第69歩: かえる

「あのねアルにい

 別れ際にフーヴィアが言った。細くて短い眉が下がって、いっそう幼く見えてくる。

「ファビねえが戻ってきたんだ」

 ヨゾラには誰だかわからないけれど、アルルは驚いた声を上げた。

「リンキネシュから!?」

「うん」

「遠いところを……あとでおばさんとこ顔だすよ」

 どんな顔で言ったか、鞄の上からでは見えない。困り顔のフーヴィアがふるふる首を振って、巻き毛が肩口をなでるのは見えた。

「しばらくやめた方がいいよ。母さん、やっぱりちょっと荒れてるから」

「そしたら、なおさらだ」

「うーん……。あした、明日にして。今夜、家族で話をするの。フラビーも今日中には着くって手紙で」

 困ったような顔をしても、フーヴィアはかたくなだった。アルルが軽くひと呼吸し、最後に言った。

「わかった。なにか頼みたいことがあったら、遠慮するなよ」



「ファビ姉に、フラビー?」

 真っ黒い後頭部へ問いかけると、アルルが小さく振り向いた。

「フーヴィアの二人のお姉ちゃんだよ。上からファビオラ、フラヴィア、フーヴィア」

「わかんなくなりそう」

「みんなたまに間違える。だからファビ姉、フラビー、フーヴィアって呼び分けてる」

「フービアはそのまんまなんだ」

フビッカちびフーってあだ名があるんだけどさ。昔それでケンカしてから俺は使ってない」

「ふーん。ねぇ、ファビ姉って帰ってきたら良くないの?」

「そんなことないよ。ただファビ姉は……いろいろあってさ」

 三叉路を左に入って歩いていく。隣と言う割には、意外と距離があった。

じゃわかんないよアルル」

 揺れる鞄の上からヨゾラは文句を言う。

「これはフーヴィアの家族の問題で、俺たちが好きに首を突っ込んでいい事じゃないんだ、って言ってわかるか?」

「わかんない。お父さんと、お母さんと、子どもの集まりを家族っていうのは知ってるよ? でも、なんでアルルが話をしたらいけないのさ?」

 ヨゾラの足下で揺れが止まった。アルルが足を止めたのだ。

「俺が、あそこの家族じゃないからだよ」

 それがわからないと言うのに。

「キミの言うって、あたしが知ってるのともしかして違う?」

「……うまく言えない。ファビ姉はさ、数年前に結婚してララカウァラを出たんだ」



 アルルの話は、こんな内容だった。

 旅回りの物売りと結婚して村を出たけれど、向こうの家族とうまく行かなくて戻ってきた。前にも同じ事があって、今回が二度目だという。それを、ファビ姉のお母さん──エカおばさんは、良く思っていないらしい。

 なんでそれが良くない事なのか、ヨゾラにはわからなかったけれど。

「おばさんがさ、せっかく良いところに嫁いだのに、って前に言ってた。俺は、ファビ姉が辛いんだったら、無理して欲しくはないんだけど……」

 そう言うアルルもちょっと苦しそうだった。

「俺があれこれ言っても、それでエカおばさんやファビ姉が嫌な思いしたら意味ないし、俺の考えが正しいかもわからないし、で、何も言えない」

「言ったら、ダメなの?」

「もし、俺も本当に家族だったら……ああ、話が戻っちまった。この話、めにしないか」

 アルルがなんだか困っている。

「……わかったよ。家族って大変なんだね」

「うん。だから、いろいろあるんだとしか、俺も言えない」

 ヨゾラの足下がまた、規則的に揺れ出した。


「俺の親父も魔法使いだってのは、言ったっけ?」

「ううん。でも、ドゥトーやギデとそんな話をしてたね」

「そういえばそうか。で、親父は『不思議なものたち』について詳しい。お前が何者か知ってるかもしれない。だから、お前については全部話すつもりでいるけど、いいか?」

 さくさくと杖をつきながらアルルが進んでいく。

「いいよ。でも、あたしがかって、そんなに大事かなぁ?」

 アルルはうーんと唸って、少し考えた。

「お前にそう言われちまうと、わかんなくなるな。知りたくないか?」

「あんまり。だって、キミが名前をくれて、あたしはヨゾラになっただろ? それでけっこうわたしは満足してるんだよ?」

 ヨゾラがそう返すと、アルルは「ふむ」と声を出してから続けた。

「そういえば、どうして俺だったんだ? 俺が初めて会ったヒトってわけじゃないんだろ? 他のヒトから名前をもらおうとはしなかったのか?」

「うーん、それも直感かなぁ。なんか、ピリっと来たんだ、河で助けてもらったときにさ。たぶんこのヒトだって」

「ピリっとねぇ」

 アルルが頭の後ろをかいた。ちょうどヨゾラの目の前で浅黒い手がコリコリと動いている。 

「それよりもアルルんのこと教えてよ。誰がいるのか、とか」 

 手が引っ込んだ。

「うちにいるのは、親父と、俺と、親父の使い魔。あと、いろんなたちが出入りしてるよ。で──」

 林が途切れて、一軒の古びた石積みの家が見えた。

「あれが俺んち」



 ちょっとした高さの崖。家はその崖を背にして建っていた。この村には珍しい、二階のある家だ。

 崖からはと水が流れ落ち、家の脇を水路になって流れていた。その水路の岩の上に、大きくて黄緑色の、つやつやな塊が見えた。

「ただいま、ホップ」

 アルルの声に、塊がのそのそ振り返る。

 白いお腹、折り畳まれた太い後ろ脚。指の長い前足。体の脇を通る黒筋の模様が黒い目に繋がり、アルルを見下ろしている。

 大きさを別にすれば、蛙だった。喉元がアルルの頭と同じ高さにあった。それが膨らんで声がした。

「お帰りなさいませ。坊ちゃん」

 ヘンな蛙によくあうな、とヨゾラは思う。


 あと、ぼっちゃんってなんだ?

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