第79歩: カケスと蛇
肩掛け鞄に水と塩とパン。それからもしものための包帯。
春分祭の飾り紐やら何やらの並ぶ手製の小物棚から、ごそっと紐付き銅貨を取って刻印を読む。
ミーリーン・テテフ、マジコス・オエステス、ペブル・スティオ、エイゲン・ナハト、ヌ・ホ、シェマ・クァタ──エカ・アウララ=イォッテ、ファビオラ・イォッテ、フラヴィア・イォッテ、フーヴィア・イォッテ、エルク・トルク。
あった。
幼なじみの不格好な一枚と、いくらかマシな父の一枚を取り、残りを戻す。
「それなに?」
「カケス銅貨。あとで教える」
ヨゾラに短く答えて、アルルはまだ薄暗い部屋を出た。
二階の扉の向こうでは、ペブルが一羽の立派なカケスを腕にとめてパンくずをやっていた。その背後には元の大きさのホップが二本足で立っている。ペブルを超える巨体、この蛙の本来の姿だ。
「おはよう。カケス来たんだな」
「はっ。誰が『呼び』仕掛けたと思ってんだよ」
太い眉を持ち上げてペブルが言う。
「おはようございます坊ちゃん。あとしゃべる猫」
「おはようペブルさん。あと、ムダにでかい蛙」
猫と蛙の確執は放っておき、アルルは父の腕にとまるカケスの胸元を指で掻く。そうしていたら足元から声がした。
「その青いカラス、朝ごはん?」
「カケスだし食いもんじゃない」
「こいつぁあんまり旨くねぇぜ」
ヨゾラの問いに親子で答える。
旨くない?
「親父、
「昔な。餓えてた」
それでもマズかったのなら、相当だ。
魔力を指先に流しながらカケスの胸元を掻き続ける。
「カケスさんカケスさん、秘密の指を見せておくれ」
機を見て声をかけると、胸の羽毛をかき分けてうにっと四本の、白いミミズのような「
たしかに旨そうには見えない。
「上手になりましたな坊ちゃん」
「おかげさまだよ」
言葉を交わしながら、左下の「把」にカケス銅貨の紐を通した。ぎゅっ、と「把」が縮まって紐を掴む。所在なげにしている残りの三本に、鉛筆と、ペブルの銅貨と、丸めた紙を握らせてやった。
これでカケスの準備は完了。次。
「四ツ把カケス。ほんとうは手紙を届けてくれる鳥だ」
湖への道すがら、ヨゾラに話して聞かせた。
「人の髪の毛をもらって、溶かした銅貨とまぜる。その銅貨と手紙を持たせてカケスを飛ばすと、その人の所へ飛んでいって、届けてくれる」
「へぇーえ、
「
聞き慣れない言葉だった。
「
ペブルがホップの背で声をあげる。
「アル坊、そりゃ今で言う郵便屋だ。
ホップが歩くたびにその背で父の体がゆれる。
「ヨゾラちゃんよ、まんまるドゥトーから聞いたんか?」
巨大な蛙に乗った巨人へ、小さな黒猫が答えた。
「ううん。最初から知ってたよ」
「ああん?」
怪訝な声をペブルがあげる。
「ときどき物知りなんだヨゾラは」
「時々ってお
「数えたことなくてわかんない。でも、冬は二回か三回あったと思う」
「はん、特に長生きしてるわけでもねぇのか」
ペブルが言い終わる頃に、白く朝靄のたつ湖が見えた。
ヨゾラの知識は気になるが、今優先すべきは、これだ。
「坊ちゃん、その猫も連れて行くので?」
「連れてく」
アルルは即答した。
コートの帯をしめ、すでにヨゾラは中に収まっている。ホップが何をそこまで気にしているのか知らないが、議論の時間がもったいない。
体にため込める限界まで、魔力を取り込んでいく。
「
父の軽口は流した。魔力は水や空気に似ている。アルル一人がどんなに取り込んだところで、すぐに周りから流れ込んでくる。
「お願いします」
父と使い魔への仕事の依頼。白髪の魔法使いは頷き、まっすぐアルルを見下ろして言った。
「わかってるたぁ思うが、カケスは相手がどうなっていようが銅貨を届けに飛ぶ。エルクの無事は願うが、万一の覚悟はしておけ」
「わかってる。行ってくる」
「おう、行ってこい」
そしてペブルは使い魔の背に左手で触れ、魔法の準備に入った。
「悪ぃなホップ。蛇嫌いだろ?」
「何をおっしゃいますか今更」
アルルは背後にやりとりを聞きながら湖の縁に立った。白い靄を貫いて、朝陽が朱に照り返る。
「今日は落とすなよ」
胸元から声がした。
返事の代わりにその身体を押さえる。
背後で、父と蛙が声を揃えた。
「おいでませい、ミトグロ!」
遠く湖の真ん中で何かが跳ねた。そこから広がる水紋が岸にたどり着いて一瞬、静止した。
ぞざざささざざざ!
水紋が突如として回転し、渦を巻き、渦の中心は緩やかに盛り上がる。
水紋は膨れ、丸太のような太さを備え、回転の起こす風が朝靄を払う。
蛇だ。
湖がとぐろを巻く。
透き通る蛇の身体を魚が泳いでいる。
「相変わらずとんでもないなっ」
アルルは走る。まっすぐ、目のない蛇の頭へ向かって、湖だった水の
湖を埋め尽くす蛇だ。あの頭だけでも、ヤミヌシの数倍はある。その頭が、透き通る口を開いた。それにまっすぐ突っ込んでいく。
ヨゾラの身体が震えている。
「大丈夫だヨゾラ。親父を信じろ」
アルルの脚は止まらない。
じぇえええぇえ! と遠くにカケスの鳴き声が聞こえて直後
ばくん。
湖に呑まれた。
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