第96歩: ヒトには言ってない

「どこにいたの? いつからいたの?」

 低く身構えたままヨゾラは問いかける。


 金の瞳の大猫は音もなく机の下から這い出ると、座ってヨゾラを見下ろした。

「猫はどこにでもあらわれるものだ。猫の姿の者よ、我らが臣民の姿を真似るとは、の方何者か」

 しらない言葉が混ざってよくわからないが、声は低く響いて威圧感がある。

 ヨゾラにとって、大きい猫も警戒すべき生き物だ。あたしを狩ると痛いぞ、ということをわからせなければ、あいつらはあきらめない。

 このしゃべるは、どう出てくるか。言葉でなんとかなるのか、それとも爪と牙が必要か。戦いになるか。

 ヨゾラは毛が逆立つのを感じた。

「猫は何もないところから出てきたりしないし、ヒトの言葉をしゃべったりなんかしないぞ!」

 こいつだってただの猫なんかじゃない。

「キミこそいったい──!」

 言いかけてヨゾラはやめた。

 今まで三回、自分が訊かれた質問。

 しゃべる猫に魔法使いが必ずする質問。


「キミはどこのの猫だ?」


 廊下を走る足音が聞こえてくる。

 こんもりした猫がきょとんと金の目を丸くした。

「訊くのか、それを。ならば……答えねばならぬなぁ」

 王族ネコガトヒアウ。間違いない。

「我がいえは──」

 王族ネコが居住まい正してふんぞり返った。

「──ニレ大河の恵み賜るサイスの血統、第二十六朝が始祖の末裔、三角州の支配者、不屈の再征服者、その家名ネカウである。我が真名まなを知るものはかの世にあれどこの世になし。して、其の方何者か」

 何を言われたのかさっぱりわからなかった。


「ヨゾラ! だいじょう──」

 駆けつけた魔法使いの声。

「──ぶ……何やってんだ?」

 油断せず、目の前の大猫から視線は外さず、ヨゾラはアルルに忠告した。

「アルル! 猫がしゃべった!」

 しばらくして、気の抜けた声が返ってきた。


「それお前が言うの?」

 

 すぐにシェマも戻ってきた。

 アルルが急に走って戻るから、驚いて追いかけて来たのだと言う。そして、ふんぞり返るこんもり猫をひとにらみすると「でぶネコ!」と一喝した。



「……なるほど、あるじの客人であったか。これは失礼した、我らが臣民の姿をかたには往々にしてロクなのが居らぬのでな。ともあれ、非礼を詫びよう。申し遅れたが、我が名はケトである。ケトきょうと呼んでくれたまえ」

じゃないわよケト。仕事ほっぽりだして今までどこ行ってたの」

「あるじよ、猫はいつの間にかいなくなるものだ」

「あんた私の使い魔だって自覚ある?」

「自覚がなければをあるじと呼ぶはずもなかろう。我が助力が必要なら呼びつければ良いだろうに」

「そうじゃなくてね? ああもう、めんどくさい。ヨゾラさん、ごめんね。こいつ大きいから急に出てきてびっくりしたでしょ?」

「うん……いいよ」

 ヒトと猫が言い合いしてる。

 あたしとアルルが喋っているところも、他から見るとこう見えるのかな。

 ふと見上げると、アルルと目が合った。口が「だいじょうぶか?」と動いた。「うん。なんで?」と返したら、アルルが肩をすくめて見せた。

 この仕草の意味はわかりそうでわからない。

 ただ、気持ちは軽くなった。来てくれた。


 しっぽ髪の魔法使いと王族ネコはまだ言い合いをしているけれど、ひとつ訊きたいことがある。

「ええと、ケトきょー」

 ヨゾラが話しかけると、しゃべる大猫はとの言い合いを中断して、首を傾け見下ろしてきた。

「キミは、何を食べるの?」

「ん?」

「え?」

 ヒトにはきいてない。

「いわゆる動物一般であるが?」

「なら、先に言っとく。あたしを狩るなら痛い目にあうぞ」

「ほほう? 威勢の良いことだ」

 ケトの喉の奥がと鳴った。どうやら笑い声らしかった

「あと、あたしは猫じゃないけど同じ形をしてて、でもあたしみたいなのには会った事がない。ケトきょーも王族ネコガトヒアウってやつで、あたしの仲間じゃないのはわかってるけど……」

 ヨゾラは言いよどんだ。

「その……あたしは敵じゃないから、仲良くしてくれると、うれしい」

「へぇ」

「おお」

 だからヒトには言ってない。

 大猫の金の目が細められ、牙が剥かれた。「にっ」と。

「良いだろう小さき猫よ。種は異なれど争いを避けようと言うのだな? 我が方も別段、争いを好むわけではないことであるしな。ネカウ家の名において私が約束しよう。其の方が牙を剥かぬ限り、私と我らが臣民は其方そなたを傷つけたりはせぬ」


 話が長いな。


 とは思ったけれど、言いたい事は伝わったように思えた。

「ありがとうケトきょー。あたし、ヨゾラ。あたしがなんなのかは知らないけど、よろしく」

 ここまで言い終わった所で、部屋の端から小さく拍手が聞こえた。

「しゃべる猫どうしの友情の始まりですかな? いやぁ素晴らしい」

 いつの間にか、鼻眼鏡のおじいさんが事務室の曲がり角から身を覗かせている。

 マヌーさんにも言ってない。




 アルルは足下の同盟締結を見届けて、ちらりとシェマを見た。シェマは気付かず、苦い顔で言った。


「じゃ、あなたたちのお話は終わったって事でいいのかしら? それならそろそろ、私の用事を済ませるわ。支部長に挨拶と報告に行くから、みんな揃ってついてきて。途中で急にどこかに行くとか、走り出すとか、今日はもうそういうの無しでお願い」

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