第74歩: 猫の寝言
カランカさんが出てくるまで、扉を開けちゃいけない。それが決まりだ。
カランカさんの出て行った後には、食べ終わりの食器が一組と、人数分の料理が残る。
もし途中で扉を開けたら、もう来てくれなくなると
「実際開けたらどうなんのか、オレも興味があってよ。死ぬまでに一度開けてみてぇんだ」
とも言うので、おそらくいつか開けるだろう。
おじさんもまだ生きていた。
ひとりでに動く食器類を見て、四歳のフーヴィアがびぃびぃ泣いていた。フラビーからお化けの話を聞かされたばかりだったそうだ。
フラビーはそういう事をよくする。そのくせ、アルルがフーヴィアをからかうと血相を変えて飛んできて、よく喧嘩になった。
それで、最後にファビ
あの時も泣きじゃくるフーヴィアをからかって、フラビーと喧嘩になって、怒られた。
三人そろって泣きながら干し肉と玉ねぎのチーズ煮を食べ、そろって泣き止んだのも覚えている。
あのチーズ煮の味付けがなんだったのかは、今でもわからない。
カランカさんの料理には、時々そういう事があるのだ。
あの頃はまだ、
アルルがそんな事を思い出したのは、出てきた料理がチーズ煮だったからだ。久しぶりだし、ご馳走だ。
ホップは昔からヒトの食べ物を食べない。使い魔としての慎みだと言っているが、そんなこだわりを持っている使い魔を他に見たことがない。
ヨゾラが構わず何でも食べるのが気に入らないようで、チーズを冷ましきれずに舌を火傷したのを「ほらごらんなさい」と言っていた。
ホップは今も昔も口うるさい。
「あの蛙、感じ悪いよ」
家の脇の水路から舌を抜いて、黒猫が器用に口を尖らせた。
「ホップは心配性だし確かにいろいろ言うけど、うちに悪いものが入ってこないようにしてるだけなんだ。すぐにとは言わないけど、そのうちわかってくれるだろ。仲良くやってくれよ」
「あたし悪いものじゃないと思うけどなぁ。別に仲良くしたくないわけじゃないんだよ? むー、まだヒリヒリする。ちゃんと冷ましたと思ったのになー」
ヨゾラが舌を出したり引っ込めたりと忙しい。
「チーズは中が冷めにくいんだ。俺もむかし火傷したよ」
「ほんほ?」
舌を出したままヨゾラが聞いてくるのに、アルルは頷いた。
雲は夜になって晴れ、薄い三日月が森の端にかかっていた。コート無しではまだ寒い。
「そろそろ戻ろうぜ」
そうヨゾラに声をかけたら、
「待って、おしっこする」
と返ってきた。
家のどこかに、ヨゾラの出入り口を作ろうと思う。
家にもどって、ホップの洗った食器類を片付け、多めに湯を沸かす。蛙は小さくなって、お気に入りの水盆の上でじっとしていた。夜はたいてい、この調理場の水盆の上だ。
水が冷たくないか声をかけたら、少し温めてくれと頼まれたので
ヨゾラは
夕食の時にはエレスク・ルーでの話をした。ペブルは短く「ご苦労だったな」と言い、ホップは「ご無事に帰られて何よりです」と言った。アルルの傷を舐めて治した事も、ヤミヌシを食い止めた魔法のことも、蛙の気にかかるようだ。
お茶をいれ、食卓へ戻る。
父親にファビ姉の話を訊いてみたが「先週末に戻ってきた」ぐらいしか知らないようだった。
「嫁ぎ先でうまくいかねぇなんてのぁ、ザラにある話だと思うがよ」
「ザラにあるからって、それでいいわけじゃないだろ?」
「そりゃそうだが、こりゃエカやファビオラちゃんたちの問題だ。オレらに出来るこたぁあんまし
結局、そんな話にしかならない。
ヨゾラの絵は父親の本棚にしまわれて、画集に新たな一枚が加わった。
アラモント墨の売上と痛み止めを渡し、ヨゾラと二階の自室に引っ込んで、残りのお湯で歯と体を拭く。
「隣の部屋からなんか聞こえるよ?」
窓際の書き物机から声がした。差し込む淡い月光のせいで、猫の影が喋っているように見える。
この時間に隣からゴトゴト音がするのはいつもの事。
「親父の
「ん? ペブルさんのなに? ごはんの時いなかったね」
と、ごく普通の疑問がくる。
「幽霊だからね」
「いっ?」
ヨゾラが尻尾をお腹の下にまるめこんだ。
「その幽霊は、いきなりしっぽ引っ張ったりしない?」
「しない、と思う」
「言い切ってよアルル。それか、前みたいに魔力を吸い取っちゃってよ」
「必要ないよ。夜通し本を読むだけだし、魔力を奪ったらその本も持てなくなっちまう。骨が見つからなくて弔えないのに、それはなんだか忍びない」
黒猫は不満そうな声をだして、机から飛び降りた。
つづいてベッドの上に飛び乗り、丸くなる。
「でも、それじゃ落ち着いて寝れないじゃん」
そんなことはなかった。
体を拭き終わって夜着を着て、残り湯を捨ててきたら猫は寝息を立てていた。
読む本が決まったのか、隣も静かになっている。
どういう経緯で死んだのかわからないが、姿に欠損がないので即死だったんだろう、と言うのが
骨は、さんざん探して見つからなかったのだという。
魔法使いになった父がララカウァラにやってきたのも、この幽霊をなんとかしろ、というのがきっかけだったらしい。
表向きにはなんとかしたことになっているが、父のあだ名は幽霊屋敷のペブルさんだ。
「あたしの背中がすごく低いよ」
突然の声にぎょっとした。
「あおいなぁ、ぬけがら……」
ヨゾラの脚がぴくりぴくりと動いている。
「……寝言かよ」
ヨゾラも夢をみるのかな、と思った。あれだけいろいろ喋るわけだし、みる方が自然か。
「ぬけがら……ぬけがら……」
なるべく静かにベッドに潜り込んで目を閉じた。
明日は、湖に連れてってみるか。あと、村を案内して、みんなに紹介しておかないと。あぁでも、
つらつらと考えているうちに、アルルも眠りに落ちた。
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