務室の、その角の向こうから扉の音がする。

 中庭に通じるあの扉から、二人入ってきてる。

「きたきたお賃金!」

 とハマハッキの軽い声がした。



 事務所の人が順番にお金を受け取りに行く仕組みらしい。

 受け取ったら次の人を呼びに行ってる、そんな声がする。

 渡してるのは、か。マヌーさんの声もするな。

 ロッキさんが最初、次にアンニさん、バトゥって男の人、アリスコって女の人、受付の男の方、女の方、シェマ。

「ハマハッキさん、どうぞ」

「あいよ、ありがとねっ」

 呼びに来たしっぽ髪に調子よく答えて、ハマハッキが立ち上がった。

「あれ、シェマさん席戻らんの?」

「おかまいなく」

 からりとした声でさらりと流す。鼻歌混じりの靴音が事務室の角を曲がったあたりで、しっぽ髪が口を開いた。

「地図、ちょっと見せてくれる?」




 机に広げた街の地図、アルルは少し背中をそらすようにして、傍らのシェマから見やすいようにする。

「あら、ヨゾラさんそこにいたの?」

 膝の黒猫も見えるようになる。

「いるぞ。いつでもいるぞ」

 とヨゾラが言うのでアルルは軽く吹き出した。

「なんだよその主張」

「おかまいなーく」

 二日たっても相変わらず、シェマの前ではする。人見知りってわけでもないだろうに。

「いい?」

 当のシェマは深く踏み込むつもりもなさそうで、一声かけると身を乗り出して地図の一点を指差した。

「魔法協会がここ」

 指が地図をなぞる。

「それで宿舎がこれ」

 ひとつ結びの髪からいい匂いがした。ハッカだいだいをもっと甘くしたような香り。

「三日月サルーンでしょ? 殿でんおおを海と反対側に進んで、セチセテンボロ通りで左にまがって、このあたりね。ペン借りるわ」

 机に手を突き、シェマが奥のペン立てに手を伸ばす。その紫の腰帯あたりが目の前に来て、なんだか気持ちの収まりが悪い。そんなアルルの心持ちを知るわけもなく、乾いたペン先を先ほど指差したあたりに立て、シェマが


「おいでませい、テンテン」


 ふつっ、と地図の上に黒い点が浮く。点はふるふると震え、きれいな三角に落ち着いた。

 おみごと、と胸の中で呟く。

「だけど、きみがサルーンに何の用事なの? そのツンツン頭、切るにはまだ早いと思うけど」

「ちょっと野暮用でさ。ありがとな」

「ふうん」

「お取り込み中わるいんだけども」

 特段わるいとも思ってないハマハッキの声がした。

「アルルさん、あんたの番よ?」

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