第63歩: 地図とハンコと時計

 ぎん!

 どっぎん!


 時折、何かをぶったたく音が響く。

 ギデとお別れした翌日の午後、ぬかるむ道をたどって到着した、サンドホルム港の乗船券売り場。

 その壁に大きな絵がかかっていた。

 その絵の、下の方を指差してアルルが言う。


「ここが、エレスク・ルー」

「へぇ! ちっさいね!」

「こうして見るとな。大きな町だったよ、あそこは」


 魔法使いの背負い鞄にのり、ヨゾラはその絵をしげしげ眺める。


 これが、地図か。


 左上から右下へ伸びる陸地が南半島。

 窮屈そうな海を挟んで、上に描いてあるのが北半島。二つの陸地は地図の左の方でつながって、魚が「ぐいっ」と身をよじったようにも見える。北が頭で、南が尾だ。


 売り場の中では、

「四十二番! 四十二番、いないか!?」

「おう、いるぞ!」

 というやりとりが飛び交っている。番号札の順で手続きなのだそうだ。番号が呼ばれた後には、どっぎん! とぶったたく音が立つ。

 アルルは四十八番をもらっていた。


 講釈は続く。

「それで、このうねうねしたのが河。これを舟で北へ下って、この辺がウァナアスかな。お前が溺れたあたり」

「ヤなこと言うなぁ」

「溺れて拾う猫もあり、ってな」

「意味わかんないけど、どっちもあたしだよねそれ」

 アルルの指が地図を上へとたどっていく。

「言わないんだな、『あたしは猫じゃない』って」

「いちいち言うのもめんどくさいじゃん」

 ふーん、とアルルの指が海沿いの町を指した。

「これがオーメ。今いるのが、これかな。サンドホルム港」

 指さすあたりには、船の絵が描いてある。

 家だとか、建物が描いてある所が町。町と町を結ぶ線が道。緑色が陸地。山は山。波の絵で埋まっているのは海。ヨゾラにもだんだんわかってきた。


「ね。あの左上に描いてある大きな街は?」

「あれがウ・ルーだ。北半島第二の都市。薫製うまいぞ」

「赤身の燻したやつ、だったっけ? 覚えてるよ。じゃ、今度は右下の大きいやつ」

 南半島、魚の尾の付け根あたりにひときわ大きく描かれた街があった。

「クホームオルム。南半島のみやこ、大きな灯台があるって聞いたな」

「何が美味しいの?」

「行ったこと無くてわからん」

「アルルにも行ったことない所あるんだね」

「そりゃ、あるさ」

「じゃ、楽しみにしとこう。その上は? 海の反対側」

 アルルが答えるのに間を置いた。それにかぶさって四十三番が呼ばれた。

「北半島の都、リンキネシュ」

「行ったことある?」

 ──おるぞ! おるぞ! と四十三番が応じている。

「リンキネシュは、通り過ぎただけだな。すぐ近くに小さい島がたくさんあるだろ?」

「ん……? あ、この島なんだ」

「そう。その一つがクロサァリ」

「あ」

 ヨゾラが声をあげると、アルルは軽く笑みを浮かべた。

「クロサァリ学院!」

 魔法使いの登録証にあった名前だ。

「正解。クロサァリには一年だけ住んでたよ」

「へぇえ。どんな事してたの?」

「勉強だ。勉強、勉強、また勉強。魔法陣の読み書き、儀式の手順、歴史に帝国古語リンガンチーガ東方諸国語リンガデレステ、『不思議なものたち』について、薬学、博物学、などなど」

「あれ? フィジコは?」

 アルルの魔法が挙がっていない。

「フィジコが使える先生はいなくってさ。結局自分で研究してた」

 青年魔法使いの、心底残念そうなため息。

「じゃ、アルルが先生やったらいいじゃん」

 ヨゾラの思いつきにも、アルルはあんまり良い顏をしなかった。

「教える相手がいればね。フィジコの素養がある人って少なくってさ。ドゥトーさんわく『珍種』ってやつだ」

「ふーん」

 アルルみたいなヒトも少ないのか。

 

