第93歩: 妃殿下大路にて

「かわいい!」

 というのが頭の上からの第一声で、第二声は

「アルル、飛んで行こうよー!」

 だった。

 ぺちぺちと頭を叩いてくるヨゾラに、アルルは一瞬迷ったけれど苦笑いする。

「ごめん、荷物が重くてちょっと無理だ」


 森を抜けて開けた視界、入り江をかすめて向こう。ウ・ルーの街は、緑の皿に木苺やハッカだいだいを並べたような彩りを見せていた。

 野スグリのような赤屋根に囲まれた白い城壁と、その中にひしめく色とりどりの建物。

 街の中央に弓形を描く宮殿も見えた。


 ぼん、ぼんぼん!


?」

 街から響いてきた音に、ヨゾラの声が重なる。

「正午の大砲かな? ちょっと遅い気がするけど」

「時計もってないのによくわかるよね」

「カンだよ。さっき昼飯食ったろ?」 

 疲れてくるとヨゾラは足が遅くなるので、そんなときはアルルもつべこべ言わずに鞄に乗せる。先月、エレスク・ルーへの道中では雪が残ってて苦労したけれど、今はもうコートを脱いでも良いぐらいだ。


 鞄の上から感慨深げに猫が言う。

「ずっと平らな所を歩いてたのに、いつの間にか高いところにいたんだね」

「いい眺めだよな」

 道は入江の北をなでて街の底へと延びていく。海沿いに伸びる街道も、湾に浮かぶ船の帆もよく見える。

「暗くなる前には入りたいな。急ぐか」

 まだ小さく見える街並みを眺めて青年は歩みをすすめ、

「がんばれ」

 と頭の後ろから黒猫の励ましを聞いた。

 


 ウ・ルー。そのものずばり「みやこ」という意味の名は、ユリエスカ郡が国だった頃の名残でもある。街はかつての城壁からとっくにはみ出して、昔それを見たペブルが「時代も変わったもんだ」と言ったのを思い出させた。

 

 宮殿のある中央区、そのすぐ南が海に臨む一区、そこから西周りで二区、三区、と中央区を囲んで六区がまた海を望む。外周を西からまたぐるりと七区から十一区まで。


 最初に足を踏み入れるのが穀倉地帯の十一区だ。昔、父親について来た時には一面が黄金色の麦畑だった。

 今は、どの作物も伸び始めたばかり。馬がすきを引く畑もいくつかあった。作付けするのは芋か、蕪か。海風に乗って薫製の香りも漂ってくる。

 行く先には湾から白く城壁が続き、壁に近づくにつれて田園風景は徐々に街へと姿を変えていった。城壁の向こうがようやく六区、目指す魔法協会支部はそこにある。


「えっ、もうここはウ・ルーなの? それで、あっちに見える壁の向こうもウ・ルーなの? その反対側にも壁があって、それでその向こうもウ・ルーなの?」

「俺も昔おんなじ事思ったよ」

「どこまでもウ・ルーだね!」

 家々の壁に柱と梁が大きく格子模様を描き、思い思いの色に塗られている。淡い色合いの多い南半島と比べて、同じ漆喰しっくい壁でもこちらは濃く深い色合いが多い。

 魚の臭いをまとった樽を運ぶ荷車や、古い城壁へと向かう人、帰る人。城壁にかかろうとする陽が、木曜日エルヴァもそろそろ終わりだと告げていた。

 


 空の荷馬車を何台かやり過ごしつつ、広く開いた門をくぐる。城壁沿いにはさすがに建物もないが、すこし離れればもうみっちりと二階建て、三階建ての建物が棟続きに並んで壁の色彩を競っていた。

