アルルんち

第68歩: 下唇を噛めない

 ここが、アルルの生まれた所か。


 魔法使いの足元をついて歩きながら、ヨゾラはきょろきょろ見回した。

 ララカウァラという村は大きく二つに分けられる。

 畑と、家だ。

 畑のうねと寝そべる葉に覆われて、ヨゾラの目にはときどき鉄色のカナブンやら、宙を舞う綿毛の球やらがえた。

「いろんなのがいるね」

「カナブンみたいな奴と、綿毛の球みたいな奴だろ?」

 アルルが即答してきた。

えるの?」

「いいや、カンだよ。ムギワタとテツコガネ、畑によくいるやつらなんだ。テツコガネがいる畑は水はけのいい、良い畑になるんだって」

 アルルがそう教えてくれる。

「ほんと、よく知ってるよね」

うち玄人くろうとがいるもんで」

 畑の奥の方では、男女入り混じって柄杓から何かを撒いている。

「あれは、何やってるの?」

たいいてる。あれやらないと、あまり麦が育たないんだ」

 そこまでアルルが話した所で、畑の中の男がこちらに気がつき声を上げた。

「おーや、ペブさんとこのペブルビク! 帰ったかよう!」

「ハッカネンさんこんにちはー! さっき戻りました! ムギワタが飛んでるみたいです、きっと頑丈な穂がでますよ!」

「ほーう! そりゃ楽しみだ! また街の話でも聞かせてくれや!」

 大きな声でやりとりしあう。アルルの声はずいぶん弾んで聞こえた。


 他の畑であったり、家の軒先だったりで似たようなやりとりを繰り返し、アルルは歩いていく。エレスク・ルーでもそうだったけれど、みんな色が白く、アルルより背の高い人が多い。

 最後に会った人だけが、アルルよりちょっと背が低かった。肩までの赤毛の先が、くるりと巻き上がった人だった。

「フーヴィア!」

 アルルの声に振り返った女の人はふっくらしていて、思ったより幼い顔立ちで、アルルよりいくつか年下に見えた。

 白ブラウスの上に黒い胴衣を朱紐で留めて、朱と黒の長いスカートに若草色のエプロンと、北半島こっちに来てからよく見る服装をしていた。

「アルにい! 帰ったんだ?」

 そしてその胸に、赤ん坊をひとり抱っこしていた。

  



「フービア」

 アルルの腕の上で、ヨゾラが発音する。

 のやり方をよく見せようと抱き上げたのだが、

「ちがう。ヴィア。フーア。こう、歯でちょっと下唇噛んで、ア。やってみ?」

「……この歯で?」

 ヨゾラが口をあけて見せた。目立つ牙とひどく細かな前歯に、なるほど、とアルルは思う。

「アル兄、ほんとにその……ヨゾラって子、大丈夫なの?」

 肩掛けの抱っこ布に収めた赤ん坊を、両手で庇うようにしてフーヴィアが眉根をよせた。赤ん坊はと言えば、初めて見る黒猫をじっと見たまま固まっている。

「大丈夫だよ。俺から見ても珍しい奴だけど、悪い奴じゃない」

「そうそう。ヒトとは仲良くすることにしてるよ」

 ヨゾラが同調するが、フーヴィアはいまいち安心できないようだった。

「それならいいけど……ほらぁ、黒猫は子供をさらうって言うから」

黒猫あいつらって、そうなの?」

 当の黒猫が驚き、それに母親が戸惑い、それらを魔法使いがさえぎった。

「そりゃ迷信だ。魔法使いがさんざん調べて、そういうはいないって事になった」


 村を南北に通る太い道から二人は右に曲がる。

 道沿いや、畑の合間にぽつんぽつんと建つ家は、エレスク・ルーやオーメとは違って木造の平屋ばかり。そしてどの家からもたいてい豚の鳴き声が聞こえ、薄い煙が煙突から立ち上っていた。


「グーちゃん、ちょっと見ない間に髪の毛がずいぶん生えたんだな」

 赤ん坊を覗き込んでアルルが言う。

「目もいつの間にかぱっちりしたし、お前そっくりになってきた」

 すると、幼なじみが柔らかく笑った。

「でしょ? でもねー、鼻はエルクと一緒なの。女の子なのにやーよねー」

 と赤ん坊の頬をつつく。

「どういうこと?」

 腕の上の猫が見上げてきた。

「ほら、言わなかったっけ? 親子は普通似るもんだって。よく見ればわかるよ。目のあたりがそっくりだ」

「そう?」

 しゃべる猫にしげしげと見つめられて、フーヴィアが居心地わるそうに目を瞬かせる。ヨゾラはお構いなしに感想を述べた。

「言われてみれば……おんなじ並び方してるね」

「ならびかた」

 若者二人の声が揃った。



 道は林にさしかかる。

「そういえば、エルクの奴は?」

「カヌスの叔父さんとこ。この子の服とかいろいろ、また借りてきてくれるって」

「なんだ、あいつカヌス行ってるのか。すれ違わなかったなぁ」

 アルルも今朝カヌスを出発したのだ。一本道なので、会わないはずはなかった。

「エルクだもの。また道草してトウマツでも採ってるんじゃないかな」

「やりそうだ。帰りは?」

「明日。だから私も母さんの所で泊まろうと思って。アル兄はどうだった? 南半島行ったんでしょ?」

 フーヴィアの抱っこ布の中で、赤ん坊はいつの間にか寝始めている。

「いろいろ大変だったよ。こいつに会ったりとかな」

 黒猫に前足ではたかれた。

「ヨゾラだぞ」

「わかったわかった。ヨゾラに会ったりとか、あっちの春分祭みたりとかしたよ。エレスク・ルーって町でさ、面白い太鼓やるんだぜ? 二十人ぐらいで、二本ばちなんだけど持ち方が変わってるんだ。こう、こう──」

 身振りで説明しようとするものの、杖と猫で両手がふさがっている。

「ヨゾラちょっと降りろ」

「やだよ疲れた──おおおっ?」

 ヨゾラを背中の鞄にやって、またアルルは話しはじめた。

「こういう感じに構えて打つんだけど、左が逆手なんだ。そうすると、左ばちが下向くだろ? 左が大地で右が空を指すって言うんだよ。ああそうだ、太鼓も斜め掛けでさ、それを膝で持ち上げて打つんだ。それに町中の人がついて行くんだよ。酒を飲んだり、露天の菓子を食べたりしながらさ。その中に師匠メストリって呼ばれてる面白い男の子がいたんだ。太っちょで足とか遅そうなのにめちゃくちゃ踊るの上手くて、みんなで真似したりした。もう暑くて暑くて。楽隊に一人女の子がいたんだけど、その子が夜の花火を……」

「アル兄、アル兄」

「なんだよ?」

 フーヴィアが困ったように笑っている。

「ごめんね。着いた」

 林の三叉路を指し示して、なりたての母親がそう言った。

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