第81歩: せい

「ええとヨゾラ。なんでそんな事が知りたい?」

 なるべく平静を装ってアルルは声をだした。

「えっ?」

 とヨゾラが言葉に詰まる

「だって……知らないんだもん。そのってのを森の人にあげれば、そこのヒトは帰れるんでしょ? 持ってるなら出してあげればいいじゃんって思うんだけど……ひょっとしてすごく大事なもの?」

 どうだろう、とアルルは一瞬考えてしまう。

「ま、にとっては大事だわの」

 淑女モッサが緑の黒髪をかきあげながら言う。白く小ぶりな耳がちらりと見えて、耳飾りが小さく揺れる。

 それだけでひどく扇情的だ。向こうでエルクがぎゅっと目を閉じた。抱えた箱は、赤ん坊のために借りてきた諸々だろう。


「それで、せいってなに?」

「エルクお前よく一晩我慢できたな?」

 アルルは話をそらした。ヨゾラを相手に「なぜ赤ん坊ができるか」なんて話をするのは──やりたくない。

「こっ、こう言うときは銅貨を口に含めって親父さんに言われただろ? ずーっとしゃぶってんだよ! でも触られるとホントにヤバいから、さっきまで歩き続けてた!」

 目を閉じたままエルクが答える。

 確かに森のたちは塩気と金気を嫌う。口づけで人を虜にする森の淑女が相手なら、特に有効な手だ。

「せいって?」

 しかしできれば、その手前の「ついていかない」所から思い出して欲しかった。


おのこらよ、なにゆえにそうも嫌がるのだ? 捕って喰うわけでもない。吾は精が欲しいだけぞ? おんしらも嫌いではあるまいに」

「もしもーし! せいって?」

「うるさい、おれはフーヴィア一筋ひとすじと決めたんだっ!」

!?」

 また全員黙った。


おのこら、早よそののに教えてやらんか。こう何度も訊かれてはかなわん」

 口を尖らせて淑女が言う。

 話に聞いてたのとずいぶん印象が違うな、とアルルは思った。もっとこう、大人びて妖艶なだと思っていた。

 問題はヨゾラだ。

 首を傾げて「どうなんだよ?」とでも言いたげに見上げてきている。

「エルク」

「おめーの猫なんだろ?」

 手伝ってはくれないようだった。

「あー……淑女モッサ

「なにゆえに?」

 にべもない。

 ぱすっ、ぱすっ、とヨゾラが尻尾を打って急かしてくる。

 幼なじみを探しに来て、おかしな事になったなぁ。

 アルルは黒猫に向かってしゃがみこみ、一つ咳払いをした。

「ヨゾラいいか? ええとだ。例えば──そう、花。あれには、実はってのとってのがあってだな──」



「交尾?」

「それ!」

 一言だった。

「なんだ、が欲しいって、交尾したいって事か。最初っからそう言えばいいじゃん」

 まったくだよ、とアルルは立ち上がる。

 精が何なのか説明できていない気がしたが、無視した。

 淑女モッサはまた口を尖らせている。

「交尾と言われるのは、いささか不本意だがの」

「なんでしないの?」

 向こうの青い上っ張りへヨゾラが問いかけた。

「おれには娘も嫁もいるんだ、そんな動物みたいなマネはもうしねーんだ!」

「大差なかろうに」

 森の淑女はそれを一瞥し、アルルに向き直る。

「して魔法使い」

 前触れなく、苔むす地面を滑り淑女が迫った。

「吾は誰でも構やせんがおんし、こやつと替わるか?」

 虚を突かれ、アルルはぴくりとも動けなかった。


「それなら帰してやってもよい」


 間近で見てもなお、触れれば滑りそうで新雪のようにあかるい肌。深く透き通った新緑の瞳に魅入られそうで、アルルは視線を下へ外した。

 華奢な、すんなり通った鎖骨、白い薄手の服、ときおり風に膨らむ襟もとから続く、双丘のふもと。

 どっちもどっち。でも、こっちの方がまだ冷静でいられる。

「胸ばかり見とるの?」

「気持ちはわかるぞアルル!」

「うっさいエルク! 何しに来たと思ってんだ!」

 淑女の身体の向こうへ言葉を飛ばした。


 考えなければならない。

 森の淑女は人を傷つけたりはしない。泉に引き込んで溺れさせるだとか、魂を抜かれるだとかいうのは、大人の嘘だ。

 このはごくごく単純に、男を「淑女の森」に誘い込み、自らを抱かせる。

 事が終われば、何事もなく帰れる。

 拒否したからといって、怒り狂って殺したりもしない。

 問題は、対象が「ヒトの男全般」ということだ。文字通り全般だ。

 たとえば五歳の男の子がこのに付いてきてしまった場合、どうなるか? 答えは「七、八年後に帰ってくる」だ。


「どうするのだ? おんしの塩には限りもあろう?」

 淑女モッサのしなやかな指がアルルの頬に触れ、首筋をなぞった。

 子羊の耳に似た感触の、でもひんやりした指、心地よい触れ方だと思う。それも効かない。さっぱり効かない。

 鞄から塩を出し、もう一粒口に含んだ。森の女が手を引っ込め、顔をしかめる。

「交尾しちゃえば?」

 と猫が言う。知らないとはいえ、気楽なもんだ。


 もし、森の淑女に付いていった者が男だった場合どうなるか?


 実例は記録にない。

 

 おそらく──誰も帰って来れないからだ。

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