第64歩: 数える猫

 にぃ、さん、よん、ご。


 小声でヨゾラが数えている。軽い気持ちで「任せる」とアルルは言ったのだが、本当にやるとは思っていなかった。

 三百を超えた辺りで停泊する船が見えてきた。

 六百に近づいた辺りで、船着き場の様子が見えてきた。

 大きさに違いはあれどほとんどが貨客帆船。林立する帆柱をぬって、渡りを終えたばかりのウミネコが騒がしく飛び回っている。

 

「ななひゃくじゅうろく」


 飽きもせず、ヨゾラはまだ数えている。背負い鞄の上なので様子はわからないが、重さも声も移動するのであれこれ見てはいるのだろう。

 石積みの岸壁は貨物と人の流れが入り乱れていた。来た船と行く船、出逢う人と別れる人。半島人も東部系も、少ないけれど南部系の姿もある。立ち並ぶ商売小屋の数々。船を降りて一杯やってる水夫たち。旅行者や船乗り相手の地図屋、修理屋に本屋まであった。


「兄さん、船待ちかい? 人待ちかい? 北から松葉糖が入ってんだ、一杯どうよ?」

 通りに面した幅広の木窓から顔を出して、茶店の親父が呼び込んできた。

「悪いね、今からその北に帰るんだ」

「ほぇぁ、北半島の人かいあんた?」

 軽く笑ってアルルは答える。

「よく言われるよ。ユリエスカ郡の産まれだ」

 親父は大げさに驚いてみせた。

「なーんだよ、松葉糖の本場じゃないの」

「ウチの名産をまいどごひいに」

 言いながらアルルは小屋を通り過ぎる。

「せんご」

 とヨゾラが数えた。四千五百まで数えたらやめるだろうか。それとも、このまま永遠に続けたりするんだろうか。

 見てみたいような、やめてほしいような。


 半島往還船は六番突堤とっていなのだが、その手前、四番突堤に風変わりな船が泊まっていた。

 ひときわ大きな船なのに、帆柱が無いのだ。

 貨客ともども降ろし終わったようで、甲板からの渡り板を行く人はもう無い。しかし突堤の先端には十数名の人が集まっていた。

 ヨゾラは千三百を数えた。見に行く時間の余裕はある。

「よく飽きずに数えられるな」

 アルルが頭の後ろへ声をかけると、得意げな

「せんさんびゃくじゅうよん」

 が帰ってきた。続けて何かを問いかけてくる。

「せんさんびゃくじゅうご?」

「わかるか」

 船の横腹を眺めつつ突堤を前へすすむ。船体の装飾にもかなり手がかかっているように見えた。

「帆柱もない、かいもない船なんて聞いたことないし、どんなのかちょっと見てみたいんだ」

「せんさんびゃくにじゅうななぁ」

 納得したようだった。

 

 船体の脇から船首を越えて、金属の平棒ひらぼうが伸びている。潮風にも雨風にも晒されるだろうに黒ずみもせず、錆びもせず、青みがかった銀色の光沢を保っていた。

 アルルの知る限り、そんな金属は一つしかない。

 アラモント鋼じゃないか!


 先月、冬のなかにひとつまみのアラモントを精製するのに魔法使いと使い魔との三交代で一日半かかった。そのひとつまみを混ぜ込んだ八本の墨を売って金貨八枚。農村ララカウァラならどうにか一年しのげる金額でもある。

