みっつめ。いろいろあるよねララカウァラ
意外と遠いララカウァラ
第61歩: シロハナスノキ
「あった」
と突然アルルが言うので、
「なにが?」
とヨゾラは聞き返した。
初めて船に乗った感慨も薄れ始めた頃。つまり、南半島から北半島へ渡って翌日の午後だった。
ヨゾラはヒトではない。
黒猫、それも小さな猫の身体からすれば、いつだってアルルの顔は高いところにある。腰だの腕だのに邪魔されて、顔が見えない事もしばしばだった。
だから背中の鞄に乗せてほしいんだけどな、とヨゾラは思う。
「シロハナスノキの花だよ。ハルに似てる花」
答えるアルルは、魔法使いの青年だ。
熱、光、力、そのいずれかに魔力を変換する「フィジコ」と呼ばれる魔法を使う。
「どれ?」
とヨゾラが訊けば
「これ」
とアルルは手近な茂みの枝をつまんで低く
「へぇえ……。こいつか、ハルくんの花」
鼻先を花に触れんばかりにしてヨゾラが言う。
五つの小さな、淡い紅色の花。それがきっちり並んでぶら下がっている。生き物がしっぽでぶら下がっていると思えば、確かにハルに、
熱心に花を覗き込む黒猫の背中は、陽の光で藍や紫に
「なにさ?」
ヨゾラが軽くにらんでくる。
「いいや、なんでも。シロハナスノキは、夏ごろに黒っぽい実がなるよ。そしたらジャム作りだ。食べてみたいだろ?」
「たべたい!」
瞳をいっぱいに開いてヨゾラが声をあげる。
「そう言うと思ったよ。今年は寒かったから
そう言ってアルルは枝から手を離し、イチイの杖を握り直すとまた歩き始めた。
「あまかぶら?」
足元からヨゾラの質問。
「白くて甘い野菜。つぶして煮詰めて砂糖をとるんだ。砂糖は知ってるか?」
「知ってる。
ひたすらに広がる野原。ところどころに残る雪。それを突っ切ってだらだらと続く道。思い出したように現れる松や白樺の森。
視界の上半分は空で、空の半分は
さらさらさら……とかすかな足音をたて、背後から、小さなものたちの群れが、ヨゾラのすぐ脇を追い越して行った。
さぁぁぁぁあああぁぁあ……
ひやりと風が抜けて、伸びかけの草を揺らして去っていく。
「『
ぼさぼさに煽られた黒髪を、後ろに撫でつけながらアルルが言う。ああいうのが見えないはずなのに、この魔法使いは妙に詳しいのだ。
「くさばし」
ヨゾラは、さっきみたものの名を繰り返す。
「風より先に草がゆれたら、『
アルルが見下ろしてくる。
「どうだった?」
ここまでの道のりで、このやり取りも慣れてきた。
「あんまりおいしそうじゃなかったよ」
「喰う前提で
「えっと、黄緑色の、あたしよりも小っちゃいヒトみたいな形なんだけど、鼻がとんがっててね──」
と、見たものを説明するのを、アルルはふんふんと頷いて聞く。
よろこんで聞いてくれるから、ヨゾラも悪い気はしない。
春分を過ぎてもまだまだ冷え込む、北半島の風に押されてヨゾラはアルルと歩いていく。
「明日には着くよ」
ララカウァラまでの道のりを訊いたら、そう答えが返ってきた。
そこまで遠かない、なんて言ってたクセになんだよ。けっこう遠いんじゃないか。
アルルの足元を四つ足でついて行きながら、ヨゾラは鼻息を吹いた。
アルルはと言えば、杖をまじえてスタとんスタスタとんスタスタ──と繰り返している。
北半島の港、ラコッコに着いたのが今朝。そこから歩いて歩いて、お昼に少しビスケットを食べて、また歩いて歩いて。しばらくぶりに足をとめたのがさっきの「あった」だ。
だらだらとした道は途中で二股に別れて、アルルは右の方に入っていった。
南半島はどちらを見てもだいたい山だった。ここはどっちを見てもだいたい平たい。
まばらな森を抜け、小さな橋を渡ったあたりで建物の影がぼんやりと見えてきた。
「ねぇアルル。あれがそう?」
いいかげん疲れた脚を運びながら、ヨゾラはそう願う。
「ララカウァラに着くのは明日だってば。あれはカヌスって隣町。あそこに着いたら今日はおしまい。だから、がんばれ」
全く歩調を緩めずにアルルが言う。
「乗せろ」と言えば、背負い鞄に乗せてくれそうな気もしたけれど、それだとなんだか負けてる気がしてヨゾラは、
「へーぃい!」
とむくれた返事をした。
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