第70歩: 色も大きさも全然ちがうじゃん

「今日は大きいんだな、ホップ」

 とアルルは言うけれど、ってどういうことなのか。

「そろそろ水もぬるくなりましたので、たまには戻っておこうかと思いましてね。ところで、そのコートはどうされました?」

 大きな蛙はそう言った。

「いいコートだろ? いろいろあって前のがダメになってさ。エレスク・ルーで貰ったんだ」

「さようでございましたか」

 時々、蛙の半透明のが下から上へとせり上がる。どこを見ているのかわかりづらい目だとヨゾラは思った。

「ところで坊ちゃん、ずいぶんと……変わったのを拾われたようですが」

 しゃべるたびに、お腹のわきもしている。ぼっちゃんというのは、どうやらアルルのことらしかった。

「変わってるけど、俺の命の恩人だぜ」

 蛙が「ヴぅ」とうなるような音を出す。

「その方が……でございますか? それは驚きでございますなぁ」

 妙に大げさな口調に思えた。

 あたし、蛙を食べたことあるんだけど、それで嫌われてるのかな。そんなふうにヨゾラは勘ぐる。

「ええと、あたし、ヨゾラ。よろしくね」

 それでも、魔法使いの肩の上からまずは自己紹介した。蛙はまた唸るような音を出した。

「なにか不満なのか?」

 アルルから見てもこの蛙は機嫌が悪く見えるらしい。

「いえ、坊ちゃん。ただ、どうにもわたくしから見るとその猫は不可解で──」

「猫じゃないよ、ヨゾラだよ」

「待ちなさい猫。人の話をさえぎるものでは」

「ヨゾラだってば!」

 声が荒くなった。

「それはわかっております。ですが当家の使い魔としては、得体の知れないを我がぬし様と坊ちゃんの住まう家に入れる訳には参りません。坊ちゃんも、目に付いたおかしなものを拾ってくるのは大概にしてください。中には危険なだってあるのはご存知でしょう? 『千年まどい』の時の事をお忘れですか?」

「そりゃ……忘れてないけどホップ、俺はもう子供じゃないんだぜ?」

「いいえ坊ちゃん」

 と蛙はいよいよノドを膨らませた。

「坊ちゃんのお優しい所は存じ上げておりますし、好ましく思っておりますが、それも時折度が過ぎることがございます。いま少し周りを疑うことを覚えてしかるべきと私なんぞは──」

「はいはい、どうせ俺はお人よしだよ」

「坊ちゃん、返事はみじかく一度です」

 アルルもちょっとうんざりしてきたようだった。

「お説教はまた今度にしてくれよ。ヨゾラはそんな危険なやつじゃないんだって。本当に命を救われてるんだ、それも二度」

「そうだぞ」

 ヨゾラが言うと、ホップがまたうなった。

「とにかく、俺を我が家に入れさせてくれ。ヨゾラの事はまた晩メシの時にでも話すよ。親父は?」

「……裏の菜園でございます」

 蛙が忠実に答えて、アルルはやっと家の扉を開けたのだった。



 家の中はいい匂いがした。安心する匂いだった。

 杖を玄関わきに立てかけて、アルルがギシギシ階段を昇る。

「アルルんち、いい匂いするね」

「そうか?」

 アルルにはわからないらしい。

 二階に上がると真正面に扉があった。右に廊下を挟んですぐがアルルの部屋で、廊下の奥にももうひとつ部屋があった。

 自分の部屋で荷物とヨゾラを降ろすと、アルルは一息ついて肩をぐるぐる回して、部屋に二つある窓の片方を開けた。

「親父! 戻ったよ!」

 窓から身を乗り出して声を上げている。床に降りたヨゾラからは、アルルの尻と向こうの曇り空しか見えない。

「遅かったじゃねぇかアル坊! カケスをろうかと思ってたところだ!」

 外から野太い声が返ってきた。

「いろいろあってさ! いまそっち行くよ!」

 アルルが部屋を出るのについていく。

 二階の階段正面の扉は、家の裏手の崖につながっていた。長さにして数パソ程度の小さな板の橋をわたると、野原と菜園と林。

 菜園の縁に、厚手の上っ張りを着た男がしゃがんでいた。



 でかい。

 右膝を押すように立ち上がった男を見て、ヨゾラが抱いた最初の印象。巨人だ。

 アルルの頭が肩に届いていない。前に会ったウーウィーも背が高かったけれど、こっちの方がぶ厚くて強そうだ。

 がっしりした腕、赤い顔、短く刈り込まれた太い白髪、同じ色の濃い眉にゴツゴツした主張の強い目鼻立ち。

 何かやったらにされそうだと小さな猫は思う。

 りょく灰色かいしょくの鋭い目が、ヨゾラを見て、アルルを見た。

「おはどっか行くたんびに変なモノを持って帰ってくるが、猫は初めてだなおい」

「これも、のうちだよ」

 答えたアルルは、黒髪、黒目、低い鼻に平坦な顔で、浅黒い肌。背もたいして高くない。

 色も大きさも全然ちがうじゃん。

「ねぇ、アルル?」

 ヨゾラが声を上げたら、巨人が目を細めてのぞき込んできた。

「ほーう? しゃべる猫かよ」

 うひっ。

 声に気圧けおされて、思わず頭を低くしてしまう。

「あの、アルルの……お父さん?」

 上目遣いにそう訊く。

「おう。ペブルだ」

 ペブルはなぜか鳥の巣を持っていた。その中に紐付きの銅貨が光る。

 よっこいしょ、とゆっくり巨人が腰をおろした。右足を投げ出すような座り方だった。

「で、チビすけ。おは?」

「チビすけじゃないぞ」

 言い返したら「あん?」と顔を寄せてきて、思わず尻尾が引っ込んだ。

「あ、あたしは……」

 間近で見るペブルの緑灰色の瞳。

 顔付きや声の印象とは裏腹に、色が深くて、静かで、見ているとだんだん落ち着いてくる。

「あたし、ヨゾラ。ちょっと前にアルルに会って、エレスク・ルーに行って、それから一緒なんだ」

 そう伝えると、ペブルの目が笑うのがわかった。

「ほほう。お前さんヨゾラってのか。なかなか綺麗な名前じゃねぇか」

「ほんと!?」

 褒められた!

「ねぇアルル聞いた!? 綺麗な名前だって!」

 アルルもいつの間にか座っていて、指で頬を掻いている。

「そんなに嬉しいのか?」

 ぶんぶんと首を縦に振った。

「アル坊、お前が付けたのか?」

「うん。名前をくれって頼まれてさ」

「はん、お前にしちゃ大胆だなおい」

「ドゥトーさんにもそう言われたよ」

 アルルはちょっと気まずそうにして、思い出したように続けた。

「そうだ、親父に痛み止めもらったんだよ。あと、頼まれてた鉛筆も買ってきた」

 、とヨゾラは思い出す。何なのか聞きそびれたままだった。

「アルル、えんぴつって?」

 そう訊くと、ペブルがにやりと笑うのが視界に入った。

「ちょうどいいチビすけ。おさんに挨拶がわりに見せてやろう、をな」

「おおげさ」

 アルルが宙に言葉を投げた。

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