 この太いアラモント鋼の棒でいくらしたんだろう、と思ったら、なんと同じ棒がもう一本据え付けられていた。

 ちょうど、馬車のながえのように船の両脇から伸びる頑強な二本の鋼。とにかく、とんでもなく金のかかっている船と言うことはわかった。

 突堤の端に着く。

「せんよんひゃく」

「こんにちは。何か面白いものでも見えるんですか?」

 アルルは近くにいた母子連れに尋ねた。

「あら、こんにちは」

「せんよんひゃくなな」

 母親が発した挨拶には数字でヨゾラが返した。



「魔法使いさんでも知らないことがあるのねぇ」

 と母親は驚いたように言い、抱っこした子がヨゾラをつかもうとするのを器用にさばく。

 猫が喋るのは納得してもらえても、猫が数えているのを説明するのは少しだけ骨が折れた。

「これは、かいりゅうせんっていう船ですよ。私のお爺さんが産まれるよりも昔から湾を巡ってるんですって。南部のかたには、馴染みが薄いでしょうけど」

 巻き毛の、若い母親だった。 

「話には聞いたことあったんですけどね。実物は俺も初めてで」

 南部云々は訂正せずにおいた。有名な船なのに思い至らなかったのがすこし恥ずかしい。海竜船は北半島の、ウ・ルーの船なのだ。

 ただ、ここに集まった人々の目当ては船ではなく、海竜のエサやりの方だという。

 アルルの知る限り海竜は目に見えないだったはずで、ここの人たちはみんなえるのだろうかと思う。


 せんろっぴゃくに。


 もう、ヨゾラはまともに口をきくことが無いんじゃないかと思う。


 突堤の縁に壮年の男が一人と、樽が一つ。その足下には野良猫の、頭上にはウミネコの一団があった。

「せんろっぴゃくにじゅう?」

「エサって言うぐらいだし、食べ物だろ」

 問いかけにはカンで答えた。樽の中身は肉か魚か。見れば、男の足下に丸い香炉が一つ紫煙をあげている。

 香炉から流れてくる匂いは、アルルも嗅いだ事のあるものだった。食欲をそそる、薫製の匂い。

 男は樽のたがに下からタガノミをあてがい、周りながらつちで打っていく。

 まずは、一番上からだ。


 こん、がつ、こん、がつ

 こん、がつ、こん、がつ


 集まった十数人からどよめきが聞こえた。見れば、突堤の先で海のうねっている。

 最初のたがが外れると、そのうねりがぼんやりとなにかの形になってきた。


「海竜さん、かいりゅうさんよぉ」


 男は二番目の箍に取りかかり、唸るように唄っている。うねりはいよいよ輪郭をはっきりと示し始める。


「おいでませいな海竜さんよぉ」


 見物人が海をみようと突堤の縁による。

 停泊している船に負けず劣らずの大きさで、目の前の海面がうねっていた。

 アルルは魔力視を開く。に重なって、涙滴形に固まった魔力がえた。そこから、ヒレのような手足のような棒状の塊も見える。

 魔力だけでこんなに形がはっきりみえるのか。

「せんはっぴゃくかめ……!」

 鞄の上でヨゾラも息をのんだ。

 いま、亀って言ったか?

 アルルの引っかかりをよそに、男の唄は続いている。

「小さな湾をぐるぐるとぉ、お船を引いてぐるぐるとぉ」

 魔力に流れができている。あの男も、魔法使いか。

 樽の蓋が外れた。ウミネコが一斉に飛び込んでくるのを男は器用に蓋で追い払うと、

「せめて飯にはウマいものぉ」

 と、足下から大きな柄杓を持って、樽の中身を海に撒いた。

 魚の薫製だった。赤身の、つるっとしたやつだ。

 ウミネコが海面へ降りるより早く、が逆巻いて薫製を飲み込んでいく。

「たらふく喰って寝床にもぐるぅ、明日も朝からぐるぐるとぉ」

 見せ物として意識しているのか、自分の楽しみのためか、男は薫製を撒く場所を適当に変えては、うねりが走るのを眺めていた。不自然なことに、これだけ海がうねっているのに波は立たないのだ。

 男はときおり小さいのを突堤に投げ、猫とウミネコに取りあわせている。

「にせんに!」

 ヨゾラが鞄から飛び降りて、薫製の争奪戦に飛び込んでいった。



 隣の隣の六番突堤では、往還船が帆を開き終えたところだった。

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