第60歩: 元気でね。げんきだよ。
ドゥトーの家につく頃にはだいぶ明るくなっていた。
アルルがトカゲの
ドゥトーにラガルト、ギデ、ウーウィーとハルとピファ。皆、揃って待っていてくれた。
ドゥトーがゆっくり、そしてはっきりと口にした。
「アルル君、嬢ちゃん、おはよう」
アルルとヨゾラが返す。
「おはようございます」
「ドゥトーおはよ」
ほんの一瞬の沈黙の後、ドゥトーがひとつ提案をした。
「ギデの所の舟屋さんが、ちょうど舟を出すそうでな。良かったら乗っていかんかね?」
その話をアルルは最初断ったが、
「おれの受け持ちの便に少し隙間ができただけす。遠慮することないすよ」
というギデの勧めを素直に受け取った。
三番橋より少し下流の舟着き場に、木箱やらで満載の幅広の舟が横付けされて、たぷん、たぷんと音を立てている。舳先の方に、ひとり男が座って待っている。後ろの方には、天井の低い小屋のような場所もある。
「じゃあこれで。ですかね」
アルルが振り返った。
「お見送り、ありがとうございます。舟、とても助かります。いろいろお世話になりました」
そう言って頭をさげる。
「なんの。儂らの方こそ、お前さん方には助けられたわ」
にぃっ、と笑ってドゥトーはそう言うと
「あと、これをペブルに渡してやってくれんか?」
と、隣のウーウィーを促した。ウーウィーの手に、ワラにくるまれた白い小瓶が収まっていた。
「これは?」
と受け取りながらアルルがドゥトーへ訊く。
「特製の痛み止めだよ。効くぞ? あのノッポに、痛みが我慢できない時は飲めと伝えてくれ。本当はアルル君が来た時に渡したかったのだが、仕上がらなくての」
「それで春分祭まで滞在しろと言ったんですか?」
「ま、半分はな」
もう半分はなんだろう、とヨゾラは思った。
「嬢ちゃん」
急に話しかけられて驚く。
「また今度会ったら、いろいろとお話をしよう。儂はいつでも歓迎だ」
灰色の目が、上から穏やかに覗き込んでいた。その目を見ていたら、お腹のあたりがキュウウとなった。「うちの子にならんか」と言われた時の事を思い出した。
「えっと」
ヨゾラは言葉を探す。
「えっとねドゥトー。あたし、アルルに借りを返しちゃったみたいなんだ。借りを返したらお茶を飲みに行くって言ったけど、もう少しアルルと一緒に行くことにしたんだ。ララカウァラって所にも行ってみたいしアルルの家も見てみたい。でもきっとまた来るから。また来るからそしたら……そしたら……たくさんおしゃべりしよう」
一息でヨゾラがそう言うと、ドゥトーは笑って、かがんで、ヨゾラの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「モテるのー、アルル君」
にんまりと笑うドゥトーに
「それはウーウィーに言ってやって下さい」
ニヤリとしてアルルが返す。ぼっ、と音をたててウーウィーが真っ赤になった。
「ゴしゅジんーー?」
ハルが見上げて、間延びした声をあげる。
「や、め、て、く、だ、さ、い!」
やっぱり顔を真っ赤にしたピファが、一言一言はっきり区切って拗ねる。
それに続くピファの一言で、アルルが絶句した。
「アルルさん、意外とオジさんくさいんですね」
「なっ……」
ドゥトーとギデからくっくっくっと笑い声がきこえた。
ヨゾラはアルルを見上げて問いかける。
「モテる? オジさん?」
「訊くなヨゾラ」
こたえるアルルは、目を合わせてくれない。
「まぁまぁ、ピファちゃん。そうムキにならんで。とにもかくにも、お前さん方の旅の無事を願っておるよ」
ドゥトーのとりなしに、アルルは気を取り直して
「ありがとうございます」
と言ったあと、姿勢を正して続けた。
「ええと、じゃ、そろそろ」
乗り込むと、舟は揺れた。
「
とギデが言う。
「お、お?」
足元の感覚が初めてで、ヨゾラは思わず声をもらした。舟を繋ぐ綱をほどきながら、ギデが言った。
「アルルさん、おれ、ずっと気になってたんすけど……」
言いながら、ギデがほどいた綱をまとめて舟底に
「湯屋にいたっすよね?」
「いた」
きまり悪そうにアルルが答える。
「やっぱり! おれ、いつ言おうか、ずーっと気になってたんすよ!」
舟底から長い竿を取りながら、すっきりした顔でギデが言う。
「俺も気づいてはいたんだけど、言い出す機会がなくてさ。悪かった」
「いや別にいいすけど」
ギデが岸に竿をたてて押す。舟がゆっくり岸から離れはじめた。
あたし、本当に行くんだな、とヨゾラは思った。
ドゥトーたちが桟橋から手を振っている。
「気をつけての!」
「ア、アルルさんヨゾラさん、ま、また!」
「ヨゾラちゃん、またね! アルルさんも!」
岸が離れて、その姿が徐々に遠のく。
ヨゾラは舟の一番後ろまで駆けた。ひしゃげた小屋のような所の、その屋根に飛び乗ると、精一杯の大きな声をだした。
「みんな、みんなまたね! アルルも連れてまた来るね!」
「元気でね!」
ピファの大きな声がきこえた。胸がギュッとなった。そんな事を言われるのは初めてで、ヨゾラはどう応えていいのかわからなかったから、事実を答えた。
「げんきだよ!」
後ろ足で立ち上がって前足を、胴体ごとどうにか振る。その時、舟がふいに揺れて態勢を崩した。
「あれ?」
そのまま水面に向かって──
「お?」
落ちなかった。
仄かに碧く光る「糸」が、ヨゾラの身体にくっついていた。
「糸」を出していない方の手を、アルルが大きく振っていた。
ヨゾラはみんなが見えなくなるまで、そのまま前足を不器用に振り続けた。
舟はするりするりと河を行く。舳先では河の子があぐらをかいて、おとなしく釣り糸を垂らしている。
河をわたる風はごくわずかに、冬の名残を感じさせた。
どこかで川魚が跳ねる。
「ねぇアルル」
と黒猫みたいなものが訊く。
「どうしたヨゾラ」
と魔法使いの青年が聞く。
「キミの『糸』って、空と同じ色なんだね」
青年は、指からごく短い「糸」を出して、空に透かして眺めた。
言われて見れば、そうかもしれない。
「空が青いのは」
青年は思いつきを口にする。
「魔力で満ちているからだ」
対する黒猫の返事は身も蓋もなかった。
「朝と夕方はどうするの?」
「ヨゾラお前なぁ。せっかくちょっと良いこと言ったと思ったのに」
舟はその間も河をくだる。
エレスク・ルーの町並みも、石造りの三番橋も、いつの間にか見えなくなっていた。
〈河と火薬のエレスク・ルー 了〉
〈第一部 完〉
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