第97歩: シッリ

 日の暮れた殿でんおおを橙色の灯りが照らす。

 大路に沿って点々と建てられた黒い柱の上に、と魚の尾のような小さな火が吹いていた。

「あの柱が全部地下でつながってるんだろ? すごいもんだよな」

 ガス燈の柱を通り過ぎるたびに、アルルはその繋がりの長さを実感せずにいられない。

「大きな通りの一部だけだけどね。協会としては魔力燈を普及させたいから、支部長の前ではあんまり言わないであげて」

 そう言うシェマの髪が橙色に照り返る。


 ウ・ルー支部はさすがに魔力燈を完備していた。とはいえ一つ一つ魔力を流し込まなければならず、その手伝いがアルルの初仕事だったと言える。

「火の玉がたくさん浮いて見えるや。目がチラチラする」

 ヨゾラの声に視線を落とせば、前を行く大小の黒猫が見えた。小さい方の毛並みが光に滲んでいる。

 日が暮れても大路を行く人の数は多く、カンテラを吊して馬車も馬車鉄道も頻繁に行き交っていた。通りに面した店には開いている所も多い。

「宿舎って、遠いのか?」

「五区との境目あたりの、城壁のそば。協会からは四半刻ぐらいかな」

「そうか」

 ガス燈の照らす妃殿下大路を行きながら、アルルは話を切り出せずにいる。




 西部魔法協会マジコス・オエステスウ・ルー支部の長は中庭にいた。格好がほぼ庭師のそれで、言われなければ気付かなかっただろう。

 薄暗い中で草木の世話をしつつ、のんびり間延びした相槌とともにシェマの報告を聞いていた。あんなので大丈夫かと思ったけれど、受けた報告はまず忘れないらしい。

「エセキシミですかぁ。あれが夜に鳴くと不気味なんですよねぇお化けが歩いてくるみたいで。夜寝られれば、子どものかんしゃくも治まるんじゃあないですか? シェマさんご苦労さまでした」

 支部長自ら庭をいじるのは経費を節約するため、と言ってはいたが、多分に趣味の部類なのではないかとアルルには思われた。

 ケトや他の使い魔たちはもっぱら中庭で過ごすそうで、隅に立つ鳥小屋では四ツ把よつわカケスがと声をあげていた。


 報告が済んだらすぐ帰るのかと思いきや、シェマは書類の作成があるとかでしばらく待たされた。曰わく

「夜道を女の子ひとりで帰すような人じゃなかったでしょ? きみは」




「バシャテツ道に乗れば速いしラクなんじゃない?」

 ヨゾラの提案は、高い、という理由で却下された。

「銀貨二枚もするそうよ? 区をまたぐごとにさらに銅二枚。気軽には乗れないわ」

「ふーん。船が銀貨十五枚だったけど、銀二枚って高いの?」

 往還船のことだ、とアルルはシェマに付け加えてから、小さい方の猫へ話しかけた。

「エレスク・ルーで羊串食っただろ?」

「おいしかった。また食べたい」

「おう。それで、串が銅貨三枚。パンがつくと五枚だった。銅十枚で銀一枚として、馬車鉄道一回分でどれだけ食べられる?」

「串六本パンひとつ。あー、なんとなくわかった」

 肉多めで来たか。

 アルルとしては「四本四個でここにいる全員分」と言いたかった。

「アルルくんの相棒は計算得意なのね」

 隣で、シェマが感心したような声をあげる。

「へっへーんだ」

 ヨゾラの返事は普段と少し違っていた。主に「だ」の部分が。

 何の意地を張ってるんだこいつは。

「時にヨゾラ君、とはなにかな?」

 そうケトが問いかけ、ヨゾラはここぞとばかりに焼いた肉の話を始めた。

 ギュッとしてジュッとしておいしいんだよ、エレスク・ルーの塩はひとあじ違うんだって──という話。昼から歩きづめの所に肉の話で、アルルもさすがに空腹を意識してしまう。

「アルルくんもお腹減ってるでしょ? ちょっと食べて帰りましょ」

 そして、それはシェマも同じようだった。

 

 慣れた足取りでシェマが選んだ店には、青魚シッリ油のにおいが充満していた。灯りにもよく使う油の匂いだ。

「おや?」

 と店の親父がニヤリとわらう。

「違いますよ」

 と愛想良くシェマが返した。

 何の話だ?