 道を進めば進むほど人も車も増えていき、背中の黒猫は盛んに鼻を鳴らしている。

「どうした、くしゃみでも出るのか?」

「ん、ちがうよ。じゃない。でもここの匂いは知ってる気がするんだ」

「あるのか? 来たこと」

 驚きを交えてアルルは言った。南半島の生まれだとばかり思っていた。

「たぶんね。壁にも壁みたいな家にも覚えがあるよ。いつ来たんだろ?」

 すれ違った女性がギョッとして通り過ぎて行く。

 壁の内側ではあまり薫製の煙もながれてこない。特徴があるとすれば潮の匂いとシッリ油の臭いだろうか。

「そりゃ確実に俺と会う前だ。どうやって南半島まで行ったんだ? やっぱり西から陸路か? 高地越えは大変だっただろ」

「わかんないよ。だって、キミに教わるまで南半島とか北半島とか知らなかったもん。どんなとこにいたかはわかるけどさ。それがなんて考えもしなかった」

「あぁ、それもそうか。でもやっぱり陸路じゃないかなぁ」

 道行く人が凝視してくる事はあるが、なぜ猫が喋るのかをわざわざ聞いてくる人はいなかった。十年前に父親と来たときは喋る蛙ホップでけっこう大変だったのに。

 これも協会支部の影響なんだろうか。


 道の向こうが大きな通りと交差しているのが見えた。人影が途切れることなくその通りを行き交っている。

 馬車道と歩道とに分かれた南北にのびる大通りで、アルルもその通りの名前は覚えていた。ネネ殿でんおお。昔、姫君がクホームオルムから嫁いできた時に通った道だ。


 四つ辻に出ると、妃殿下大路の真ん中を銀色に光る平行線が四本走っているのが見えた。

 大路の向こうから聞こえる、コンコンコンコン、と厚みのある鐘の音。

「アルルあれ見て!」

 ヨゾラの声に目を向けると、平行線の間に馬。

 その後ろに人を載せた大きな箱。

 馬の足並みにそろったコンコンコンが近づいてくる。箱を塗る緑色も真新しく、その先頭部に立つ黒服の御者も誇らしげに、鉄の平行線をたどって迫る。

「もしかして馬車鉄道か!? できたんだ!」

「バシャテツ道?」

「ちょっと待てヨゾラ。通るとこじっくり見たい!」

 気が付けば、通りを行き交っていた人たちも足を止めてあたりが急に混み合う。


 コンコンコンコンコンコンコンコン。


 ながえに下がった鐘が鳴る。後ろから押されるのも構わずに、アルルはその様子を熱心に見つめていた。普通の馬車と違って、車輪がガラガラ鳴ったりしない。後ろの客車も大型だ。八人、いや、抜き窓の数から見て十二人乗りだろうか。

 誰かが道にでて手を上げるが、黒服の御者は首を振って「まんいん、まんいん」と口を動かした。

 ララカウァラの地主さんも都会風の馬車を持っているが、あれは四人かそこらしか乗れなかったし、田舎道を行くのを見るにつけガタガタと、ずいぶん揺れているなあと思ったものだ。

 それに引き換え、馬車鉄道は静かに滑るように走ってくる。目の前に差し掛かった! かと思うと三つ数えるうちに通り過ぎて行く。乗っている方も物珍しそうに外を眺め、中には手を振る者もいた。


 乗りたい、とアルルは思う。

 ウ・ルーにいる間に、一度は乗ろう。


「今日のお昼に開通したそうよ、馬車鉄道」


 ふいにかけられた声。


「きみ、ほんと好きよね。ああいうの」


 振り向いた先に見る、ゆるく束ねられた麦藁むぎわら色の髪、勝ち気そうでしっかりした眉、夕陽を吸い込んだ蜂蜜色の瞳。

 鮮やかな紫の巻布ストールが華奢な首や肩を包むのも相変わらずだ。


「前は集光レンズだったかな?」


 記憶の中の姿より、ずいぶん髪が伸びていた。

 記憶の中の姿より、幾分か顔立ちが細くなった。

 記憶の中の姿より、小さいように思えた。

 だけれど、最初に会った時と同じ言葉を言われた。


「なによ? なんとか言ったら?」


 一見いじわるそうな目の光もそのままだ。


「……元気そうだな、シェマ」 

 アルルがようやく一言返すと、娘の薄い唇が動いて、からりとした声がした。

「ひさしぶり、アルルくん」

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