三月おわって花が咲き

第83歩: ちょっくら迎えに行ってくるわ

 林の道にはいって、三叉路を左へ行けばアルルん

 初めて来たときと同じように、巨大な蛙が戸口の脇にと構えていた。

「思ったより遅かったではございませんか、猫」

「うるさいな。エルクってヒトをフービアの所まで連れてってたんだよ」

 相手の大きさに負けじと顎を上げて見返す。



 フーヴィアはなか通り沿いの自宅に、つまり、エルクと暮らす家にいた。落ち着きなく出たり入ったりを繰り返して、夫の帰りを待っていたと聞いた。

 エカおばさんも一緒だった。

 フーヴィアが泣きながら怒って、赤ん坊が泣いて、おばさんがあやして、その騒々しいのを置いてヨゾラはその場を後にしたのだ。



 黒猫は巨大な蛙の、どこを見ているのかわからない目玉へ言う。

「蛙、アルルが手紙を書いたって言ったよ。しゅくじょの森って所にいるんだけど、アルルじゃなんとかできないみたいなんだ。だからペブルさん連れてこいって。ねえ、ペブルさんいるでしょ?」

 蛙が喉をボゥ、と鳴らした。意味はよくわからなかった。

「聞き及んでおります。ぬしさまもじきにいらっしゃいます」

 その声と重なるように扉が開き、中からと白髪の巨人が出てきた。厚手の古びた上っ張りに太く短い杖をつき、背中にアルルが使っているような、しかしとても古い鞄を背負っている。

「主さま、なぜその鞄を?」

 ホップが怪訝な声を上げた。

「あん? いやなに淑女の森だろ? 木の実取り放題だぜ」

 扉にがちゃりと鍵をかけながら、ペブルが背中を指さす。鞄はぺたりとして、中身は入ってなさそうだった。

 ヴぅ、と蛙。

「坊ちゃんが大変な時に、そのような事を」

森の淑女モッサナフロレッタは知ってんだろ? 命を取られたりゃしねえよ。俺の息子の息子が頑張れりゃそれで済む話なんだがなぁ」

「下品な事をおっしゃらないで下さい。そちらも一大事ではないですか」

「相変わらずかってぇなあホップ」

 言うなり、ペブルが一歩踏み出し、蛙が跳躍した。

 その巨体が午前の陽をさえぎって、ヨゾラに影が落ちる。

 潰される! そう思った瞬間その姿が消え、ごく小さな雨蛙が巨人の肩に着地した。


「いま縮むんだったら、なんででっかくなってたのさ?」

「猫には関りの無いことでございます」

 ホップの回答に、ペブルがくっくっと笑った。

「意地張ってんじゃねえよ」

「主さまにも関係の無いことです」

 杖をつきながら歩くペブルの背中は、鞄の形もあいまってアルルに似ていた。しっかり伸びて、ふらふらしない。ただ、足音は不規則で、歩くのもアルルの方がずっと速かった。



 途中、ファビねえの所に立ち寄った。お姉ちゃんはちょうど裏の畑から戻ってきたところで、エルクの無事を知らせると

「ああ、良かった……」

 と土地神ネズさまの名を呼び、胸を指三本でなで下ろした。

 ペブルが手短に要件を伝える。

「でだな、代わりにうちのが森で迷子だっていうんで、ちょっくら迎えに行ってくるわ。留守にするから、誰かに聞かれたらそう言っといてくれな」

「迷子? アルビッコが?」

 ファビ姉が小首を傾げてきょとんとする。

「ちっと前にもこんな事あったなぁ」

「私が十歳の頃じゃないですか」

 そう言ってちょっと笑う。

「わかりましたわ、おじさま」

 その声は昨日と比べて、幾分か元気そうだった。



 並んで歩くと、ペブルの右膝がおかしいのがヨゾラにもよくわかる。あんまりうまく動いていない。

「ペブルさん、脚ケガしてるの?」

「あん? ああ、こりゃ昔にな。それ以来、右はロクに曲がりゃしねえ」

 ヒトだと、で治ったりはしないのかな。

「朝みたいに、蛙がペブルさんをおぶってけばいいじゃん」

 そういうと、蛙が唸り声をあげた。

「そうしたいのはやまやまでございますが……」

「外からの人もけっこうっからなぁ。郵便屋とか物売りとかよ。前に変な噂になって、化け物調査の依頼がオレんとこに来たんだぜ? 化け蛙が男を一人さらって行ったってよ。笑っちまうよな、オレの使い魔だっての。あとおら、ちゃんと名前で呼び合えよ」

「猫がしかるべき礼節を身につけたら呼びますよ」

「蛙があたしを名前で呼んだら呼ぶよ」

「はん、強情っぱりどもめ」

 林の道を抜けた。おやしろへの道を脇に過ぎ、村を南北に突っ切るなか通りを左へ折れた。畑の柵を直していた男たちが手を取めて弁当を広げ、洗濯を終えた女たちが庭先のを片付ける中を森へと向かう。


 道すがら、ペブルはいくつかの相談ごとを聞き、セッパさんの夫妻が喧嘩をしたとか、アードンさんはいい年してフラビーに気があるんじゃないかとか、結婚三年目で一晩帰らないエルクは何をやってると思うかとか、会う人会う人の噂話に相づちを打ちつつ、で、気がついたらお昼もすぎていた。

 蛙が急かしていなかったら、もっと遅くなっていたに違いなかった。


 そうやって、ようやく森の入り口にさしかかった頃、ヨゾラはひとつ間違えた。


「ねえアル……ペブルさん」

「んーーーー?」

 ニヤニヤしながら白髪の魔法使いが見下ろしてくる。

「ま、間違ったんだよっ。ペブルさんがいつもアルルのいるところにいるのが悪いんだっ」

 それを聞いて、ペブルが声を上げて笑った。

 頭の後ろあたりから身体がびりびりして、かぁっと熱くなってくる。なんだこれ。

「か、鞄だって似てるし」

 さらに笑われた。ペブルがひとしきり笑ったあとで口を開いた。

「アル坊の鞄はオレのを真似て作らせたもんだからな。そりゃあ似てるだろうよ。んで? なんか聞きたいことがあんじゃねえのか? アル坊のかわりにオレが答えてやろうじゃねえか」

「別にもういいよ」

 居心地わるくてそっぽを向いた。

「まぁそう口をとんがらせねぇで、言ってみろや」

 言われて見れば、自分の唇が前に突き出ていた。気づいたけれど、じゃあそれをどうしたらいいのかわからない。

 仕方がないので口を開いた。

「魔法でさ。ペブルさんは普通の魔法使いだから、『不思議なものたち』を呼べるんでしょ? モッサを呼び出しちゃえば、歩かなくてもいいんじゃないかな」

ぬしさまを魔法使いとは何事ですか」

「突っかかんなよ。マジコの事を言いてぇんだろ」

 マジコ。そうだ、そういう呼び方だった。

「それもちったぁ考えたんだがな、精を欲しがってる時の淑女モッサは、魔力にゃ釣られてくれねえよ。だもんで、ナシだ」

 白髪の巨人が首を揉む。


「それでヨゾラちゃん。オレの息子は森のどの辺にいるんだい?」

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