「ね、アルルんは?」

「載ってない。っさな村だから」

 自嘲ぎみにアルルは言うのだが、ヨゾラはそういうことが聞きたいのではない。

「でも、場所ぐらいわかるんでしょ? ウァナアスだって描いてなかったじゃないか」

「そりゃまあ」

 と言って、アルルは精一杯をした。

「これが、ラコッコ。北半島の港。で」

 つま先立ちのまま、左へ数歩ずれる。

「道沿いに……北西に、行くと……!」

 必死に腕をのばして、それでも少し届かない。ぐ、く、く、とアルルの喉から変な音が漏れ始めていた。

「杖使えば?」

 どん。

 アルルが急に背伸びをやめた。ヨゾラは身体がヒュっとなった。鞄の中身がガランと鳴った。

 無言でアルルは、いつもの杖で地図を指した。

「ララカウァラこのへん」

「なに怒ってるのさ?」

「地図をこんな高いところに張った奴の気のきかなさに憤ってるだけだ」

 いきどおる。ヨゾラも意味は察した。

 あたしに比べればずっと大きいし、便利な手だってあるのに何を気にしてるんだろ、と思う。

「南は山がたくさん描いてあるけど、アルルん家のほうはあんまりないね。穴ぼこがたくさん描いてあるのは何?」

 話を変えてやった。アルルも本当に怒っていたわけではないようで、ごく普通に教えてくれた。

「穴じゃないよ、これは湖。湖は知ってるか?」

「名前だけ。行ったことない」

「じゃ、帰ったら行ってみるか」

「おおー!」

 ヨゾラの歓声に重ねて四十八番が呼ばれ、

「おう、いるぞ!」

 とヨゾラが返した。



 まずはお決まりのやり取り。

「しゃべる、猫?」

「魔法使いと連れだよ。気にしないでくれ」

 そして木組み格子の向こうから男は

「じゃ、名前、出身、書類、ね」

 とぶっきらぼうに言った。

 なんだろう、嫌われてるのかな。

 ヨゾラは背負い鞄の上から肩越しに男を覗き込む。

 年かさで左右の頬が下に垂れ、それに引っ張られて目尻も下に垂れている男だった。

 魔法使いの登録証と、南半島に来たときの渡航許可書。アルルの渡した二枚の紙を、舐めるように垂れ男は読む。

「ララカウァラ、ね。こっちに何しに来てたの?」

 アルルはアルルで、そっけなく返した。

「商売さ」

「商売、ね」

 垂れ男は「ね」を強調しながら、手元の紙束の一番下に鉄ペンを走らせていく。

「一応、聞くけど、ね」

 垂れ男は手を止めた。

「ララカウァラは、地元なの? ほんとに」

 アルルが大きくため息をついた。

「姓を見ればわかるだろ。それとも南部系が北半島に産まれちゃまずい事でも?」

 ララカウァラは地名姓だ。魔法使いの登録証をつくる時に付けたのだとアルルは言っていた。

「マズくは、ないが、ね。本当かなと思って、ね」

 垂れ男は手元に長方形の分厚いザラ紙を引き寄せ、また何かを書き入れると、デコボコとした鉄の判子をあてて木槌でぶっ叩いた。

 ドギん!

 びくん! 大きな音にヨゾラが身をすくめる。

 ザラ紙には、くっきりと判子の跡がついていた。

「じゃ、気をつけて、ね」

 全部で三枚の紙を木格子の向こうから差し返して、垂れ男は手をひらひらと振る。その三枚をさっさとコートにしまってアルルは列から離れると

「全くめんどくせぇ」

 といつもよりは乱暴な口調で呟いた。




 ちらりと壁の振り子時計をみる。

 そして手元の乗船券をみる。

 時計の文字盤を模して二本の線が引かれているのだが、

「これ、どっちがどっちだ?」

 同じような長さで、どちらが「オラス」でどちらが「ミヌトス」なのかわかりづらい。

 そもそも、まだまだ時計には馴染みが薄い。

「それ、時計の絵?」

 頭のすぐ脇でヨゾラの声がした。

「そうだよ、よく知ってるな」

「へっへー」

 黒猫が得意げだ。

「船が出る時刻が描いてあるんだけどさ、時計ってのはいまいちピンと来ないんだよな」

 乗船券を目の高さにあげ、アルルは壁掛け時計と見比べる。ちらほらと同じ事をしている人が売場に見受けられた。

 学院時代の講義も時間で区切られていたが、時計を気にする学生はまずいなかった。講義そのものが時計替わりだったのだ。

「ええと、一刻と十五分って結局どれぐらいだ?」

 立てた杖に顎をのせてぼやくと

「四千五百かぞえたぐらい。数える?」

 ヨゾラから助け船がでた。七十五かける六十。

「任せるよ。とにかく船着き場へは行っとこう。乗り遅れたら銀貨十五枚が紙くずだ」

 言いながら薄曇りの屋外へ出たところでヨゾラが

「いち」

 と言った。

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