第71歩: えんぴつ
アルルの買ってきた、たくさんの細長くて平たい棒。その一本をペブルがナイフで尖らせる。さりさりと木を削る音に、ときどき「ざりっ」が混ざる。反り返った木くずが床に落ちて、とん、とん、かさりと音をたてる。
椅子の上に箱座りして、ヨゾラはその様子を眺めていた。
「こいつが鉛筆ってもんだ。真ん中の、この『芯』ってヤツで絵だの字だのをかく」
鼻先に差し出された先端が、鈍く黒光りしていた。アルルの鞄の中で感じた、どこかの土のにおい、それがこの芯のにおいと同じだった。
しゅっとひと舐めする。
「おいおい、食えねぇぞこれは」
引っ込めた鉛筆を指で拭いてペブルが言う。
鉛筆の芯はひやりとして、土の匂いが口に残った。
一階の大きいほうの部屋。古びて黒ずんだテーブルと四脚の椅子。作り付けの戸棚とその脇に吊された、何本かの腸詰めや塩漬け肉に、芋や玉ねぎ。
開いた扉の向こうには
「チビすけお
「ヨゾラだよ」
「はん、わーったよ。ヨゾラちゃん、お前はどこの王家の猫だ?」
小さな板に紙を留めながらペブルが訊いてくる。
「それ、アルルにも訊かれた。おうけって何のこと?」
「あん? あー、アレだ。国で一番偉い人を王様、その家族を王家ってんだ。で、猫にも王様がいてな、その一家をガトヒアウ、つまり王族ネコって呼ぶ。お前と同じ、しゃべる猫だ」
「ふーん。あたし、それなの?」
「うんにゃ。
ヨゾラはちょっと残念に思った。ペブルは紙と鉛筆を手に椅子に座る。
「えっと、ペブル」
「さん」
うん?
「ペブルさん、だ。目上の人にはとりあえず『さん』をつけときな。処世術ってやつだ。あと、他人にオレを呼び捨てにさせっとホップの機嫌が悪くなるんでな」
ホップって、あの蛙か。
めうえも、しょせいじつも、意味はわからないけれどこう呼んで欲しいらしい。
「ペブルさん」
「おう、どうしたヨゾラちゃん」
ちゃんづけされるとくすぐったかった。
「アルルと似てないね」
「親子が似るとは限らねぇよ」
さらりと答えが返ってくる。ペブルの右手が鉛筆を立てている。右目を閉じて、立てた鉛筆ごしにヨゾラを見ている。
絵を描く、というのは聞かされていた。楽な姿勢でいいから、あんまり動くなとも。
ざっ、とペブルが鉛筆を走らせる。
「やっぱり鉛筆はエレスクのに限んなぁ」
そう独り言を呟いて、ヨゾラを見た。
「お前さん、名前がほしかったのはなんでだ?」
「んー、それは、そうしなくちゃいけなかったから」
ヨゾラはなんの疑いもなく答える。
「それは誰かに言われてか? それとも、お前さんが決めたのか?」
ざしっ、しゅ、しゅっ、と鉛筆が紙をこする。
「どっちでもないよ。お腹がすいたら何か食べなきゃいけないみたいに、あたしは最初に名前をもらわなきゃいけない」
「ほーう。そういうタチのものなんかなぁ」
ペブルが一つ呟いた。外からは薪を割る音が聞こえる。
「なぁ、ヨゾラちゃん。魔法使いの間でよく言われることなんだが、名前を貰うってこたぁ、支配されるって事につながんだ。そりゃ知ってたか?」
「支配って、なんでも言うこと聞かせるって意味でしょ? 知ってた。でも、そうならなかったよ。あたし、ヤなことはヤだって言うし、今日もアルルに怒った」
ヨゾラがそういうと、ペブルがちょっと楽しそうな顔をした。ウーウィーをからかった時のアルルの顔に似ていた。ししし、の顔だ。
「アル坊のやつ、何やったんだ?」
「めちゃくちゃ酸っぱいのを、だましてあたしに食べさせたんだよ」
「はーん、トウマツの新芽だろ?」
ペブルが手をとめ、板を降ろして覗き込んできた。
「なんでわかるの!?」
