第77歩: エカ、ファビ、フラ、フー
エカおばさん。銀色の巻き毛で、きれいな蒼い瞳で、がっしりしてて、肉付きが良くて、
「
その肉の中にアルルが半ば埋まっている。
「そんなに……遠いところじゃないし、ちょっと行ってきただけだし、旅路も前ほど危なくないよ」
肉の中から顔を逃がして、アルルが息をはいた。
あの肉は、そうそう、おっぱいだ。とヨゾラは思い出す。
「母さんはアル
フーヴィアがずんぐりした素焼きのカップを両手で抱え、眠そうにお茶を飲んではチーズを摘まんでもぐもぐする。松葉糖の香りにねっとりしたチーズの匂いが紛れこんでいた。
赤ん坊は大量の布にくるまれ、大きな
「でもねぇフー。アルビッコちゃんはねぇ、昔からすぐ怪我するし、病気するしでねぇ」
「わたしらの心配は?」
「あんたは
フラビーにはきびしい一言が飛んだ。
アルルが苦笑いして、テーブルの奥に布束を抱えて座る女の人を見やった。
まっすぐ艶やかな赤毛が背中まで伸びて、でも他の二人と比べるとなんだか弱々しいひとだった。
「ファビ
ファビ姉。お姉ちゃんそのいち。
「うん。ひさしぶりね、アルビッコ」
そう微笑んで頷いた時に、髪が揺れてひとふさ顔にかかった。それを、触れたら折れてしまいそうな小指が払う。
その手に針が光っていた。
布地のはじを縫いながら、腫れぼったい目で寂しそうに笑う。
「帰って来ちゃった」
アルルがなにか言う前に、エカおばさんがいくらか沈痛な声で、
「もういいさね、ファビオラ」
と声をかけた。
そのあとヨゾラは自己紹介。そして、アルルがこないだまでの旅の話をした。河で出会う前の話もあった。銃だとか、ヤミヌシだとか、危ない話は適当にはぐらかしていた。
ヨゾラも知っている話なのに、人が話すのを聞くとなんだか面白かった。
「そうだ! はくようふじんで食べ物もらってきてくれるって言ったよね? あれどうなったの?」
ヨゾラがそう言うとアルルは言葉に詰まり、エカおばさんたちは
「約束守らないなんてねぇ」
と声をそろえる。
ララカウァラの人は猫がしゃべってもあんまり驚かない。アルルが生まれるよりも前からずっと、この村にはしゃべる蛙がいるからだそうだ。そこだけは、あの蛙にお礼を言ってもいいかもしれないとヨゾラは思う。
そして今、アルルは髪を切られていた。
外に椅子を出して、上は肌着になって
「なんでずっと魔力をスーハーしてるの?」
「寒いから」
アルルはたくさん魔法を使うと汗をかく。魔法も、跳んだり走ったりするのと同じなんだろうか。
その後ろでしきしきと、真っ黒いはさみを鳴らしてフラビーがアルルの髪を落としていく。左手の櫛と右手のはさみが黒い頭の周りを飛び回る。
「あれれれ? ビッコ、魔法使おうとしてた? わたし
「そんな魔法は使えない」
わざとらしいフラビーと、呆れた口ぶりのアルル。
「ふふふ、どうかなぁ? 旅先に可愛い女の子いるでしょ? ゆきずりの恋とかないの? 『お願い、どうか今夜だけでも!』『いいぜ、二人で朝陽に乾杯しよう』みたいの」
「ねえよ」
そこにヨゾラは口を挟む。
「クチ大きくてかわいい子いたよ」
「あらやだアルビッコ」
「まだ子どもだったろ」
「やだアルビッコ!!」
「ちがう!」
フラビーがまた笑った。アルルは大きく一息ついた。
「床屋はそろそろ独り立ちできそうなのか?」
「
「
「あはは。独立はねぇ、もう少し今のお店でお金ためてからかな」
「そっか……頑張れよ」
「うん。頑張ってるよ」
フラビーがばさばさとアルルの頭を払って毛を落とす。
アルルの頭がちっちゃくなったのが目に見えてわかった。
フラビーが手を止めて、アルルのつむじあたりへ呟いた。
「姉さんも街で働けばいいのにね」
櫛が動く。
「料理だってお裁縫だって誰よりも上手なのに。街に行けばできる仕事なんてたっぷりあるのに。なのになんでお嫁さんになりたがるのかわからない」
はさみがアルルの耳の周りをついばんでいく。
「俺たちがガキんちょの頃から言ってたよな」
