第86歩: いろいろあるよねララカウァラ

 帰ってきたペブルは、風邪だった。


「やっぱり、この年だとアレぁ命懸けだ」

 とベッドで父親は言い

「詳しく聞きたくない」

 と水差しを置いて息子は言った。

「坊ちゃんのために無理をなさったのですよ?」

 と蛙は主の額に腹這いで言い

「そっか、命がけなのか」

 と猫が自らのお腹を舐めながら言った。


 リクハルド、つまり隣の部屋の幽霊は、生きていた頃に日記をつけていたそうだ。北へ土地を調べに行き、帰る途中で森の淑女に行き遭ったのだという。


「森で絶世の美女に出逢った。私の書いた物語を面白いと言ってくれた。これは運命に違いない。文字が読めないようだから、私が通って読み聞かせよう。それまでは、彼女の純潔を冒すことはするまい」


 そんな内容の事が、とても長い文章で書いてあったそうだ。

淑女モッサのどこが純潔と思えたのかさっぱりわからねぇ。どうもリクハルドってのは一族でも変わりモンだったらしくてな。だからこんなド田舎に押し込められたんだろ」

 と言うのがペブルの見解だった。

「ド田舎ってひどいな親父」

 むっとしてアルルが抗議する。

「記録があんだよ。一応リクハルドがここいらの領主って事になってたんだがな、税をとったのが三家族だぞ、三家族。ド田舎っつうか、ほぼ野っ原だろうが」

 言ったあと、ペブルが顔をしかめた。膝と腰、あと背中も痛むらしい。

「まぁ、スティオ家から爪弾きにされてはいたが、日がな一日いちんち本を読んだり、何か書いたりで、本人は満喫してたみてぇだ。羨ましいこったよ」



 そのリクハルドの幽霊は、昨晩も本を読んでいた。



「じゃ、おばさんとこ行ってくる。大人しく寝ててくれよ。菜園いじったりするなよ」

 とアルルが言った。

「菜園なぁ、なっかなかうまく行かねぇんだよなあ」

「黒山羊ばあさんって人に手紙でも書きゃいいのに」

「もってねぇんだよ、ばあさまのカケス銅貨」

 そう言ってからペブルはむせて咳き込み、ぃてててて、と顔をしかめた。アルルは部屋の棚にずらりと並ぶ小瓶の数々から一つ取って、水差しの隣に置いた。

「自前の風邪薬だろ、ちゃんと飲んどいてくれ」

 そう言って部屋を出ようとして、呼び止められた。

「アル坊」

「なに?」

「おのソレの話な、あんまり気にすんな」

 あからさまにアルルは嫌そうな顔をする。ホップが主の後に続いた。

「大きな怪我などをした後に、そういった事があるそうです。ですので、坊ちゃんもあまり気になさらぬのがよろしいかと」

 淑女の森から出られなかったのはなぜか、大きな怪我というのがなにか、それはヨゾラにもわかった。

 感じの悪いあいつに撃たれたからなのか。

 アルルは不機嫌な顔のまま、ほんのわずかに頷いた。



 ペブルの背負い鞄は行きも帰りもと空っぽに見えたのに、アルルが底の方から小粒の実をさらって出した。

 青紫色にとしたもの、赤くポコポコとしたもの、黒くピカピカとしたもの、青くとしたもの。どれもがコロコロふるふるとしていた。

「たべたい」

「後で」

「けちんぼ」

「あってる」

「やった」


 そうやって、いっぱいになった手提げ籠をぶら下げたアルルと戸口を出る。

「時間稼ぎの口実だったんだろうなぁ、いきなり本の話なんかしたの」

 アルルがそんな事を言う。

「ペブルさん?」

「うん。魔法の鞄までしっかり持ち出してさ。抜け目ないよ」

 やっぱり魔法だったのか、と思う。

「あの鞄、譲って欲しいんだよな。食べ物も腐らないし、銀貨銅貨も重くないし、遠出がずいぶん楽になるよ」

 午後の三叉路をおばさんの方に曲がる。

「作れないの?」

「親父も作り方は知らないって。南部での拾い物らしいよ」

「南部ってすごいもの落ちてるね。行こうよ」

「うん。俺もいつか行ってみたい。あっちには人を喰うデカい猫がいるらしいぜ?」

「行くのよそう」

 心からヨゾラは言った。ヒトは狩られる事に鈍感だ。


 果物を持って行くと、アルルはまたエカおばさんのおっぱいに埋まった。

 ごそごそと身をよじって「いや、これは、親父が」と息継ぎをする。

「フーの所にも持ってってやっておくれね? グーちゃんにはまだ早いけど、フーもアタシに似てからしっかり食べてもらわないと。ああそうだ、ペブルが風邪だろ? おみまいに焼き菓子トールットでも作って持ってってやろうかね」

