第82歩: オトコどうし、ものどうし

 少し時間をくれ、とアルルは言った。


 それからだいぶ経っている。

 離れた物陰でアルルが幼なじみとひそひそ話し込んでいるのだが、ヨゾラからは茶色いコートと青い上っ張りしか見えない。

 のけ者にされたのは気にくわなかった。

 ときおり四ツ把よつわカケスが思い出したように鳴き声をあげて、その胸には紙と鉛筆とカケス銅貨がひっついたままだ。


「ちんまいの、食うか?」

 ヨゾラの鼻先に、透き通りそうに薄い葉が差し出された。

「酸っぱかったりする?」

「せんわ。いやりとして旨いぞ」

 縁の波うつ葉を差し出したまま、白いの裾をふわりとさせて、森の女が手近な倒木に腰掛ける。

 一枚もらった。ぱりっと牙を通すと確かにひんやりしたけれど、あとはして飲み込みづらいし、青臭い。

「これなに?」

「名は知らん。良いのが生えとったら食う」

 もさもさと口を動かしながら淑女は言い

「ヒマだ」

 と葉を飲み込んだ。

「ちんまいの、ヨゾラと言ったか? おんしの連れはナニをひそひそと話しておるのだ」

「オトコどうしの話だってさー。あたしには聞かれたくないってさー」

 とはいえ、ヨゾラの耳にはところどころ話の断片が聞こえてくる。例えば「やっぱりムリなのか」とか「おれは誓った」とか「誰にも言わないから」とか「お前こそ独り身だろうが」とか。


 何の話なのかは、よくわからない。


「どちらでも良いが、早よ決めてくれんかの」

 組んだ脚に頬杖をついて淑女があくびをする。

「なんでそんなに交尾したいの?」

「子種が欲しい。もそうして出来た。もうずいぶん昔にな」

「ヒトの子どもを産むの? キミもヒトなの?」

「似とるのは姿だけだわ、あやつらとは違う。成すのは吾が種で、ヒトの子ではない」

「ふーん。形だけ一緒か、あたしと同じだ」

「どうかいの。ヨゾラとやら、お主も猫と子を成すか?」

「わかんない」

「交尾をしたことは?」

「ないよ」

「したいとは?」

「ぜんぜん。あっちもあたしが猫じゃないのはわかるみたい。ん? それじゃ、ヒトはキミがヒトじゃないのがわかんないのか」

「さてなぁ。ヒトほど見さかいのない連中もないぞ」

 どこから出したのか、淑女は黒くころころした実を口に放り込んだ。

「食うか?」

?」

「さくさくあもうて、あとやい」

 一粒もらって口の中でつぶすとと音がして、仄甘くひやりとした。

「ん! これは好き。ありがとう」


 向こうで茶色いコートの背中が動いた。カケスのから鉛筆と紙を取って、青い上っ張りの背で何かを書いている。

「バカ、いてーよアルル」

 と青い方が声をあげた。


「ちんまいの、お主はヒトとは長いのか?」

 もう一粒、黒い実をもらった。

「わかんない。アルルと会ったのは、えっと、十日ぐらい前だった」

「なんぞ、それっぽちか。もっと長いかとおもったわ」

「そうなの? なんで?」

「吾が同胞はらからが、お主みたいなのを連れた男に会うてな。それかと」

「喋る猫なら他にもいるらしいし、そっちじゃない?」

「どうかいな。古い話でよう覚えとらん。ま、猫の形をしとって、しゃべった。たしか……たしかアニマラードとか、そんな名前で呼ばれとってな」


 ──アニマラードかぁ。それだとなんか響きが──


「ヘンな名前。なんかあぶらっぽい」

と?」

「ラーぁドぉ」

 口を尖らすように低い声で言ったら、淑女が笑い声を上げた。

「それは言葉違いだろうて。このあいだ、はるけき東方で同胞が嘆いとったな。連れ込んだおのこ豚脂ラード臭くてかなわんかったと。アニマラードの意味は知らんが、昔の話だ、東の言葉ではなかろうよ」

 向こうで、ばさばさばさ、と羽音が立った。


 じぇ、じぇ、と鳴き声が遠ざかる。カケスが飛んだのだ。


 アルルが歩いてくる。隣にエルクも蔓草箱つるくさばこを抱えて並んでいた。その体つきはふた周りほどアルルより高く広く、けれど丸顔に丸鼻でどこか子どものような顔をしていて、なによりとても眠そうだ。

「ようようやっとか?」

 腰掛けた倒木からゆっくりと森の淑女が立ち上がる。

 アルルはエルクを親指でして答えた。

「俺がこいつと替わることにした。帰してやってくれないか」

「よろしかろ」

 ついで、アルルがヨゾラを見た。

「ヨゾラ」

 黒猫は小首を傾げて続きを促す。

「お前もエルクと戻ってくれ」

「なんでっ!?」

 思いがけず大きな声が出た。

 アルルが黒い目を見開いて戸惑う。

「なんでって……この後、あれだよ、お前のいうところの、交尾しなくちゃならないから」

「それで? あたし別にいたっていいよね?」

 胸の内がもやもやする。

「やだよ。そんなとこ見られたくないし、こんな話してるのも、正直だいぶやりづらい」

「聞いてるおれもどーすりゃいいのか」

「黙ってりゃいいんじゃないか?」

 エルクの割り込みをアルルはぴしゃりと切って、ヨゾラを見た。

「それから、お前には親父たちをここにつれてきて欲しい。帰り道を覚えて、ここまで戻ってくれ。さっき手紙を送った。場所がわかればなんとかしてくれるはずだ」

「それってさぁ──」

 ってことじゃないの?

 ヨゾラの言葉は森の淑女にさえぎられた。

「そのへんで仕舞いにせえ。まだ待たせるつもりかいな」

 

 その足元が、揺らぎ、歪む。

「待ってよまだ!」

 空気が歪んで、歪んだ森の隙間から、別の森が姿をみせる。淑女の森の風景が、別の森の後ろへと回り込んでいく

「ヨゾラ頼んだ!」

 ぐにゃりと曲がったアルルの姿が、木立の背後へするりと隠れた。すぐそこに見覚えのある立て札が見えた。



 カヌス  ララカウァラ



「すげー、なんだ今の」

 鼻にかかった男の声。エルクの声には応えず、ヨゾラは後ろ脚で伸び上がり見回した。

 空気の揺らぎは見当たらない。

 帰り道を覚えるもなにも、全然違うところに出されてしまっていた。

 ただ、わかる。

 のほう、だ。あっちにいる。

 なにが「頼んだ!」だよ。ひとりで勝手に決めちゃってさ。


 面白くない気分のままヨゾラはすぐ隣の、いつもと違う青年を見上げた。その胸に抱えた蔓草箱つるくさばこから上は見えなかったけれど、箱の向こうへ声を張り上げた。

「ヨゾラだっ! 初めましてっ!」

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