おもわず立ち上がってしまう。ペブルが座れ座れと言ってくる。
「オレが何年あいつの親父やってっと思ってんだ? アル坊め、ガキの頃におんなじ事やってたぜ。そんときゃ隣の
「フービア?」
「フーヴィア。今でもやること変わってねぇな、あんにゃろう」
外から、アルルのくしゃみが聞こえた。風邪ですか坊ちゃん、という蛙の声も聞こえた。
ペブルの口元には楽しげな笑みが浮かんでいる。
怖い人かとおもったけど、違うかな。
ペブルは時々ヨゾラの足や尻尾をつまんで、じっと眺めたりする。この白髪の魔法使いに触られるのは、なぜだか気にならなかった。
「ペブルさん。あたしが何者かって、時々アルルは気にしてる。ペブルさんも、あたしが何かって気になるの?」
「オレも魔法使いだからな、不思議があれば調べにゃなんねぇ。お前さんが何者かわかればそんだけ魔法が進歩する」
手も目も止めずにペブルが言う。
「どういうこと?」
「アル坊はちと特殊なんだがよ、魔法はオレたちヒトだけじゃ使えねぇんだ。エレスク・ルーに行ったって言ったな? そこでドゥトーの奴に会っただろ?」
「会ったよ。他にも色んなヒトに会った」
ピファちゃんや、ウーウィーくんや、ギデくん、髭おじさんやお肉のヒト、他にもたくさん。
「ドゥトーの魔法は見たか? 何か呼び出してなかったか?」
「燃えるトカゲとか銀色のカナブン呼んでた」
ペブルの手が止まった。
「ハガネムシかよ。どえれぇ魔法使ってんじゃねぇかまんまるの奴」
また手が動き出す。
「とにかくよ、魔法使いはそういう『不思議なものたち』の力を借りるか、魔法陣を描くかしないとことを起こせねぇんだ」
しゅっしゅっしゅっ、と鉛筆が走る。
「だから、どういう奴がいて、どういう事ができるのかを知れば、世の中に魔法が増える。奴らにもいろいろあってな。普通の人には見えない連中や、見えても形のはっきりしない奴らや、ヨゾラちゃんみたいにごく普通に見えるようなのがいる。ヒトみたいな奴がいる。普通の動物とあんまり違いのないのもいる」
「ヘンなやつら」
「
ペブルは少し笑った。
「で、奴らの共通点はな、ヒトを介した魔力に寄るって事だ。ところで、魔力がどこから生まれるか知ってるか?」
「えっと……」
頭の隅っこに答えがあった。
「揺らぐもの、波打つもの、動いてるものならほぼ何でも」
ペブルが目を見開いた。
「正解だ。アル坊に教わったか?」
「ううん。でも、河の近くは魔力が濃いし、風がふいたら濃さが変わるし、おまつりの太鼓を見たときも、魔力がたくさんあがってたよ。すごく元気になる魔力だった」
「やっぱり面白ぇなお前さん。練習したら魔法使いになれんじゃねぇか?」
さらさらさら、と鉛筆が流れる。
「どうかなぁ。魔力を吸ってみたことあるけど、身体に溜まる感じはしなかったよ。でもね」
「でも?」
「あたしの身体が魔法を使ったことは、あるんだ」
ヤミヌシというものとの戦いの時。迫り来る巨体を受け止めた、アルルも知らない魔法。
ペブルは黙って聞いていた。
「だけど、あたしは魔法を使うつもりなんかなかったんだ。今だって、どうしてあんな事ができたのかわかんない。魔法を使ったあたしが本当にあたしなのか、ちょっと自信がないんだよ」
ペブルは細かく鉛筆を動かす。
「まるで、あたしの身体が勝手に動いてるのを眺めてるみたいだった。そういう魔法とか、ものとか、とにかくあたしみたいなのって、他にいるのかな?」
気づけば部屋はだいぶ暗くなっていた。
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