よっつめ。猫の魔法使いと魔法使いの猫

しっぽ髪のシェマ

第92歩: 二十一、二十二、二十三

 二十一日、火曜日フォゴの夜。


 まっくらやみの中、黒猫ヨゾラはひっそりと声をかけた。

「ね、アルル。四月アブリュウの二十日って、なんかあるの?」

 声を落とすのは、馬がびっくりしないようにだ。

 つぎはぎ毛皮の中は人の体温で暖かい。

「二十日……? それ昨日。ララカウァラを出た日だよ。あとは別に……偉い人の誕生日でもないし、普通の日だ」

 くぐもった、眠そうな声が返ってくる。

「そっか。なんだろ。気になる」

「先月の二十日なら、いろいろ大変だった日だけど」

「あれ? それひと月前か。けっこう前だ」

「寝ろ。明日も長いぞ」

 なかなかにいろんな臭いのする馬小屋の隅っこで、ヨゾラはアルルもろとも毛皮にくるまっていた。

 先月の昨日が大変だった日なら、先月の今日は──

「へへへへへ。えへへへへ」

「いきなり何笑ってんだ」

思い出したら、楽しくなっちゃった」

「寝、ろ、よ」

 ばぶるるる、と馬が鼻息を吹き、ぼふふっ、ばふっ、と音がした。

「お通じのよろしいことで……」

 それがアルルの最後の言葉だった。



 二十二日、水曜日アグァの朝。


 淑女の森から帰って以降、アルルは朝起きると「ふん」と不満げな鼻息を吹く。

「気にするな、って……言われてもなぁ」

 そして、ちょっと魔法の練習をして外に出た。

 一面の曇り空だけれど、昨日からの雨はやんで代わりに薄く霧がたっている。

 アルルが朝の水くみを手伝っている間、この家の父子が黙々と馬の世話をするのをヨゾラは眺めていた。頑強そうな父親と、十歳ぐらいの男の子。頑丈そうな三頭と一頭の子馬。

 しゃいっ、しゃりっ、しゃいっ。

 父子は馬の肩や首筋を、毛のたくさん生えた道具で、こするように撫でていく。半ば目を細めて、馬がヒトに身体を預けて、しゃりっ、しゃりっ。

 あの毛の生えたあれは、何だっけ。

 しゃいっ、しゃりっ、しゃいっ。

 ヨゾラも自分の前脚から繕い始めた。

 あたしの舌と、どっちがいいかな。

 


 二十三日、木曜日エルヴァ。お昼前。


 この日だけで七つの川を渡り終えて、今は小さな池や沼を縫うように進んでいる。天気は良いけれど、地面は中途半端にぬかるんでいた。

「この辺は、夏ごろ来ると綺麗なんだよな。小さい花がたくさん咲いてさ。俺も十歳ごろから親父についてあちこちまわって、夏にここを一度通った」

 転ばないように杖を操ってアルルがそんな話をする。

「道がこのとおりだから、馬車は辛い。丸太でも並べればもっと楽になるんだろうけどな」

「ならべないの?」

 足元からそう訊くと、アルルは肩をすくめた。つられて鞄が揺れる。

「お金ないんじゃないかな。船に乗るか、海沿いの街道を使う人が多いし」

「ふーん。じゃ、なんであたしたちはこの道? フラビーも南から行かなかったっけ?」

「旅慣れてないなら南周りだよ。でも歩くとちょっと遠回りだし、船にのると高くつくしさ。森が見えるだろ? あれを抜ければウ・ルーの街並みが見えるよ。なかなかいい眺めなんだぜ」

 そういってアルルは額の汗を拭った。草葉に挟まれた道の向こうに、森の壁が見えた。

 じぇ、じぇ、と鳥の声が聞こえる。

 じぇ、じぇじぇ、じぇ。


四ツ把よつわカケス?」

 見上げてアルルが言った。青光りするカケスが、胸に丸めた手紙をひっつけて舞い降りてくる。アルルが左腕を伸ばすと、そこにきれいに降り立った。

「ごくろうさん」

 白い、うにっとした「」からアルルは丸めた手紙を受け取り、ぶら下がった二枚のカケス銅貨も取る。

「シェマだ。今日には着くって手紙、送ったけどな」

 紐付き銅貨の刻印を読んでアルルは言うと、急に振り返った。

「ヨゾラ、ちょっと荷物下ろすぞ」


 

「あたしはダメで、カケスはいいわけ!?」

「カケスを呼んだ人がエサやる決まりなんだよ」

 この魔法使いが、干した果物を鳥にやろうとするのだ。

「呼んでないよね?」

「これは戻りのカケスだ。ララカウァラで俺が呼んで送ったのが、返って来てるんだ」

 そういわれても納得いかない。

「ビスケットまだあるじゃん!」

「鳥には無理だろ固くて」

「ひと粒でいいからさー、あたしも食べたい」

「……じゃあ、一粒な」

「いぃやった!」

 で、黒いのをもらった。淑女の森で食べたさくりとして甘い実を干したやつだ。口に含んで牙を立てると、予想に反してと歯にくっ付いた。その後に広がる甘い香りに、思わず鼻の穴が膨らんでしまう。

 あまい。あまいあまい!

 実を舌でこそげ取り、噛んだ牙をなめると、まだそこが甘い。口を閉じたまま、何度も舐めてしまう。

 アルル、牙まで甘いよ! そう言おうとして青年を見上げると、手紙を読んで微笑んでいた。今まで見たことのない優しい微笑みだった。

「シェマめ」

 とアルルがカケスを空に放つ。

「なにが……書いてあったの?」


 アルルが鼻をしごく。

「いや、『ありがとう』だってさ」

 そう言ってコートの内ポケットに手紙をしまう。

 何に「ありがとう」なのかヨゾラにはいまいちピンと来ない。しかし、お礼を言うのはいいことだ、とは思っている。だからそのシェマという人もいい人なのだろう。

 なのだけれど。

 なんだこれ。


「アルルこっち向け」

 青年がぱっと振り向いた。日焼けした肌、黒い髪、黒い目、低い鼻。

「……なんだ、どうした?」

 眉を寄せて、怪訝な顔して訊いてくる。

「なんでもない」

 答えると、アルルはなぜか素早くあたりを見回して言う。

「何か変なものでも見えたのか?」

 いつも通りで安心した。

「ヘンなならいつも見てるよ」

 土を泳ぐ魚の背びれ、池から伸びてまた別の池へ頭を差し込む蛇、草葉の裏にぶら下がって動かないイモムシ。

「行こうアルル。草の裏側にぶら下がってるイモムシいるけど、これなに?」

「それは……たぶん普通のイモムシ。ホップいわく、栄養あって旨いって──」

 

「──喰った」

「うん。わるくない」

「お前すごいよな」

 そう言って、アルルは鞄を背負った。

 底にくくりつけた雨除け布とスコップが泥だらけになっているのが見えた。

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