第90歩: 今度はちゃんと来なさいよ
一枚目。
青インクで書かれた定型文。
ハネ癖のある、見覚えのある文字だった。
"リンキネシュ市クロサァリにて開催の合同研究会により、ウ・ルー協会支部調査員に不足が生じるためここに貴殿を臨時
内容 依頼主との折衝および依頼内容の聞き取り、精査
期間 正規人員の帰還まで
日当 銀二十 週末払 西部銀券への両替可
待遇 宿舎あり
ウ・ルー到着の予定を可及的速やかに連絡されたし。
参集叶わぬ折りにはその旨理由を添えて連絡されたし。
返答には同封のカケス銅貨を使用の事。
ウ・ルー第六区
西部魔法協会 ウ・ルー支部
署名 シェマ・クァタ "
封筒を振ると、中から真新しいカケス銅貨が一枚出てきて、アルルはげんなりした。
俺、シェマの銅貨まだ持ってたよな。
なんだか未練がましい男みたいだ。
二枚目には短く三行。
"追伸
突然の連絡で驚いていると思います。
ただ、本当に困っているので、来てもらえると嬉しい。
でも来るって言ったら、今度はちゃんと来なさいよ"
シェマめ。
アルルは手紙をたたんで封筒にしまった。魔法使いの登録をしてある以上、協会から仕事の話が回ってくるのは普通の事だ。
港の雇われ風使いや、ドゥトーのような地元付きの魔法使いと違って、アルルの立場は言わば根無しの魔法使いだ。呼び出されれば応じない理由はない。
理由はないけどさ、と青年は思う。
いつから西部にいるのか知らないけれど、困ったときだけ連絡してくるなよな。住所も登録名も調べればすぐわかるだろうに、なんだってそんな所をサボってるんだ。だいたい、ウ・ルーの支部には俺のカケス銅貨も預けてあるはずだぞ。
シェマめ。
アルルはテーブルを離れて、一階の扉をあけた。ヨゾラは獲物をあらかた食べ終わった所だった。
「優しくないぞっ」
と、口の端に肉をひっかけたまま顔をあげて黒猫が言う。
「ぐるっと回れば菜園まで登っていけるだろ」
「遠いじゃん」
引っかかった肉をぱくりと飲み込んでヨゾラが言う。
「明日からもっと遠い所いくんだぜ?」
「ん?」
「仕事の依頼が来てさ。しばらくウ・ルーに行くことになりそうだ。来るよな?」
ヨゾラの耳がぴっ、と立つのがわかった。
「くんせい!」
さすが、よく覚えてる。
「そうだ。フラビーもいるぞ」
「ん、フラビーはよくわかんない」
言われてみれば一度しか会っていなかったか。
「旅支度するから、おばさんと、あとエルクん所まで知らせに行ってくれ、五月半ばまで帰らないってさ」
するとヨゾラは「にっ」と笑って尻尾を揺らした。
「優しくしてくれるなら行ってあげてもいいよ」
何かの仕返しのつもりらしい。アルルはしゃがんで黒猫の頭をなでてやる。
目を閉じ、渋い顔で黒猫が言った。
「……そういうのとちがう」
ヨゾラは林を突っ切ってエカおばさん
今晩、腸詰めを半分。それで
テツコガネが地を這い、イワネズミが岩をかじるのを尻目に通り抜ける。
岩なんかよく齧れるよな、と思う。
魔法使いが言うには、やつらに土台をかじられて家が倒れる事があるから注意が必要、なんだそうだ。
ぼんやりと紐状に宙を漂っているのは木霊、声をかけるとマネする紐。立ち枯れた木の根本にまたテツコガネが数匹。
あ、あれ危ないやつだ。
枯れ木にテツコガネが尻を向けているので、ヨゾラは虫の頭の方へよけた。
めき! めりめりめり!
直後、枯れ木の幹が裂けて倒れていく。テツコガネが後ろ脚で蹴り上げたのだ。そうやって倒れた木の断面に虫たちが潜り込んでいく。
苔むした三枚の平たい岩を乗り越えれば、エカおばさん
目の前が開けて緑の絨毯が見えた。茎の育つ麦を縫って畑を突っ切る。
「ファービねぇー!」
向こうの井戸、水桶を天秤棒にぶら下げた赤毛の人へと大きく声を投げかけた。
「そう」
いつものようにファビ
「今回は、長いのね」
綱をぐいぐいと引っ張り、滑車がぎしぎしと軋んで回る。細い指が折れるんじゃないかと思えたけれど、そんなこともなくつるべが顔をだした。
左手で綱を押さえ、右手でつるべを引き寄せて、足元の桶へと注ぐ。またつるべを落とす。
「なんで土の下に水があるの?」
井戸の縁に乗り、つるべが落ちる様を上から眺めながら聞いてみる。
「さあ? うちのおじい様のおじい様が掘ったそうよ。落っこちたら大変だから、のぞき込むのはやめた方がいいわね」
どぷん、と深い音が底から昇ってきた。
「落ちたら、やっぱり死ぬかな」
「ええ。母さんのお友だちもそれで亡くなったそうだわ」
ヨゾラは顔をあげた。
「怖いね、井戸」
「そうよ」
ファビ姉がまた綱を引っ張る。
おばさんは赤ん坊に会いに行ってるということだった。
「母さんに会ったら、フラビーから手紙が来てるって知らせて頂戴。きっと良い知らせだって」
ファビ姉は時々笑ったりするけれど、それ以外の顔をヨゾラはあまり見たことがない。
この時も、何を思っているのかはよくわからなかった。
対して、エカおばさんの顔はよく動く。
「あぁれー。アルビッコちゃんのヨーちゃんじゃないか? ひとりで来たのかい? ねぇあんたも聞いておくれよ。グーが『おばあちゃん』だって!」
戸口を開けるなりご機嫌だった。
親子は似るってアルルがいってたけれど、こういうところ、ファビ姉とはぜんぜん似てない。
「言ってないよ。まだ『おかあさん』も言わないのに。あと、ヨゾラちゃん中に入れる前に足拭いてやってくれる?」
「あたし、ここでいいよ」
フーヴィアへ応えた。家の主は柄付き雑巾で、床を念入りに拭き上げ中だ。
「おばあたんって、言ったよねぇグーちゃん?」
おばさんの腕から
これがあれになるのか、と大小のヒトを見比べてヨゾラは思う。
「アルルがさ、ウ・ルーに行くから五月半ばまで帰らないって」
「あら」
と母娘が同時に言って手を止めた。
「今回は長いねアル
「わかんない。いきなり出てきて、ウ・ルー行くぞって」
娘に答えながら、一カ月は長い、とヨゾラは覚えた。
「ウ・ルーかい。じゃあ、ちょっとお使い頼んじまおうかね。いつ出るんだい?」
「明日だって。もう支度を始めてる。あ、それからフラビーからおばさんに手紙が来てるってファビ姉が」
「おや、なんだろう。知らせてくれてありがとうねアルビッコちゃんのヨーちゃん」
「うん……ヨゾラだけど」
そういうとおばさんが「あっはっはそうだったね」と笑ったので、まだ当分直りそうにない。
アルルはこの日のうちに、村長さんとか、地主さんとか、あっちこっちに挨拶に行った。
出発は翌朝、風のある
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