第75歩: スティオ

「起きた?」

 今朝は疑問形だった。

「起きたよ?」

 アルルも疑問形で返す。

「起きてた?」

 新たな疑問が戻ってくる。すぐ右の枕元で、腹ばいのヨゾラが覗きこんでいた。

「今起きた。おはよう。どうした?」

「目閉じたまましてたから、何してんだろうと思って。あと、おはよアルル」

 なるほど。ヨゾラの態度に納得がいった。

「夢を見てたよ」

「ふーん。どんなの?」

 腹ばいのまま、右の前脚をわっしわっしと舐めながら黒猫が言う。

 東向きの窓から藍色の空が見える。もうすぐ日の出だ。 

「小さい頃からたまに見る夢でさ。雨ん中、穴ぐらに押し込められる夢」

 アルルも身を起こした。シーツの中で干し草がキシキシきしんだ。

「あんまり楽しそうな夢じゃないね」

 前脚を繕いながら上目遣いでヨゾラが言う。

「あー、まぁ、楽しくはないな」

 アルルはひやりとした床に足をおろした。

「お前も『ぬけがらぬけがら』って寝言いってたぜ」

「なにそれ?」

 覚えちゃいないらしい。

 何でもないよ、と答えて軽く伸びをした。

 日課の時間だ。



 息を吐き、意識を広げて、魔力を感じる。できるだけ広く、深く、自分の体を周囲に溶かすように、皮膚と空気の境目がなくなるように、意識を広げる。

 そこにあると知れば、そこにあると信じれば、そこにある。もっと遠く、もっと深く、碧くたゆたう魔力を感じて。

 取り込む。

 体の輪郭がはっきりする。へその内側あたりに、もわりとした塊がある。

 それを、動かす。全身に散らし、右手に集め、左手へ流し、足先に落としてまた巡らせる。魔力の巡りは、暖かくピリピリと体の内側をつついていく。

 最後に、長い息をはいて体の外へ散らす。 

「おなかすいてきた」

 ヨゾラの呟きをよそに、魔力の取り込みと吐き出しを何度か繰り返した。

 一時的に部屋の魔力が濃くなったが、それもじきに散っていくだろう。もう一度軽く魔力を取り込んで、壁の棚板に並ぶ蔓草籠つるくさかごに腕を振り「糸」を飛ばした。

 さて。

「上手にお着替え、できるかな」

 

 「糸」は体の延長だ。先端の球で魔力を力場に変え、物を操る。籠を取り寄せ「糸」を切って手で夜着を脱ぎ

「あれ? 魔法で脱ぐのかと思った」

 黒猫から感想をもらう。

「脱ぐのはうまく出来ない」

「じゃあ、えっと、練習したら?」

 おっしゃる通りだった。

 が、できないものはできないのだ。

魔法フィジコは自分の体に効いてくれないんだよ」

「へえ。でも、服じゃん」

 猫の毛繕いは背中に移った。

「そのはずなんだけど、なぜかダメなんだ。着るのは平気なのに、脱ぐのがダメ。頭ん中で服と体がごっちゃになってるんじゃないかって考えてる」

「いろいろ不便だねフィジコ」

「俺もそう思うよ」

 低くため息を吐き出すと、アルルはシャツを魔法でつまみ上げて羽織った。




 アルルはボタンに悪戦苦闘。

 ヨゾラは部屋をじっくり観察。

 正面に窓と棚板で、あっちが東。壁の向こうはペブルさんの菜園。棚板のはじにはジャケットやコートに小さな鞄も吊ってある。右に窓と書き物机。机の横にいつもの背負い鞄がと置いてあった。たぶん、中身は空っぽ。今いるベッドが西だから、左に見える入り口はつまり北。

 あと、正面の壁沿いには不器用な造りの棚も置いてあって、小さな物がごちゃっと並ぶ。

 

 ベッドから飛び降りて、棚に近づいてみた。


 ヘンな形の石。綺麗な緑の小瓶。マズそうな木の実。紐付きの銅貨みたいなものがたくさん。よくわからない皿に乗った砂。色の付いた。獣よけの魔法陣は知ってる。それから、黄色と青の飾り布。これはエレスク・ルーのお祭りで飾られていたやつだな。

 アルルをみると、真剣な顔でズボンに脚に通そうとしている。

 ほっとこう。

 廊下にでると、隣の部屋との間に造り付けのハシゴが立っていた。

「その上は屋根裏、物置だよ」

「びっくりした……」

 アルルが部屋から廊下に顔を覗かせていた。

「隣を覗きたかったら静かにな」

 

 のぞくもなにも、扉が閉まってるのに。

 そう思っていたら、扉が開いた。隙間から黒染めの長靴が出てきて、その長靴から上に白いズボンの脚が続いていた。濃い緑の窮屈そうな上着、肩に金色の房飾り、精気の無い顎、口、鼻、そして目があった。

「お……おはよ」

 しっぽをかばって後ずさる。精悍な顔つきの若い幽霊は無表情のまま、つと目を伏せ、また上げた。

 あいさつされた、のかな?

 幽霊がそのまま部屋を出て、廊下を歩いてくる。足音はしない。が、前に見た幽霊と違って、こちらは地に足がついている感じがした。

 ちゃんとハシゴを昇って、屋根裏へ入っていく。

 幽霊の出て行った部屋を覗くと、薄暗い中、壁一面の本棚と、床に積み重なった本と、古ぼけた椅子が一脚置いてあった。


 背後から聞き慣れた足音がした。

「"シニョー" リクハルド=スティオ、って名前だったらしい」

「シニョー? えらい人?」

「それ知ってるの流石だよな」

「ふふーん」

 とかとか、そういうえらい人には「シニョー」がつく。ドゥトーみたいなものだ。

「スティオ伯っていう、昔の偉い人の一家だったんだって」

 そう言いながらアルルが部屋に入り、カーテンと窓を開けた。コートまでしっかり着込んでいる。

 空の青みはだいぶ薄くなっていた。

「ね、ペブルさんのお爺さんの、お父さんの、弟なんでしょ? さっきの幽霊」

「そうだよ」

 アルルが戻ってきた。

「じゃ、ペブルさんも偉い人なんじゃないの?」

「どうかなぁ。親父は実家とはほとんど関わりがないし、『いまさら貴族もねぇもんだ』ってよく言ってる。でも親父もスティオ姓だ。これ、嫌がるからあんまり言うなよ」

「わかった。でもなんで?」

「俺がペブルビク=ララカウァラなのを気にしてるんだと思う。どうでもいいと思うんだけどさ」

 しゃべりながら、階段の目の前、菜園につながる扉をアルルが開けた。

「朝メシ前のひとっ飛びだ。湖行こうぜ」

 みずうみ。

 聞いてヨゾラは、耳としっぽがピッと立つのを感じた。

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