 まん丸の満面の笑みでおばさんが言う。

「悪いよ、いつも世話になってるから持ってきたのに」

「なーにを言ってんだい。この時期にこんな果物、手に入りゃしないよ。魔法使いがお隣だと良いことがあるねぇ」

 頑丈そうな歯を見せておばさんがまた笑う。


 ヨゾラが豚小屋を覗くとファビ姉が黙々と掃除をしていた。中には豚が一頭と二羽の鶏がいて、鶏の方なら頑張ればいけるんじゃないかと

「ヨゾラ、間違ってもヒトの飼ってる動物は捕るなよ。冗談抜きで、殺されるぞ」

 釘をさされた。

「そうだねぇ。アルビッコちゃんのヨーちゃんと言っても、その時はわからないねぇ」

 一瞬、おばさんの目が凶悪な光を放った気がして

「……気をつけるよ」

 とヨゾラは言った。

 

 

 この日、初めて見たもの。

 木曜日エルヴァの蒸し風呂。

 ララカウァラを南北に行く中通りを、アルルんより北へ行く。掘り割りの水路に渡された橋を二つ通って右の脇道。高い木の塀でかこまれた古い小屋。

 木の塀を入ってぐるりと回ると、小屋は湖に面していた。

 年経た白樺が一本。長い腰掛けが小屋の壁沿いに並び、小屋の入り口から磨き板の道が伸びて湖の桟橋へ続いている。

「舟でも来れるの?」

 桟橋の匂いを嗅ぎながら訊いた。ほの甘い木の匂い。

「舟? ああ、それ舟付き場じゃないよ。そっから湖に飛び込む」

「は? なんで?」

 好んで濡れたがるなんて、意味がわからなかった。

「蒸し風呂は暑い。暑くなったら飛び込む。また上がって蒸し風呂に入る」

 小屋と湖を交互に指差しながらアルルが言った。

 木曜日エルヴァは女の人が、金曜日オロは男の人が使うんだ、と魔法フィジコで釜に火を付けながらアルルは言った。

「お前も広い意味では女の子だし、一緒に入れてもらうか?」

 冗談めかしてそう言われたのだが、熱した石に水をかける所を見せてもらって、これは冗談じゃないぞと思った。

 湯気で毛が重たい。

 壁に葉のついた白樺の若枝が束ねてあって、何なのか聞いたらあれで体を叩き合うんだそうだ。

 なんだそれ。


 やがてやってきた女の人と交代して、帰りがけに振り返って蒸し風呂をみたら、屋根の上で鼻ばかり長い子豚が立ち昇る湯気を吸っていた。

 なんだあれ。


 夕暮れの帰り道で女の人たちとよくすれ違った。

 フーヴィアもファビ姉もいた。

 しばらくしてから、遠くからきゃあきゃあと聞こえてきたのを満足そうに聞いてるお爺さんがいた。

「今の、テーテンホクの爺さんだ」

 聞いてもないのに教えてくれた。


 

 金曜日オロ土曜日ティエハもペブルさんは風邪っぴき。



 土曜の昼にエカおばさんがファビ姉とやってきて、乳粥を作ってくれた。

「もう四月アブリュウだってのに、季節はずれの風邪に当たったもんだね」

「おと違ってかよえぇんだよオレは」

「でかい図体して何言ってんだい。ヒゲ抜くんじゃないよ汚いね。イヤミを言う元気があるなら、ヒゲぐらい剃ってきな」

 おばさんにやりこめられて、白髪の魔法使いが肩をすくめてみせる。主のかわりに、蛙が「エカさま」と丁寧に礼を述べた。

「あんたよりホップさんの方がよっぽどちゃんとしてんじゃないかね」

 さんづけ。蛙の方がらしい。 

 乳粥は甘みのなかに塩気がきいて、どんどんと食べてしまう。

「これ、おいしいよ」

 と言ったら

「この家では動物の方がよっぽどわきまえてるじゃないか。アルビッコちゃんのヨーちゃんは何でも食べてエラいねぇ」

 ということになった。


 名前については「ヨゾラだよ」と何度か言ったのだけれど、あははそうだったね、と言われてここまで直る気配がない。


 アルルはファビ姉と並んだ席で、苦笑いしながら乳粥を掬っては口に運んでいた。ファビ姉の食べ方は静かで、下から見上げた背中がきれいだと思った。

 最後にアルルが皿をもって粥をかき込むのを、眉毛のひとつも動かさずにたしなめる。

「お行儀が悪いわ」

「これがいいんだ」

 アルルが意地をはり、蛙からもうるさく言われる。


 そういえば、今夜はカランカさんだ。

 火傷しないごはんだとうれしい。


 っさな村だからなぁ、って地図を見ながらアルルが言ってたけれど、いろいろあるよねララカウァラ。


 南の森の、一番高いアカマツの木にな白い花が咲いたというのは、どうなっただろう。


 乳粥をきれいになめとり、げふっ、としながらヨゾラは思う。蛙がペブルさんの肩から睨んだように見えたのは、きっと気のせいだ。

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