第94歩: シェマってヒト
アルルがなんにも言わない。
ヨゾラがその肩から覗くと、目の前にいる人のおでこがまず見えた。金色と茶色の真ん中の、干し草みたいな色をした前髪の隙間から、濃くてきりっとした眉が見える。
このヒトが、シェマか。
何の匂いなのか、ハッカに似た、でもあれよりは苦い匂いをさせている。
「その
アルルの背が居眠りから起きたみたいにびくんとする。
「ああ、紹介するよ。こいつは……ああ、いや、お前自分でやりたいよな?」
振り向かれた。この魔法使いは何をオタオタしてるのか。
「初めまして、ヨゾラだよ。しゃべる猫ってよく言われる」
シェマの口が「わお」と動いた。
「アルルくん!?」
「魔法使いとその連れ」
「その魔法使いが驚いてるのよ! フィジコのきみに使い魔? 歴史的現象なんじゃない?」
「もしもーし、名前を聞かせてもらっていいかな?」
割り込んでやったら、シェマがはたと口に手をあてた。
「ごめんね。私はシェマ・クァタ。アルルくんとは魔法の学校で一緒だった。よろしく」
そう言ってシェマがにっこりしたので、ヨゾラも「にっ」とやり返した。さっきのとは別の馬車鉄道が、今度は反対側からコンコンコンと通り過ぎて行った。
「なぁんだ、使い魔ってわけじゃないのね」
がっかりされる覚えはヨゾラにない。
行き交う馬車の合間を縫って、
「なら、あなたはどこの王家の猫?」
「それ聞かれるの三回目。あたしそれじゃないよ」
コンコンコンの行く大通り、この妃殿下大路を渡って二本目の通りが魔法協会のある
「じゃ、生まれはどこ? 初めて見たものは?」
ちょくちょく振り返りながら、この女の魔法使いは質問を繰り返す。そのたびに頭の後ろで束ねた髪が馬の尻尾みたいに揺れていた。
「むー、それ答えなきゃだめ?」
質問が面倒でヨゾラはちょっと下へ目をやる。
しっぽ髪の向こうに紫の巻布。丈の短い上着に鞄の革紐が斜めに走って、紫の帯が群青色の、ゆったりとしたズボンみたいのを留めていた。
女の人で、スカートじゃない人は初めてだ。
アルルがこっちを向く。
「俺もきいてみたいな、それ」
「んー、どこっていうのはよくわかんないけど、明るくて暑いところは覚えてる。初めて見たのは、なんだろ? 白い服のヒトかなぁ」
「白い服?」
妃殿下大路を渡りきった。
「うん。キミと同じ色してた」
「服が?」
どうしてそうなるのか。
「顔が」
「顔……南部系か!?」
「きみ、今まで訊かなかったの?」
シェマが呆れたように口を挟む。キミには関係ないじゃないか、と思う。
「それは……うん。訊かなかった」
「どうして?」
「どうだっていいだろ? アルルがききたいと思わなかっただけなんだからさ」
「機嫌わるいなヨゾラ、腹でも減ったか?」
減ってはいる。ただ、なんだか面白くないと思うのは、空腹のせいじゃない。
「……疲れたんだよ」
しっぽ髪に本当の事を聞かれるのがいやで、嘘を言った。
「まぁ、お前もよく歩いたもんな」
「そうか、そうよね。ごめんなさい。協会に一度顔出したら宿舎に案内するから、今日はゆっくり休んで」
優しい事を言われる。
ヨゾラはアルルの肩に顎を乗せ、ふしっ、と鼻を吹いた。
小路といいつつ
もっともヨゾラにしてみれば、ララカウァラの方が邪魔な壁が少なくて広いように思えた。
小路に入ってすぐ。灰色の石をきっちりと積んだ丁寧な造りの建物の正面扉に「西部魔法協会」と真鍮の看板が吊されている。
扉から安心した晴れやかな顔で出てくる人がちらほら、いまいち納得いかない顔で出てくる人がちらほら。
「ありがとうね、来てくれて」
シェマの言葉に、アルルがぎこちなく頷くのがわかった。
数段の石段を上がり、二枚の扉を抜けると待合室。並んだ長椅子に三人いて、うち二人は夫婦で来ているらしい。
サンドホルムの乗船券売り場みたいに、木組み格子に開いた窓の向こうには二人の若い男女がいて、窓越しに話を聞いては何か書き付けている。
その二人がこちらに気づいて、かるく頭を下げた。しっぽ髪のシェマは二人に小さく手を振り、そのまま真っ直ぐ受付の脇にある扉を開けた。
「ああ、クァタちゃんお帰り」
と向こうから声がする。
「ちゃんづけはやめてって言ってますよね?」
そして、ぱたり。扉が閉まった。
「え?」
アルルが低く声を上げたら、また開いた。
「ごめん! ついクセで。どうぞ、はいって」
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