第72歩: 無視しておきたい
「オレの知ってる限りぁ、いねぇなぁ」
手を止め、目頭を押さえながらペプルがうなった。
「そっか……」
ヨゾラは思った以上に落胆した。
「つっても、オレがまだ遭った事ねぇだけかもしらんし、お
「しんしゅ?」
知らない言葉だった。
「新しいものだ。たとえば、そうさな。火薬に宿る奴がいる」
花火の時にみたアレだろうか。
「黒い鳥みたいの?」
「ほお、正解だ。すげえなお前さん。ありゃ『ハジケリ』ってんだ。火薬がいつからあんのか知らねぇが、風だの水だのよりはずーっと新しいもんだ。なんせ人間が作ったんだからよ。だが、いつの間にかハジケリはいる。こんな具合にな、いつの間にか新しいものが生まれてたって事があんだ。ヨゾラちゃんも、そういう新種なのかも知れねぇな」
そんなこと、考えたこともなかった。
でも、仲間なら話ができる。そうしたら、なんで身体が勝手に魔法を使ったかわかるかもしれない。
それに仲間がいるなら会ってみたい。
外から乾いた木がぶつかる音が聞こえた。足音が奥のかまど部屋のほうに回って、扉が開く音がした。
あっちにも入り口があるのか。
「親父、明かりもつけずに描いたら目が悪くなるぜ?」
「年寄扱いしてんじゃねぇぞアル坊」
白髪の魔法使いが奥へ言い返した。
「なんでそこで意地はるんだよ……」
アルルが部屋に入ってきて、天井へ碧い「糸」を振り出した。ヨゾラはそこで初めて、天井から何かぶら下がっているのに気が付いた。
鉄製の厚手の円盤の上を、球状に紙が覆っている。
「糸」を魔力が走って、紙が柔らかく光を投げ始めた。
「
「すいぎん……あっ、毒だってね?」
「水銀は知ってんのか」
ペブルの驚きに続いて、アルルが得意げに言った。
「魔法使いの家って感じだろ?」
ヨゾラは頷く。火じゃない明かりは、たしかに魔法だ。
「『アル坊はじめての魔法陣』だぜ、そいつぁ」
手もとから目を離さずにペブルが言う。その隣でアルルがカーテンを閉めた。この家族には不似合いの、赤い花の模様が縫い取られたカーテン。
アルルは描き途中の絵をちらりとみて、「にっ」と笑ってみせた。
なにさ?
「親父、なんか痩せた?」
「そうか? 冬ごもり明けだからじゃねぇか?」
手元とヨゾラとを見比べ、ペブルの鉛筆が細かくはねる。
アルルの腰から黄緑色がペブルの膝上へと跳んだ。ごく普通のアマガエルに見えるのだが
「
口をきく。
あれ? 入り口にいた蛙? でも
「ちっちゃい」
ヴぅぅぅ、と音で返された。
「ホップは身体を小さくできる」
訊く前にアルルが先回りして教えてくれた。
身体を小さくする蛙。ヨゾラになった夜に聞いた話だ。そういえばその夜もアルルに怒った。なんだかずいぶん前のことに思えた。
ヴヴっ、とまた音が鳴る。
「坊ちゃん、ですから違います。身体の大きさを操ると言っていただきたい。一番大きい時と、元の体の大きさとが
「へいへい」
「返事は一度ですよ」
蛙にたしなめられながら、アルルが斜め後ろの椅子に座った。
「ホップ、この子ぁ
「前回については私にも言い分がありますがね」
溜め息でも
今のあいつの大きさなら、喰うのはあたしのほうだな。
そんなことを思っていたら、こっちを見たままペブルが顔を高く上げたり、低くしたりしている。
何をしているのかと目だけでその様子を追いかけると、白髪の魔法使いは座り直して口を開いた。
「お前さん、面白え毛皮の色してんな。アラモント墨みてぇだ」
「あー、そうか。言われてみれば」
「ん?」
親子が同調し、ヨゾラはよくわからない。
親の方が続けた。
「光の加減でな、お前さんの毛並みは藍色や紫に見えんだ。そいつがアラモント墨に似てる」
「へぇ!」
「俺には夜の空に見えた。だからヨゾラ」
「へぇ!……あれ? そんなこと言ってなかったじゃん!」
「そうだっけ?」
ヨゾラはてっきり、流星群の星空を見たからだと思っていた。
「なんだよー。そんな……こう、グっとくる由来があったんなら、ちゃんと言ってよー」
アルルに文句をつけたら、蛙が大きな声を出した。
「坊ちゃんが名付けたのですか!?」
「そうだけど、大丈夫だよホップ。特におかしな事は起こってない」
嘘だった。
大丈夫だというのはアルルの本心だ。しかし、たとえばヨゾラの命令に心が引っ張られるのは、なくなった訳ではないのだ。
多少のおかしな事は起こっている。
けれど、それぐらいは無視しようとアルルは思っている。ヨゾラが故郷に来て、家族に会わせて、気分が高揚していた。
マジコが得る、生涯の友となる使い魔。
そんな存在がフィジコの自分にもできたみたいで嬉しい。
だから、これぐらいは無視しておきたかった。
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