第67歩: ただいまララカウァラ

 北半島、三月マーソの二十七日。

 船を降り、ラコッコの港からだらだら続く平原を歩いてカヌスに泊まった翌日。天気は曇り。


 針みたいな葉っぱの樹の、細長い若枝に生えたぷっくりとした芽。それをアルルがと摘んで口の中に放り込んだ。

 ララカウァラへ続く、森を突っ切る道での事だった。


「なにそれ?」

 ヨゾラが訊くと、アルルが急にニヤニヤする。

「トウマツの新芽だ。喰うか?」

「なんかヤだ」

 だってニヤニヤしてる。

「甘くて酸っぱくておいしいけどなぁ」

 断るのが理解できない、そんな顔をしながらアルルがもうひとつまみ口に放り込んだ。

 


「なにが甘くて酸っぱいだっ!」

 爆笑するアルルの腰まで飛び上がって、ヨゾラはそのお腹を後ろ脚で蹴った。アルルは軽く「いてっ」と言ってまだ笑う。

 アゴの関節あたりはまだジンジンして、口の中に唾があふれてくる。

 ヨゾラも少しは怪しんだのだ。なんかヤだなと思ったし、実際そう言った。

 それでもしきりに勧めてくるし、そういう味にも興味はあったし、迷ってる間にもアルルはぷちぷちと新芽を取っては食べているし。

 じゃあちょっとだけ、と口に含み、奥の牙でつぶして飲み込むとほんのりと甘くて、信じられないほど酸っぱかった。

 音にするなら、ちゅん! だ。頭がちゅん! とするほど酸っぱかった。

 毛は逆立ち、顔は真ん中に向けてひきつり、舌を出して前足でこすってもまだ酸っぱく、アルルは爆笑している。

 だから蹴った。おかえしだ。

 アルルは笑いながら残りの新芽を口に放り込み、今度は顔をくしゃっとさせた。

 それを見てるとまた口の中に唾がでてくる。

「さっきまで、キミも酸っぱいのがまんしてただろ?」

 わざわざ顔が見えるところまで離れてから、アルルを上目ににらんでやった。

「まあな」

 と、魔法使いがぺたんこ鼻をしごく。 

「そんなに怒るなよ。トウマツの新芽はこの辺でしか食えないんだぜ?」

「しらないよ」

 唾ごと言葉を吐き捨てた。雨上がりの草より濃い匂いがした。

「こんな酸っぱいのの何がいいのさ。クチの中ヘンな匂いするし」

「それがいいんだ。ようこそララカウァラへ、ってさ」

 言いながらアルルが前を、ヨゾラにとっては背後を指差した。

 指した先に古びた道しるべが立っている。左右の端を三角に削った板に文字が彫ってあり

「カ、ヌ、ス?」

「その次の字」

「ラ、ラ、カ、ウァ、ラー」

 読み上げたヨゾラに、アルルが頷いた。

「この森を抜けたらもうすぐだ。まずは帰って、この重い荷物を早く降ろしたいよ」

 明るい声だった。

 二足立ちでヨゾラが伸び上がると、伸びかけの下草や薄い苔の向こうに森の終わりが見えた。


 ざ……ぁぁぁぁあぁあ


 背後から葉ずれの音が近づいてくる。

 直後、花帽子にまつみのの小人たちがひゅっと駆け抜けて行く。

 もりし。

 ぱっ!

「ヨゾラ?」

 黒猫は土を蹴って追いかける。

 風に先んじるもりしだ、足は速い。しかしヨゾラも負けてはいない。

 もりしたちは木々の枝を渡り、岩や朽ち木を飛び越え、細かな枯れ葉を細い脚で巻き上げて行く。

 追いかけたのは、興味からだ。


 もりしが森の外にでたらどうなるんだろう。

 

 風の音が後ろから追ってくる。ぐんぐんと森の出口が近づく。視界が開けてその瞬間がやってくる。

 森から草原くさはらもりしが身を踊らせる。注目するヨゾラの視界の中で、その花帽子から背中の松葉蓑へと亀裂が走り、ぱっくり割れた。

 一瞬の事だった。

 割れ目から白い綿帽子がのぞく。もえの小鬼が踊り出す。

 ひらひら舞い落ちるもりしだった表皮と、ギョッとしてすっ転んだ黒猫。それらを置いて、くさしが駆け去る。

「えぇぇぇぇー……」

 次いで、風がヨゾラを追い抜いて行った。




「どうしたんだよ、急に走り出したりして?」

 森を抜けてアルルが見たのは、呆然とする黒猫だ。

「森走しが森をでたらどうなるか、見ちゃった……」

「詳しく!」

 そんな話、聞きたいに決まっている。


くさしがでてくるのか!」

 アルルはしゃがみこんでヨゾラの顔を覗き込んだ。

「じゃあ、もりしのがその辺に落ちてたりするのか?」

「あるよ。これとか」

 ヨゾラが前足で見えない何かをつついている。

「そうか、ぬけがらは置いていくんだな。へえぇ」

 言いながら、アルルはヨゾラのつついたあたりに手を伸ばした。手は土に触れただけだった。

 見えなければ、触れないのだ。

「アルルさぁ、が見えないのに、なんでそんなに好きなの?」

「なんでっていわれてもなぁ。面白いじゃないか。見えないのに、ちゃんと居るんだぜ?」

「それは……ちょっとわかる」

「だろ?」

 満足してアルルは立ち上がった。

「なんだか、とても久しぶりに帰ってきた気がするよ」

 だらりと続く道の向こうに「端っこの家」と皆が呼ぶ家の柵が見えた。柵の中では老いた二頭のロバが草を食んでいる。アードンさんのロバだ。

 この二週間の間に雪もすっかり溶けて、冬を越した草の芽が土をまばらに彩っている。五月にもなれば膝まで埋めるほど伸びるだろう。

 幼い頃から見慣れた光景に、アルルはひとつ息をついた。


 ただいまララカウァラ。

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