 アルルのふとした疑問をよそに、シェマは空いている丸テーブルにつくなり、さっさと注文を始めてしまう。

「シッリのスープとオゥル酒を二人ぶん。あと、猫たちにも何かお願いします」

「俺、酒飲めないぞ?」

 どさりと鞄と杖を下ろしながら、アルルは慌てて打ち明けた。

「えっ? ちょっと待ってオゥルよ? 水みたいなものでしょ?」

 案の定、色の薄い瞳を丸くして驚かれる。

「わるいけど、豚に抱かれて朝を迎えたくないね」

「なにそれ? 詳しく」

 これも案の定、シェマの瞳にいじわるな光が灯った。




 ──しっぽ髪が笑ってる。アルルの豚の話で。笑い声と一緒に足がぱたぱたしてる。

 座っているというのに、ヒトの足はテーブルの下でもよく動く。組んだり、前後にずれたり、かかとを立ててゆらゆらさせたり。

 しっぽ髪とアルルは仲がいい。それはヨゾラにもわかった。それがなんだか気に入らない。ファビ、フラ、フーとだってアルルは仲良しだけど、そっちはなんとも思わないのに。

 なんだろう、ざわざわする。何かされたわけでもないのに、なんでかアルルとしっぽ髪が楽しそうにすると、やけに落ち着かない。

「ヨゾラ君、シッリは食べた事があるのかな?」


 ケトの声で、ヨゾラの思考は中断された。

 ふるふると首を振る。

「このあたりでよく獲れる魚なのだそうだが、なかなかに美味であるぞ。あるじがここを気に入っていてな。仕事の帰りによく寄るのだ」

「……へぇえ。あたしお店の中で何か食べるの初めてだ。前には中に入れてもらえなかったんだよ」

「さもあろうな。私も大抵はそうだが、ここは椅子やテーブルに乗らなければ良いそうだ。ウ・ルーに来たばかりの頃は、食べる所に苦労したものだよ」

「そうなの? アルル、家だと自分でごはん作るよ」

「ごはんとは?」

「食べるもの」

「ほおお。我があるじにも其方そなたのあるじを見習って欲しいところであるな」

 しっぽ髪の足がケトを軽く押した。

「聞こえてるわよケト」


 それにつづくアルルの「何がだ?」に「こっちの話」と答える声。運ばれてきた二杯のオゥル酒を「私が飲むからいいわよ」とシェマが手元に引き寄せる音。


「……アルルは、あたしのじゃないよ」

「其の方、あの者の使い魔ではないのか?」

 ヨゾラはまたふるふると首をふる。

「使い魔でもないのにヒトについてまわるというのか。小さな猫もどきよ、なぜそんな事をする?」

 腹ばいにケトが身を伏せて、座るヨゾラと高さが揃う。

「なぜって……。最初はね、アルルに借りがあったんだよ」

「つまり、もう借りはないのであろう?」

「うん。だけどね、アルルおもしろいんだ。いろんな事教えてくれるし、見せてくれるし、アルルのお父さんも絵を描いてくれたし、蛙は……仲良くないけど」

 一ヶ月前、おまつりの日に「来ないのか?」と言われた時の事を思い出した。

「アルルといると、楽しいんだ」

 

 足音が近づいて、店の親父がテーブルに皿を置く音が聞こえた。続いて、テーブル下にぬっ、と髭もじゃの顔が降りてくる。

「あんたがたにはこっちだな」

 出された皿には、ぶつ切りの青魚シッリの切り身がスープ抜きで乗っていた。

「ありがとう」

 ヨゾラのお礼に店の親父は「おっほう、あんたも喋るのか」と立ちあがり、「ごゆっくり」とテーブルの上下に声をかけてさがった。


「いただきます」

 ケトと額を突き合わせるようにして、かぶりつく。

 煮込まれて骨も柔らかく、すこしクセのある脂の匂いがユキカラシのと混ざって口の中に広がる。

「なにこれ! ふわっとする! そのあとツンとする! おーいしー!」


 ケトに止められた。

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