目を伏せたままアルルが呟く。
「ね、アルビッコ。昨日ね、話聞いた。向こうの家の人と気が合わないってだけじゃなかった。役に立たないって言われてたって。ずっと。五年も経つのに赤ちゃんが出来ないなんて役立たずの産まず女だって。母親には三人も子供がいるのに、娘はコレか、だって。ずっとひどい事されてたって」
フラビーの声が密やかに震えている。
「家のこと、姉さんは絶対がんばってた。ぜったい。なのにそんな事でいじめられるって何なの? 何様なの? 商家の跡取りだかなんだか知らないけどさぁ……!」
今度はフラビーが大きく息をついた。
「姉さん、悔しいと思う。わたしも悔しい。だけど、姉さんがメソメソしてるのにも腹がたつ。なんでだろう? どうしたらいいんだろうね? 魔法でぱぱっと解決できたりしないの?」
「……ごめん」
はさみの音が止まって、フラビーが大きな声を出した。
「うそ! 冗談! 謝らないでよ。わたしがいじめてるみたいじゃない」
そう言ってはさみ使いが魔法使いの肩をぴたぴた叩いた。
「暗い話してごめんね。可愛い女の子のところまで話戻そうか?」
「……別に言う事ないからいい。フラビーだって二十二だろ? ウ・ルーで誰かいないのか?」
「年を言わなーい。わたし、男はいいや」
家の中から赤ん坊の鳴き声が聞こえてきた。フーヴィアが娘をあやす声もまざって聞こえる。
「子どもは好きなんだけどね。グーちゃん
言いながらフラビーがエプロンをバサバサさせた。アルルの頭を見回して、前にまわって満足そうに微笑んだ。
「うん。オトコまえ」
ちょうどエカおばさんとファビ姉が向こうの豚小屋から出てくるところだった。
「だいぶ切ったな。ありがとうフラビー」
立ち上がって、アルルも服や首から髪を払う。
「いいのいいの。それより、次にウ・ルーに来たら今度こそお店に顔出しなよ。素通りなんて冷たいよビッコ」
低い鼻の頭をかきながらアルルが言った。
「わるい。この前は船の時間がせまっててさ。次はちゃんと行くよ」
「期待してる。じゃ、わたしはそろそろ帰り支度かな。カミソリあてられなくてごめんね。自分でよろしく」
「ああ……もう戻るのか?」
椅子を持ち上げながらアルルが意外そうな声をあげる。
「急なお
そう言って家に戻ろうとするフラビーをアルルが呼び止めた。
「フラビー」
「なに?」
「急に俺の髪切るって言い出したの、豚の世話したくなかったからだろ?」
フラビーは大きく目を見開いた。
「ざんねーん。半分ハズレ」
そう言い残して中に入っていった。
「半分あたりじゃないか。……どうだヨゾラ?」
アルルが自分の頭を指差して訊いてくる。
「ツンツンしてる。違う人に見えてヘンな感じ」
そのあと、その日にあった事。
フラビーを町外れまでお見送り。
ウ・ルーまでは二日ちょっと。「端っこの家」のアードンさんが隣町まで荷馬車を出した。荷台の後ろに腰掛けてパタパタと手をふるフラビーは、短い赤毛なのもあってちょっと鶏に見えた。
おばさん
畑の草取り。
ヨゾラがウズラを追いかけているうちに終わっていた。
村で畑を持っている人は少ないんだそうだ。
帰りがけにアルルが道端の草を摘んで、晩ごはんに芋と腸詰めとで火を通して食べた。
深緑色したツンツン草はピリピリ辛くて鼻にツンとした。ユキカラシというらしい。
二階の部屋に戻って、隣の部屋がバタバタして、静かになって。
アルルは
「なに読んでるの?」
「薬と儀式の本。隣の部屋から借りてきた」
答えながら、目は本から離さない。
「あたしも見たい」
「俺が読んでるから、見るだけな」
そう言ってアルルが机の上から手を伸ばした時、ヨゾラの耳元に外からの足音が届いた。
間隔の短い、急いだ足音。
「だれか来るよ」
直後に、一階の扉が叩かれた。
アルルが扉をあけると、真っ青な顔をしたフーヴィアが立っていて
「エルクが帰ってこないの」
と夫の不在を告げた。
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