第53歩: 黙祷

 きれいだ。

 風もふわふわして気持ちいい。

 あちこちでヒトの話す声が聞こえる。

 青と黄の菱形の連なりが石塀のそこらでひらひらとして、その向こうに明るい空がみえる。

 空を見上げたまま、ヨゾラは問いかけた。

「ねぇアルル」

「どうした、ヨゾラ」

「空ってさー、どうして青いの?」

 アルルが歩きだそうとして、足を止めた。アルルも空を見た。


「──実はな、ヨゾラ」

「うん」

「俺にも不思議なんだよ」

「そっか」

 アルルも知らないんだ。

「誰か知ってるといいね。会ったら教えてもらおう」

 そうしたら、きっとたのしい。

「そうだな」

 そう言って、アルルは歩き出そうとする。

「ね、アルル」

「今度はどうした?」

 また足がとまる。

「ここの、襟から顔出すの、ちょっと疲れる」

 前足でつかまり続けるのもしんどいし、後ろ足で支えようにも使えるのは片足だけだし、それも帯とお腹の隙間に滑り込んでしまう。

「だから、お腹の辺りから顔出したい」

 アルルは少しだけ嫌そうな顔をした。

「それは、絵的にちょっとなぁ」

「えてき?」

「……なんでもない」

 お腹のあたりのボタンを外し、アルルがコートの合わせ目から手をさしいれて、後ろ脚をつついてきた。ヨゾラは中をもぞもぞともぐって、そこから頭をのぞかせる。

 身体も顔も横向きになったけれど、とても楽だ。

「どうだ?」

「だいぶいい。ありがとう」

 今度こそ、アルルは歩き始めた。


 やっぱり目立った。

 歩き出してすぐ、色んな人に声をかけられていたし、お礼もたくさん言われていた。おかげで無事に祭りができてよかった、とか、昨日は大変だったみたいだけど、怪我はないか? とか。


 化け物を退治してくれてありがとう、と言われると、アルルは困ったような顔で笑っていた。

 そんなやりとりを繰り返しながら、すぐそこの本殿という建物に向かっている。


「あのでっかいやつね」

 なだらかな青い瓦屋根が見えて、ヨゾラはひとつ思いだした。

「仕立屋さんから戻って来たとき、あそこの屋根の上にいたんだ」

「え、ほんとか? まったく気が付かなかったぞ」

「誰も気が付いてなかったから、見えなかったんじゃないかな。あたし、あいつのこと食べられなかったよ」

「食べたかったのかよ」

 呆れたようにアルルが言った。頭をお腹の所からだすと、アルルの顔はとても見づらい。それでもヨゾラは身体をひねって、アルルの顔をみた。

「そうじゃなくってさ。せめて、食べたかった。ええと、食べたかったんじゃなくて、食べたかった。……あれ? あれ? ねぇ、こういう時どう言うの?」

 違う事が言いたいのに、なんで同じ言葉になるんだ?

 ヨゾラの疑問にアルルは考える素振りを見せた。

「──それなら、今のでもわかるよ。食べたかったんだろ?」

「うん」

「そういうの、とむらうって言うんだ」

 そしてアルルは足を止めて、人の邪魔にならないところにどいた。

「この辺り、だったと思う」

 見たところ、特に何があるわけでもないおやしろの一角。

「ヤミヌシはあのあと溶けて消えちまったから、食べるわけにはいかないけど」

 そう言ってアルルはすこし頭を下げて目を閉じ、黙った。何かするのかと暫く待ってみたけれど、なにもしない。

 町に入る前にもこんな事やってたな、とヨゾラは思い返した。あの時は大きな石の前だった。

 アルルが目を開ける。

「何してたの?」

 目を開けたアルルに訊く。

「黙祷って言ってな。お前が、せめて食べたかった、っていうのと同じ気持ちの時に、ヒトはこうする」

「ふーん」

「自分で殺しておいて、なに言ってんだって思うけどさ」

 アルルはゆっくりとため息をついた。

 ヨゾラは、キミのせいじゃないよ、とか、何か声をかけたくなったが、思いつかなかったので別の事を言った。

「あたしもやってみる。どうやるの?」

「目を閉じて、静かにする。死んだの事をおもう。それぐらいかな」

 頷いて、やってみた。目を閉じて、ヤミヌシの姿を思い起こそうとすると、周りの音も静かになったように思えた。


 巨大で、凶暴に襲いかかってきた、恐ろしいだった。もう少しで、アルルが死んでしまう所だった。でも、太鼓の練習を、屋根の上で、穏やかに聞いていた姿も思い浮かんだ。

 大事なものを助けようとして、必死でたたかって、あたしたちはわかってなくて、アルルは殺しちゃった。食べるわけでもないのをわかってて。

 小さい方は、ウーウィーくんが血を飲んで、そのあと指を切ったってアルルは言ってた。使い魔の儀式だから、助かったと思う。それなら、少しだけ良かったのかな……


「ねぇ」

 大きな声をだしてはいけない気がして、ヨゾラは小声で呼びかけた。アルルが下をみたのか、体が少し揺れた。

 ヨゾラは小声でつづけた。

「いつまでやればいいの?」

 コート越しに、身体を優しくぽんと叩かれた。

「決まりなんかない。お前がいいならいいよ」

 ヨゾラは目をあける。あたりの音も、急によく聞こえるようになった。

「なんだか、不思議な気分になるね」

「そうだな。敬虔な気持ちって、俺は呼んでる」

「けいけん」

「敬虔。意味は──そのうちわかる」

 静かな口調でそういったあと、アルルはふいに元気を出してつづけた。

「腹へらないか? なにか美味いもの食べようぜ」

 うまいもの!

「ようぜ!」

 ヨゾラはコートの中でシュっと仰向けになった。

「ピファちゃんの太鼓もちゃんと見たいしな」

「な!」

 仰向けなら顔が見やすい。便利だ。

 アルルはヨゾラを見て苦笑いした。

「返事はちゃんとしろよ」

「へーい」

 アルルはまた広場の中を歩き出し、ヨゾラはくるりと普通の姿勢にもどった。

 だ。

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