第98歩: なんとも恥ずかしい夢

 明日はお昼ごろに来てくれればいいから。

 宿舎の簡単な案内を終えるとシェマはそう言った。

 五区に入る手前で妃殿下大路を外れ、真っ暗な路地を行くと現れた三階建ての漆喰壁。城壁がすぐそこだ。

 三階の奥がアルルの割り当てで、長旅の終わりに重い荷物と階段を上るのはなかなかに重労働だった。

 そのあと一階の井戸から水を汲んで体を拭いたので、今日はよくやったとアルルは思う。


 ヨゾラは気づいたら寝ていた。

 時々耳がピクピクと動いているのは、また夢でも見ているのかもしれない。


 結局言い出せなかったな。

 もやもやとする気持ちを抱えてベッドに潜ると、ヨゾラがむくりと顔を上げた。

「わるい、起こしたか?」

 と声をかけたけれど、返事がない。半開きの目で周りを見回して「いぬはー?」と言う。

「いないよ、犬なんか」

 いちおう答えてやったら「ならいー」と言ってまた寝た。

 退屈しないやつだな。


 ペブルが遠出をできなくなってから、代理として遠方の町や村へ出るようになった。一人旅も悪くはなかったけれど、河沿いでこの黒猫に出会ってから旅路が格段に賑やかだ。

 こいつの生まれて初めて見たものが「白い服を着た南部系の人」だというのなら、やっぱり南部に連れて行ったら何かわかるのかもしれない。たとえば故郷とか、あとは同族とか、もしかしたら家族とか。


 とある村に暮らす大勢のヨゾラ状の

 ヨゾラ父、ヨゾラ母、ヨゾラ弟に、ヨゾラ祖父母。

 吹き荒れる「ねえ」「なんで」「へっへー」


 思わず吹き出した。なんて騒々しい家だ。

「うるさいー。ねろー」

 元凶に文句を言われてアルルも眠りに落ちた。


 懐かしい夢をみた。

 クロサァリにいた頃の夢だった。




 ──文鳥がせわしい。

 椅子の背、机の縁、本棚の上、燭台の枝。飛び回るのもせわしければ喋り回るのもせわしい。

 せわせわせわせわせわ。

「なンだなンだ、おめー、湿気シッケてやがんなオイ。雨あがってんゾ。その湿気たアタマ外で干してこいオイ。それともケツからキノコでも生えて椅子に張り付いたかボンボン? 生やすとこ間違ってんダよ。本ばっか読んでねぇで虫干しだ虫干し。わかるかオイオイ? むーしーぼーし!」

「うるさいなヌホ!」

 アルルが怒鳴ると、文鳥の主人は無駄に精悍な顔を動かしもせず、視線だけで部屋の扉をさした。

「ヌ・ホ」

 名前の発音が悪いと、必ず訂正してくる。

 

 七九八年、九月セテンボロも終わりの日曜日。

 三日間の霧雨も上がって、開け放った窓からは盛んに鳥の声が入ってきていた。

 

 確かにいい天気だった。そして、文鳥セシーリャがうるさい部屋より、学院の湿った裏庭の方が何百倍もマシだった。

「セシーリャってガラじゃないだろ、あの鳥」

 ひとりごちて、魔力を取り込む。魔力視に映る魔力の霞は、雨あがりの霧に似ている。人気ひとけのない実験棟の裏手は林になっていて、アルルはそこが好きだった。


 取り込んだ魔力を指先に流していく。魔力そのものを細く細く圧縮して、ゆっくりと右手の人差し指から繰り出していく。圧縮された魔力が暴れる。生き物でもないくせに自由になろうするのを、必死に抑えながら糸状の魔力の塊を垂らしていく。

 袖をまくった腕を汗が伝う。

 糸の先端では、圧力から逃げようとする魔力が拳大のコブになっている。

 垂れる先には手頃な石。

 魔力の瘤が石に触れて、ごく微かな手応えを覚える。

 その手応えを意識から逃がさないように、慎重に魔法フィジコのイメージを固めて、発動、貼り付け。

 アルルは止めていた息を吐いた。


 貼り付けの手順には馴染んできて、ここまではもう失敗しない。あとは、貼り付けた先に別の魔法を発動するだけだ。

 もう一度魔力を取り込み、糸の先端を意識する。

 組む。石の四方から、中央に向かってせり上がるような「力場」を。血が巡る。頭の中に負荷を感じる。石が揺れる。このまま「力場」の強さを上げて──

 

「もったいないんじゃない?」


 ぱきん!

 と頭の中で音がした。力場の均衡が崩れて石が転がり、不快な虚脱に襲われる。

 うまく行きそうだったのに!

 苛立ちも隠さずにアルルは声の主へ振り返り、一瞬止まって、また石へと向き直った。


 女の子だった。


 肩口で揺れる麦藁色の髪。蜂蜜色をした切れ長の瞳。東の異国を思わせる顔立ち。


 かわいい。


 アルルは無意識に鼻をこすり、背後から彼女の声が続いた。 

「その糸はすごいけど、体から魔力がしてるわ。取り込んでる魔力の量だってとんでもないのに、上手に操れてないのがもったいない」

 それはアルルにもわかっていた。この「糸」自体に慣れていないせいで効率は悪かったし、魔力の変換にもムダが多くてすぐ塩が切れる。

 出来ないから練習しているのに。


「なによ? なんとか言ったら?」


 えらそうな言い方がカンに障った。さっきかわいいと思ったのは取り消しだ。アルルは背後の少女に向き直った。

「言われなくてもわかってるよそんな事。あんただれ?」

「通りすがりの上級生」

 ……腹立つ。

「そうですか先輩。いま忙しいんで後にしてもらっていいですかね?」

「まあまあ、アルルくん。先輩の話を聞いといて損はないわよ?」

「どうだか」

 もう無視しようと練習台の石に向き直り──アルルはまた彼女に振り返った。

「あんた、なんで俺の名前知ってるんだ?」

 先輩の眉がとあがる。

「あなた有名よ? 『世にも珍しいフィジコ』のアルルくん。または、『評判のオトコ前と同室』のアルルくん」

 ヌ・ホか。女子どもめ、あいつの何が良いのか。

「俺に近づいたって、あいつに近づけるわけじゃないぞ。男子寮を見張ってりゃそのうち出てくるさ」

 小うるさい文鳥と一緒にな。


「違うわよ」


 蜂蜜色の瞳に光が宿った。後に「いじわるな光」と呼ぶことになる光だった。そのまま彼女は微笑んで、言った。



 十五歳の少年アルルにはこれで充分だった。ごまかすこともできず、彼女の瞳を見返す事などまったくできず、目を泳がせて鼻をしごいた。

「ねぇ、じっくり見せてくれない?」

「な、何をだよ」

「きまってるでしょ、きみの魔法。世にも珍しいフィジコのアルルくん?」




 ──目が覚めて、いつもの「起きた?」のかわりに「なにニヤけてんのさ?」を聞いた。

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